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第19章

シュカデーヴァ・ゴースヴァーミーの降誕

sūta uvāca
mahī-patis tv atha tat-karma garhyaṁ
vicintayann ātma-kṛtaṁ sudurmanāḥ
aho mayā nīcam anārya-vat kṛtaṁ
nirāgasi brahmaṇi gūḍha-tejasi

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シュリー・スータ・ゴースヴァーミーが言った。「王(マハーラージャ・パリークシット)は宮殿への道すがら、あの非の打ちどころのない、強力なブラーフマナに自分がしたことは極悪非道であったと考え、そのため彼の心は沈みこんだ」

解説

敬虔なパリークシット王は、あの影響力のある、そして非の打ち所のないブラーフマナに対して偶然してしまった不適切な仕打ちを後悔しています。そのような悔いは、彼のような謙虚な人物にとっては自然なことであり、だからこそ、その気持ちが、偶然だとしても犯してしまった罪から献身者を救ってくれるのです。献身者はもともと欠点のない人たちです。献身者は、偶然に犯してしまった罪を心から悔やみますし、献身者がなした罪は全て主の恩恵によって後悔という火で焼き尽くされるのです。
dhruvaṁ tato me kṛta-deva-helanād
duratyayaṁ vyasanaṁ nāti-dīrghāt
tad astu kāmaṁ hy agha-niṣkṛtāya me
yathā na kuryāṁ punar evam addhā

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(パリークシット王は考えた)「至高主の教えをないがしろにしてしまった私は、近い将来、必ず何らかの困難な状況に陥るはずだ。全ての罪な行いから解放されるため、そしてこのような侮辱を二度と犯さないようにするため、私は無条件に今、不幸がやって来ることを望む。」

解説

至高主は、ブラーフマナと牛は必ず守られなくてはならない、と命じています。主ご自身が、ブラーフマナと牛のために良いことをしたいと強く願っています(go-brāhmaṇa-hitāya ca)。マハーラージャ・パリークシットはもちろんそのことをよく知っていましたし、だから影響力のあるブラーフマナを侮辱してしまったことで主の法則によって必ず罰せられること、そして近い将来何か大きな困難が自分に起こることを予想していました。そして何か差し迫った大災難が家族ではなく自分の身に起こることを望んでいます。ひとりの人間の間違った行為が、その家族全員に悪い影響を及ぼすものです。ですからマハーラージャ・パリークシットは、自分だけに災難が起こることを望んでいるのです。自分だけが苦しむことでさらなる罪が抑えられ、同時に自分が犯してしまった罪は打ち消され、自分の子孫が苦しむことはありません。責任感ある献身者はそう考えるものです。献身者の家族は、献身者がなした主への奉仕の結果を分かち合うことができます。マハーラージャ・プラフラーダは自分の献身奉仕によって、悪魔の父親を救いました。家族内における献身者の息子は最大の恩恵、あるいは主からの祝福です。
adyaiva rājyaṁ balam ṛddha-kośaṁ
prakopita-brahma-kulānalo me
dahatv abhadrasya punar na me ’bhūt
pāpīyasī dhīr dvija-deva-gobhyaḥ

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私は、ブラーフマナの文化、神の意識、牛の保護をないがしろにするような野蛮で罪深い男だ。だから将来、私がこのような不吉なふるまいを繰り返さないためにも、私の国、力、富が全て、ブラーフマナの怒りの火で焼き尽くされることを望む。

解説

発展的な人類の文化は、ブラーフマナ文化、神の意識、牛の保護に支えられています。商業、貿易、農業、工業による国の経済発展は、この原則に基づいて利用されるべきであり、それができなければ、たとえ経済が発展しても社会を堕落させるばかりです。牛を守るということは、神の意識に人々を導くブラーフマナ文化を育てるということであり、それができれば完璧な人間文化が築かれます。カリ時代は、高尚な生活原則を滅ぼすための時代であり、マハーラージャ・パリークシットが世界にカリの権化がはびこることに頑強に抵抗したあとでも、カリ時代の影響はその機が熟したときに現れ、マハーラージャ・パリークシットほどの屈強な王でさえ、わずかな飢えと渇きに挑発され、ブラーフマナ文化を軽視してしまったのです。パリークシット王はその偶発的な一連の出来事を嘆き、自分の王国、力、富の蓄積もブラーフマナ文化をないがしろにした罰として焼き尽くされればいい、と考えています。
富や力がブラーフマナ文化の高揚、神の意識、牛の保護のために使われなければ、その国も家庭も神の意志で滅んでいきます。世界に平和と繁栄を望むのであれば、私たちはこの節から教訓を得なければなりません。全ての国、全ての家庭は、自己を浄化させるためのブラーフマナ文化の発展と、自己を悟るための神の意識の向上、そして完璧な文化を維持する最善の食糧である牛乳を得るための牛の保護、これらに努めなければなりません。
sa cintayann ittham athāśṛṇod yathā
muneḥ sutokto nirṛtis takṣakākhyaḥ
sa sādhu mene na cireṇa takṣakā-
nalaṁ prasaktasya virakti-kāraṇam

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王がこのように悔やんでいたとき、聖者の息子が放った呪いの言葉が具体化し、やがて翼を持つ蛇に噛まれて死ぬという知らせが届いた。王はこれを吉報と受け止めた。世俗の物事に対して無関心になれる機会として捉えたからである。

解説

本当の幸せは、精神的な境地で、あるいは誕生と死の繰り返しを終わらせることで得られます。神の元へ帰ることによってのみ、誕生と死の繰り返しを止めることができます。物質界では、頂点の惑星(ブラフマローカ)に到達しても、誕生と死の繰り返しから抜け出すことはできませんが、それでも人々は完璧な境地を得る道を受け入れようとしません。完璧な境地にたどり着く道を歩めば、私たちは全ての物質的執着から解放され、やがて精神的な国に入るにふさわしい質を得ることができます。ですから、極貧状態にいる人こそ、物質的に恵まれている人よりも解放されるにふさわしいと言えます。マハーラージャ・パリークシットは主の偉大な献身者でしたし、神の国に入るにふさわしい本物の候補者ではありましたが、世界の皇帝であるという物質的利点は、精神界で主の交流者になるという境地に到達する妨げになっていました。主の献身者だった彼は、ブラーフマナの少年の呪いを賢い者がすることとは思いませんでしたが、結果的に政治と社会から身を引くことになったのですから、自分に対する祝福と考えました。シャミーカ・ムニも起こってしまったことを嘆きはしましたが、王が神の元に帰る準備ができるように、自分の義務として王に全てを伝えました。シャミーカ・ムニは、愚かな我が子シュリンギが力を備えたブラーフマナだったにもかかわらず精神的な力を誤用し、間違った方法で王を呪ってしまったことを王に伝えました。蛇の死骸を肩に掛けた王の行為は、死んで償うほどの侮辱ではなかったのですが、呪いを解くすべはなかったため、王は1週間以内に死ぬ準備をしなくてはなりません。シャミーカ・ムニと王はどちらも自己を悟った魂です。シャミーカ・ムニは神秘主義者であり、マハーラージャ・パリークシットは献身者であったのですから、ふたりの自己の悟りに違いはありません。どちらも死を恐れていなかったのです。マハーラージャ・パリークシットはムニを訪ねて謝罪することはできましたが、ムニが深く後悔し、その思いで死は避けられないことを自分に伝えてきたのですから、彼の前に姿を見せればムニに恥をかかせることになる、と考えました。ですから、迫り来る死に備え、神の元に帰る方法を探すことを決心しました。
人の一生は神の元に帰る機会、すなわち物質存在から、誕生と死の繰り返しから抜け出す機会です。ですから、ヴァルナーシュラマ・ダルマでは、全ての男女がその目標を達成するために教育を受けます。言い換えれば、ヴァルナーシュラマ・ダルマ制度は、サナータナ・ダルマ、つまり永遠の本務としても知られているということです。ヴァルナーシュラマ・ダルマは私たちが神の元に帰っていく心構えを持つよう導くため、世帯者はヴァーナプラスタとして森に入り、完璧な知識を身に付け、必ず直面する死の前にサンニヤーサを受け入れるよう命じています。パリークシット・マハーラージャは、7日以内に死に直面することを告げられました。しかし普通の人々にとって、死は避けられないとは分かっていても、確かな知らせが届くことはありません。愚かな人々は、必ず死ぬという事実を忘れ、神の元に帰る備えをすることはありません。そして、食べ、飲み、愉快に暮らすという動物まがいの生活をし、生涯を無駄にしてしまうのです。カリ時代の人々はそのような無責任な生活に埋もれていますが、それはブラーフマナ文化、神の意識、牛の保護を非難する罪な望みがそうさせているのであり、その責任は国が負うことになります。国はこの3つの項目を高めるための収入源を確保すべきであり、人々が死に備えられるよう、教育をするべきです。それができる国こそ、本当の福祉国家です。インドは、人間生活の究極目標である神の国について何も知らない物質主義的な国々を真似るよりも、理想的な行政の代表であるマハーラージャ・パリークシットの例に従わなくてはなりません。インドが理想とする文化が衰退すれば、インドはもとより、外国でも文化的生活は衰退していくのです。
atho vihāyemam amuṁ ca lokaṁ
vimarśitau heyatayā purastāt
kṛṣṇāṅghri-sevām adhimanyamāna
upāviśat prāyam amartya-nadyām

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マハーラージャ・パリークシットは、クリシュナ意識に心を専念させるため、自己を悟るための全ての修練を拒んでガンジス川のほとりにしっかりと座った。クリシュナへの超越的な愛情奉仕こそが、他の全ての方法に優る最高の達成だからである。

解説

マハーラージャ・パリークシットのような献身者にとって、物質界の惑星は、例え頂点にあるブラフマローカであっても、太古の主、根源の人格神、主シュリー・クリシュナの惑星であるゴーローカ・ヴリンダーヴァナに比べれば、目指すべき場所ではありません。地球は、宇宙にある無数の物質惑星のひとつであり、さらにマハトゥ・タットヴァのなかには無数の宇宙が存在しています。献身者は、主と主の代表者、すなわち精神指導者あるいはアーチャーリャから、無数の宇宙にある惑星はどこも献身者が住むにはふさわしくないと教わっています。献身者はいつも、ふるさとに、神の元に帰りたいと願っていますが、それは、無数のヴァイクンタ惑星のひとつ、あるいは主シュリー・クリシュナの惑星であるゴーローカ・ヴリンダーヴァナで、召使い、友人、両親、あるいは主の恋人という立場で主との交流者のひとりになるためです。これらの惑星は全て、精神界、パラヴョーマに永遠に位置しており、そこは、マハトゥ・タットヴァ内にある原因の海の反対側にあります。マハーラージャ・パリークシットは、これまで積み重ねた敬虔(ルビ:けいけん)な行い、そしてヴァイシュナヴァという高貴な献身者家系に生まれたことで、このような情報はすでに知っていましたから、物質惑星には何の関心もありませんでした。現代科学者は、機械を使った物質的な方法で月に行こうとしていますが、この宇宙の頂点にある惑星のことなど想像さえできません。しかし、マハーラージャ・パリークシットのような献身者にとっては、月や、物質界のどんな惑星にも関心がありません。ですから、彼に死ぬ日が突き付けられたとき、ハスティナープラ(デリー)の都市を流れる超越的なヤムナー川の岸辺で食を絶つことで、主への超越的な愛情奉仕に対する決意をさらに強めました。ガンジス川もヤムナー川もアマルテャー(超越的)な川であり、ヤムナー川は次の理由で、より崇高で神聖な質に満ちています。
yā vai lasac-chrī-tulasī-vimiśra-
kṛṣṇāṅghri-reṇv-abhyadhikāmbu-netrī
punāti lokān ubhayatra seśān
kas tāṁ na seveta mariṣyamāṇaḥ

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その川(王が絶食のために座った川)は、主の蓮華の御足につく埃とトゥラシーの葉が混ざり合った最も吉兆な水を運んでいる。ゆえに、その水は三界の内も外も、さらには主シヴァやほかの神々でさえも浄化するのである。したがって、死ぬ定めにある者は誰でも、この川に保護を求めなくてはならない。

解説

マハーラージャ・パリークシットは、7日以内に死ぬという知らせを受け取った後、すぐに家庭生活から離れ、ヤムナー川の神聖な岸辺に向かいました。通説では王はガンジス川の岸辺に身を委ねたと言われていますが、シュリーラ・ジーヴァ・ゴースヴァーミーの見解では、その場所はヤムナー川だとされています。地理的状況を考慮すると、シュリーラ・ジーヴァ・ゴースヴァーミーの説のほうがより正確と考えられています。マハーラージャ・パリークシットは当時ハスティナープラに住み、それは現在のデリー付近であり、ヤムナー川はその都市の中を流れています。王は宮殿のすぐ前を流れるヤムナー川を選んだ、と考えるのが自然です。また川の神聖さに関して言えば、ヤムナー川はガンジス川よりも主クリシュナと直接に関係しています。主はこの世界で崇高な遊戯を始めたときから、ヤムナー川を神聖化しています。父ヴァスデーヴァがゴークラという安全な場所を求めて赤ん坊の主クリシュナを抱き、マトゥラー側からヤムナー川を渡ろうとしていたとき主は川の中に落ちましたが、その瞬間にヤムナー川は主の蓮華の御足の埃によって神聖な川となりました。この節で特に述べられているように、マハーラージャ・パリークシットは、主クリシュナの蓮華の御足の埃とトゥラシーの葉を含んで美しく流れるその川に身を委ねました。主クリシュナの蓮華の御足にはいつもトゥラシーの葉がついているため、主の蓮華の御足がガンジス川やヤムナー川の水と触れると、どちらもすぐに神聖化されるのです。しかし主は、ガンジス川よりもヤムナー川により多く触れました。シュリーラ・ジーヴァ・ゴースヴァーミーが『ヴァラーハ・プラーナ』の言葉を引用しているように、水そのものはガンジス川もヤムナー川も違いはありませんが、ガンジス川の水が100倍神聖化されると、それがヤムナー川と呼ばれる、と言われています。同じように、他の経典では、ヴィシュヌの御名を1,000回唱えることは、ラーマの御名を1回唱えることに等しく、主ラーマの御名を3回唱えることは、クリシュナの御名を1回唱えることに等しい、とされています。
iti vyavacchidya sa pāṇḍaveyaḥ
prāyopaveśaṁ prati viṣṇu-padyām
dadhau mukundāṅghrim ananya-bhāvo
muni-vrato mukta-samasta-saṅgaḥ

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パーンダヴァ兄弟の子孫としてふさわしい王は、ガンジス川の岸辺に座って死ぬまで絶食し、解放を授ける唯一のお方である主クリシュナの蓮華の御足に自らを捧げることを固く決意した。こうして、あらゆる俗世とのつながりとあらゆる執着から離れ、聖者の誓いを受け入れた。

解説

ガンジス川の水は、神も神々も含んだ三界全体を浄化します。その水が人格神ヴィシュヌの蓮華の御足から流れ出しているからです。主クリシュナはヴィシュヌ・タットヴァの源ですから、その蓮華の御足に保護されれば、王が犯したブラーフマナに対する侮辱を含むあらゆる罪から救われます。ですからマハーラージャ・パリークシットは、あらゆる種類の解放を授けてくれるムクンダ、つまり主シュリー・クリシュナの蓮華の御足を瞑想する決意をしました。ガンジス川、あるいはヤムナー川のほとりは、絶え間なく主を思う機会を提供してくれます。マハーラージャ・パリークシットは一切の物質的関わりから身を引き、主クリシュナの蓮華の御足を瞑想しましたが、それこそが解放への道です。物質的な関係を絶つのは、それ以上罪を犯さないことを指しています。そして、主の蓮華の御足を瞑想するのは、昔の罪の結果から解放されることを指しています。物質界は、故意に、あるいは知らないうちに罪を犯してしまう世界であり、その最も顕著な例が、罪のない、敬虔な王と認められていたマハーラージャ・パリークシット自身です。そのような間違いを犯さないよう常に気を配っていたにもかかわらず、彼は侮辱の犠牲になってしまいました。そしてその結果として呪われましたが、主の偉大な献身者だったことから、そのような苦境でさえ好機となったのです。原則として、人は生きている限り進んで罪を犯してはいけませんし、逸脱することなく常に主の蓮華の御足を思うべきです。そのような思いを持つ献身者にだけ、主は救いの手を差し伸べ、解放に向かう道を着実に進めるよう導きます。そしてその献身者は、やがて主の蓮華の御足にたどり着きます。献身者が思いがけず罪を犯してしまったとしても、主は身を委ねた魂をあらゆる罪から救ってくれるのであり、そのことが経典のなかで次のように確証されています。
sva-pāda-mūlaṁ bhajataḥ priyasya
tyaktāny abhāvasya hariḥ pareśaḥ
vikarma yac cotpatitaṁ kathañcid
dhunoti sarvaṁ hṛdi sanniviṣṭaḥ
『シュリーマド・バーガヴァタム』(11-5-42)
tatropajagmur bhuvanaṁ punānā
mahānubhāvā munayaḥ sa-śiṣyāḥ
prāyeṇa tīrthābhigamāpadeśaiḥ
svayaṁ hi tīrthāni punanti santaḥ

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そのとき、弟子たちを伴った偉大な心の持ち主や思想家たち、そして存在するだけで巡礼地を確実に神聖化することのできる聖者たちが、巡礼の旅と称してその場を訪れた。

解説

マハーラージャ・パリークシットがガンジス川の岸辺に座った時、その知らせは宇宙全体に広まり、この出来事の重大さを悟った偉大な心を持つ聖者たちが、巡礼を口実に集まって来ました。実際、彼らはマハーラージャ・パリークシットに会いに来たのであって、巡礼地で沐浴するためではありませんでした。なぜなら彼らは皆、自身が巡礼地を神聖化する力を備えているからです。大衆は巡礼地に集まり、それまでの罪をそこで全て捨てて帰りたいと思っています。ですから、巡礼地にはそういう人々の罪が充満しています。しかしこのような聖者が罪に満ちた巡礼地へ訪れると、聖者の存在そのものがその場所を浄化します。ですから、マハーラージャ・パリークシットに会いにきた聖者たちは大衆とは違い、自分たちを浄化させることには関心がなく、沐浴をするという口実でその場所を訪れ、マハーラージャ・パリークシットに会うつもりでした。彼らは、シュカデーヴァ・ゴースヴァーミーによって『シュリーマド・バーガヴァタム』が語られることを予見できたのです。彼らはこの素晴らしい出来事から恩恵を授かりたいと思っていたのでした。
atrir vasiṣṭhaś cyavanaḥ śaradvān
ariṣṭanemir bhṛgur aṅgirāś ca
parāśaro gādhi-suto ’tha rāma
utathya indrapramadedhmavāhau
medhātithir devala ārṣṭiṣeṇo
bhāradvājo gautamaḥ pippalādaḥ
maitreya aurvaḥ kavaṣaḥ kumbhayonir
dvaipāyano bhagavān nāradaś ca

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宇宙のさまざまな場所から聖者たちがこぞって集結してきた。アトゥリ、チャヴァナ、シャラドゥヴァーン、アリシュタネーミ、ブリグ、ヴァシシュタ、パラーシャラ、ヴィシュヴァーミトゥラ、アンギラ−、パラシュラーマ、ウタテャ、インドラプラマダ、イドゥマヴァーフ、メーダーティティ、デーヴァラ、アールシュティシェーナ、バーラドゥヴァージャ、ガウタマ、ピッパラーダ、マイトゥレーヤ、アウルヴァ、カヴァシャ、クンバヨーニ、ドゥヴァイパーヤナ、そして偉大な人物ナーラダたちである。

解説

チャヴァナ ブリグ・ムニの息子のひとりで、偉大な聖者。身ごもっていた母が誘拐され、早産で生まれています。チャヴァナは、父ブリグ・ムニがもうけた6人の子のひとりです。
ブリグ ブラフマジーがヴァルナに代わって盛大な供犠を執行していたとき、マハルシ・ブリグがその儀式の火から誕生しました。偉大な聖者であり、大変愛しい妻の名をプローマーといいます。ドゥルヴァーサやナーラダといった聖者と同じく、宇宙を飛び回ることができ、さまざまな惑星をよく訪ねていました。クルクシェートラの戦いが始まる前、戦いを止めようとしています。ときに、バーラドゥヴァージャ・ムニに、天文学上の進化論について説き、『ブリグ・サムヒター』という優れた占星術的計算書の著者でもあります。そのなかで、空気、火、水、土がどのように空間から作り出されたかを説明しています。また、胃腸内の空気がどのように機能し、腸を制御しているかについても説明しました。偉大な哲学者だった彼は、生命体の永遠性を理論的に確立しています(マハーバーラタ)。また優れた人類学者でもあり、進化論についてはずっと以前に彼によって説明されています。ヴァルナーシュラマ制度として知られている、人間社会の4つの区分と階級に関する科学的な学説を提示した人物でもあります。ヴィータハヴャという名のクシャトリヤ王をブラーフマナに変えたことがあります。
ヴァシシュタ 『シュリーマド・バーガヴァタム』(1-9-6)参照。
パラーシャラ ヴァイシュシュタ・ムニの孫、そしてヴィヤーサデーヴァの父。マハルシ・シャクティの子であり、母の名をアドリッシャティーといいます。母がまだ12歳のころ、その胎内に宿りました。その胎内でヴェーダを学んでいます。父はカルマーシャパーダという悪魔に殺されたため、全世界を破壊して復讐(ルビ:ふくしゅう)しようとしました。しかし祖父のヴァシシュタの助言で思いとどまり、次にラークシャサを殺すヤジュナを執行しましたが、マハルシ・プラステャに止められました。パラーシャラは、マハーラージャ・シャーンタヌの妻になるはずだったサッティヤヴァティーに魅了され、彼女との間にヴィヤーサデーヴァをもうけました。パラーシャラの祝福を得たサッティヤヴァティーの体からは、数キロにまで漂うほどのかぐわしい香りを放っていました。彼はビーシュマが他界するときに居合わせています。マハーラージャ・ジャナカの精神指導者であり、主シヴァの偉大な従者です。数多くのヴェーダ経典や社会学の経典を著しました。
ガーディ・スタ、別名ヴィシュヴァーミトゥラ 苦行と神秘的力で名高い、偉大な聖者。ガーディ・スタという名前でもよく知られていますが、それは父がガーディというカニャークブジャ(ウッタラ・プラデシュ)地方の強力な王だったことによります。クシャトリヤとして誕生しましたが、精神的な力を極め、その体でブラーフマナになりました。クシャトリヤの王のときにヴァシシュタ・ムニに論争を仕掛け、マタンガ・ムニと協力して盛大な儀式を執行し、ヴァシシュタの息子に打ち勝つことができました。偉大なヨーギーになりましたが、それでも感覚を抑えることができず、その結果、世界の歴史上たぐいまれな美女であるシャクンタラーをもうけました。クシャトリヤ王だったころ、ヴァシシュタ・ムニの庵(ルビ:いおり)を訪ね、壮大な歓迎式を受けます。ヴィシュヴァーミトゥラはヴァシシュタからナンディニーという名前の乳牛をもらい受けたかったのですが、ムニはその申し出を断ります。ヴィシュヴァーミトゥラはその牛を盗み、こうして聖者と王の間に争いが起こりました。ヴィシュヴァーミトゥラはヴァシシュタの精神的力の前に屈し、こうして王はブラーフマナになる決意をしました。ブラーフマナになる前、カウシカ川の岸辺で厳しい苦行に励みました。この人物も、クルクシェートラの戦いを止めようとしています。
アンギラー ブラフマーの心から誕生した6人の息子のひとり。天界の惑星に住む神々を司る偉大かつ博識な僧侶であるブリハスパティの父。火の灰に投げ入れられたブラフマーの精子から誕生しました。ウタテャとサンヴァルタは、アンギラーの息子です。ガンジス川の岸辺にあるアローカーナンダという場所で、いまでも苦行に励み、主の聖なる御名を唱えている、と言われています。
パラシュラーマ 『シュリーマド・バーガヴァタム』(1-9-6)参照。
ウタテャ マハルシ・アンギラーの3人の息子のひとり。マハーラージャ・マンダーターの精神指導者です。ソーマ(月)の娘であるバドゥラーと結婚しました。ヴァルナがバドゥラーを誘拐し、水の神に侮辱された仕返しとして、世界中の水を飲み干しました。
メーダーティティ いにしえの年老いた聖者。インドラデーヴァ王が司る政府の議員のひとり。彼の息子はカンヴァ・ムニで、森でシャクンタラーを育てました。引退生活(ヴァーナプラスタ)の原則に厳格に従ったことで天界の惑星に高められています。
デーヴァラ ナーラダ・ムニやヴィヤーサデーヴァに匹敵する偉大な権威者。その高名は、『バガヴァッド・ギーター』でアルジュナが主クリシュナを最高人格神として認めたときに挙げられた権威者のリストに含まれています。デーヴァラはクルクシェートラの戦いのあとにマハーラージャ・ユディシュティラと会っており、またパーンダヴァ家の僧侶であるダウミャの兄にあたります。クシャトリヤとして、娘にスヴァヤンヴァラの試合で夫を選ぶことを許し、会場にはリシの独身男性たち全員が招かれました。権威者の見解では、この人物はアシタ・デーヴァラではないとされています。
バーラドゥヴァージャ 『シュリーマド・バーガヴァタム』(1-9-6)参照。
ガウタマ 宇宙を代表する偉大な7人の聖者のひとり。シャラドゥヴァーン・ガウタマは彼の息子のひとりです。現代のガウタマ・ゴートゥラ(王家)の人々は、ガウタマの子孫、または師弟継承に属しています。ガウタマ・ゴートゥラと公言するブラーフマナたちは、一般的にその家系に属しており、ガウタマ・ゴートゥラを公言するクシャトリヤとヴァイシャは、師弟継承上に属する人々です。ガウタマは名高いアハリャーの夫です。アハリャーは、天界の王インドラに関係を強要されたとき、自分の姿を石に変えました。アハリャーは主ラーマチャンドラに救われています。ガウタマは、クルクシェートラの戦いの英雄のひとりであるクリパーチャーリャの祖父にあたります。
マイトレーヤ いにしえの偉大なリシ。ヴィドゥラの精神指導者で、偉大な宗教権威者でもあります。ドリタラーシュトラには、パーンダヴァ兄弟と良い関係を保つよう常々助言をしていました。ドゥルヨーダナはそのことに反対し、その結果マイトゥレーヤに呪われました。彼はヴィヤーサデーヴァに会い、宗教にまつわる会話を交わしています。
anye ca devarṣi-brahmarṣi-varyā
rājarṣi-varyā aruṇādayaś ca
nānārṣeya-pravarān sametān
abhyarcya rājā śirasā vavande

訳語

翻訳

集まってきた人々の中には、神聖な神々、王、さまざまな聖者の王家に属するアルナーダヤ(特別の階級にいるラージャルシ)と呼ばれる特別の王たちが含まれていた。彼らが皇帝(パリークシット)に会うために集結したとき、王は地面に頭をつけてひれ伏し、礼儀正しく迎えた。

解説

目上の人物に敬意を示すため地面に頭をつけてお辞儀をする作法は、迎えられた客人の心に深く栄誉を感じさせる優れた礼儀です。最悪の侮辱を犯した者でさえ、この作法に従えば許されることがあり、マハーラージャ・パリークシットも、全てのリシや王たちに讃えられている人物でありながら、侮辱を犯したことを許してもらうために、つつましい礼儀作法で偉人たちを迎え入れたのです。一般的に、思慮分別のある人は、生涯を終えて他界する前に、このように謝意を示して許しを請います。マハーラージャ・パリークシットはこうしてふるさとへ、神の元へ帰って行くために、全ての人々の祝福を懇願したのでした。
sukhopaviṣṭeṣv atha teṣu bhūyaḥ
kṛta-praṇāmaḥ sva-cikīrṣitaṁ yat
vijñāpayām āsa vivikta-cetā
upasthito ’gre ’bhigṛhīta-pāṇiḥ

訳語

翻訳

王は、リシや他の客人たちに心地よく座ってもらった後、つつましく彼らの前に合掌して立ち、死ぬまで絶食する決意に至った経緯を話した。

解説

王は、ガンジス川のほとりで死ぬまで絶食することをすでに決めていましたが、居合わせた偉大な権威者たちの意見を伺うために、自分の決意を表明しています。決定というものは、どれほど重要なものであっても、権威によって認められなくてはなりません。それでこそ、申し分のない状況を作り出すことができます。言い換えれば、当時世界を治めていた君主は、無責任な指導者ではなかったということです。ヴェーダの教えに基づいた聖人や聖者の権威ある決定に正直に従っていたのです。マハーラージャ・パリークシットは完璧な王でしたから、権威者に相談することで、生涯を閉じる最期の日々においてもその原則に従いました。
rājovāca
aho vayaṁ dhanyatamā nṛpāṇāṁ
mahattamānugrahaṇīya-śīlāḥ
rājñāṁ kulaṁ brāhmaṇa-pāda-śaucād
dūrād visṛṣṭaṁ bata garhya-karma

訳語

翻訳

幸運な王が言った。「まさに私たちは、偉大な魂たちから恩恵を授かる教育を受けた王たちのなかでも特に感謝の念に打たれている王です。一般的に、あなたがた(聖者)は、王族とは拒否されるべきもの、そして遠くに避けるべきものと考えておられます」

解説

宗教原則によると、糞、尿、洗い水などは遠くに避けておくべきもの、とされています。屋内の風呂場、小便器などは、現代文化ではとても便利な設備とされているかもしれませんが、実は居住区から遠くに設置されていなければなりません。その同じ例が、神の元に帰ろうと励んでいる人々と王族階級との関係で述べられています。主シュリー・チャイタニヤ・マハープラブは、金中心の人間、あるいは王族との親密なつながりを持つことは、神の元に帰る望みを持つ者には自殺より忌まわしいものである、とおっしゃいました。これは言い換えると、超越主義者は、神の創造物という表面的な美しさに完全に心奪われている人々とは関わらないということです。精神的かつ高尚な知識を備える超越主義者は、美しく見えるこの物質界が、真実の世界、すなわち神の王国の影にすぎないことをよく知っています。ですから彼らは、王室の富やその類いの財宝に魅了されません。しかしマハーラージャ・パリークシットの場合は事情が違います。一見したところ、王は未熟なブラーフマナの少年に呪われはしましたが、実は主の元に帰って来るよう主に呼ばれていたのです。だから、マハーラージャ・パリークシットが死ぬまで絶食するから、と集まって来た他の超越主義者、偉大な聖者、神秘主義者たちは、神の元に戻って行く王を見たくてたまらなかったのです。マハーラージャ・パリークシットは、自分の先祖のパーンダヴァ兄弟が主に献身奉仕をしていたからこそ、集まって来た偉大な聖者全員がパーンダヴァ兄弟に対して親切だったことを理解しました。ですから王は自分の生涯の終わりに、この場に居合わせてくれた聖者たちに深く感謝していましたし、それは自分の先祖や祖父たちの偉大さゆえのことであると感じていました。だから、自分がそのような偉大な献身者たちの子孫であることを誇らしく思っていたのです。主の献身者が感じるそのような誇りは、間違いなく、物質的な繁栄に対する思い上がった虚栄心と同じではありません。前者は真実である一方、後者は偽物、あるいは虚栄心です。
tasyaiva me ’ghasya parāvareśo
vyāsakta-cittasya gṛheṣv abhīkṣṇam
nirveda-mūlo dvija-śāpa-rūpo
yatra prasakto bhayam āśu dhatte

訳語

翻訳

超越的・俗的どちらの世界も支配する最高人格神は、ブラーフマナの呪いという形で慈悲深く私を襲った。あまりにも家庭生活に心が奪われていた私を救おうと、私に恐怖心を起こさせて物質界から切り離すため、こうして私の前に姿を現したのだ。

解説

マハーラージャ・パリークシットは、パーンダヴァ家という偉大な献身者の家系に生まれ、主との交流に対する超越的な執着心を築くための訓練を念入りに受けていたのですが、俗的な家族生活に長く誘惑されていたことに気づき、だからこそ主の計画で、その執着を放棄しなくてはなりませんでした。主は特別な献身者に対して、このように直接的な行動を示すことがあります。マハーラージャ・パリークシットはこの事実を、宇宙の最も高貴な超越主義者たちを見て理解しました。主は献身者のすぐ横にいますから、偉大な聖者の存在はそのまま主の存在をも示しているのです。だからこそパリークシット王は、偉大なリシたちが集結してきたことを、至高主の恩恵の証しとして歓迎したのでした。
taṁ mopayātaṁ pratiyantu viprā
gaṅgā ca devī dhṛta-cittam īśe
dvijopasṛṣṭaḥ kuhakas takṣako vā
daśatv alaṁ gāyata viṣṇu-gāthāḥ

訳語

翻訳

お集まりのブラーフマナよ。私を、完全に身を委ねた魂として受け入れてください。そして、主の代理でもある母なるガンジス川も私を受け入れてくださいますように。私は心の内で主の蓮華の御足にすがっているからです。ブラーフマナが作り出した翼を持つ蛇に、あるいは不可思議な存在によって私が一気に噛み殺されますように。私はあなた方が皆、主ヴィシュヌの崇高な偉業を歌い続けることだけを望んでいます。

解説

至高主の蓮華の御足に全てを捧げた人は、死を恐れません。ガンジス川のほとりで主の偉大な献身者たちによって作られた雰囲気、そしてマハーラージャ・パリークシットが完全に主を受け入れたことは、彼が間違いなく神の元に帰って行く証しです。こうして彼は、死の恐怖から完全に解放されたのでした。
punaś ca bhūyād bhagavaty anante
ratiḥ prasaṅgaś ca tad-āśrayeṣu
mahatsu yāṁ yām upayāmi sṛṣṭiṁ
maitry astu sarvatra namo dvijebhyaḥ

訳語

翻訳

あらためてブラーフマナの皆様に尊敬の礼を捧げます。たとえ私が物質界に再び生まれても、無限なる主クリシュナへの完璧な執着を育み、主の献身者との交流を持ち、全ての生命体と友好的な関係を持てるように祈ります。

解説

主の献身者だけが完璧な生命体であることが、この節でマハーラージャ・パリークシットによって説明されています。献身者の敵はたくさんいるかもしれませんが、献身者は誰のことも敵だとは思いません。献身者は、献身者ではない人々に対して敵意はないのですが、彼らとのつきあいを望みません。主の献身者との交流を望んでいるのです。類は友を呼ぶ、と言われているように、それは自然な感情です。そして献身者にとって最も大切な本務は、全生命体の父親である主シュリー・クリシュナに完全な執着心を育むことにあります。優れた息子がほかの兄弟たちと親しく接するように、主の献身者は、至高の父である主クリシュナの優れた息子として、全生命体を至高の父親と結びつけて捉えます。そして尊大になってしまった息子を正気に戻し、神という至高の父を受け入れるよう導きます。マハーラージャ・パリークシットは間違いなく神の元に帰って行きますが、たとえ帰らなくても、物質界で完璧な生き方ができるよう祈りました。純粋な献身者は、ブラフマーのような偉大な人物とのつきあいを望んだりすることはありませんが、凡人であっても、その人が主の献身者であれば、交流したいと望むものです。
iti sma rājādhyavasāya-yuktaḥ
prācīna-mūleṣu kuśeṣu dhīraḥ
udaṅ-mukho dakṣiṇa-kūla āste
samudra-patnyāḥ sva-suta-nyasta-bhāraḥ

訳語

翻訳

完璧に自己制御の境地にいたマハーラージャ・パリークシットは、ガンジス川の南側のほとりで、わらの上に座した。わらの根は東に向けられ、そして彼自身は北の方角を向いて座った。自分の王国はすでに息子に譲り渡していたのである。

解説

ガンジス川は海の妻として世に知られています。クシャのわらの席は、そのわらが根と一緒に土から抜かれているものが神聖とされ、その根が東を向く位置が最も吉兆とされています。北側を向くのは、精神的成功を得るのにさらに好都合とされています。マハーラージャ・パリークシットは宮殿を出る前に統治の責任を息子に譲っています。こうして、好条件が全て整った状況に置かれていました。
evaṁ ca tasmin nara-deva-deve
prāyopaviṣṭe divi deva-saṅghāḥ
praśasya bhūmau vyakiran prasūnair
mudā muhur dundubhayaś ca neduḥ

訳語

翻訳

こうして、マハーラージャ・パリークシット国王は死ぬまで絶食するつもりで座っていた。高位の惑星に住む神々はこぞって王のその行動を讃え、喜々として地上に花を降らし続け、神聖な太鼓を打ち鳴らすのであった。

解説

マハーラージャ・パリークシットの時代にさえ惑星間の交流は行われており、マハーラージャ・パリークシットが解放を達成するために死ぬまで絶食をする、という知らせは、知的な神々が住んでいる高位の惑星にも伝わりました。神々は人間よりも快適に暮らしていますが、その誰もが至高主の命令に従順です。天界の惑星には、無神論者も、神を信じない者もいません。ですから、地上にいる主の献身者は誰でも神々に讃えられているのであり、マハーラージャ・パリークシットに対しても彼らはたいそう喜び、地上に花を降らせたり天界の太鼓を打ち鳴らすことで、賞賛の印を示したのでした。神々は、誰かが神の元に帰るのを見て心から喜びます。主の献身者を好んでいますから、自らのアディダイヴィカの力を使って献身者を全面的に助けようとします。そして主も、彼らのそのような行為を見てお喜びになります。主、神々、地上の献身者たちの間には、見えない鎖で結ばれた完璧な協力関係が存在しているのです。
maharṣayo vai samupāgatā ye
praśasya sādhv ity anumodamānāḥ
ūcuḥ prajānugraha-śīla-sārā
yad uttama-śloka-guṇābhirūpam

訳語

翻訳

集まっていた偉大な聖者たちもこぞってマハーラージャ・パリークシットの決意を、「実にすばらしいことだ」と口々に讃えた。聖者は本来、至高主の優れた質の力を全て備えているため、一般庶民のためになることをしたいと考えている。だからこそ、主の献身者であるマハーラージャ・パリークシットを見て大いに喜び、次のように話し始めた。

解説

生命体が元々備えている美しさは、献身奉仕の境地に入ることでさらに高められます。マハーラージャ・パリークシットは、主クリシュナへの愛着に没頭していました。そのような彼を見て、集まった偉大な聖者たちは心から喜び、「とても素晴らしい」と認めました。聖者たちは、本来、一般庶民が幸せになることを考えており、献身奉仕に長けたマハーラージャ・パリークシットのような人物を見る時、彼らの喜びは例えようもなく、できる限り祝福を授けようとします。主への献身奉仕はとても吉兆で、神々や聖者たち、そして主までも献身者に好意を寄せますから、献身者は全てを吉兆な気持ちで見ることができるのです。不吉なことは全て、努力する献身者の道から取り除かれます。マハーラージャ・パリークシットにとって、これから死のうとするときに偉大な聖者たちに会うのは、実に吉兆なことであり、こうして彼はブラーフマナの少年にかけられたいわゆる呪いによって祝福されたのでした。
na vā idaṁ rājarṣi-varya citraṁ
bhavatsu kṛṣṇaṁ samanuvrateṣu
ye ’dhyāsanaṁ rāja-kirīṭa-juṣṭaṁ
sadyo jahur bhagavat-pārśva-kāmāḥ

訳語

翻訳

(聖者たちが言った。)主シュリー・クリシュナの継承に厳格に従う、パーンドゥ家の王たちの代表者よ。人格神との永遠な交流を手に入れるために、あなたが多くの王の王冠で飾られた王座を放棄しても、それは特に驚くに値することではない。

解説

政治的な行政地位を占める愚かな政治家は、そのはかない地位こそが人生最高の物質的な利益だと思い、そのため、生涯最期の瞬間にまでその地位にしがみつこうとしています。主の永遠の住処で、主の交流者のひとりとして解放を達成することが、人生の最高の利得であることを知らないのです。人間生活はその究極点を達成するためにあります。主は『バガヴァッド・ギーター』で、神の元に、主の住処に帰って行くことが最高の成就である、と何度も私たちに説いていらっしゃいます。プラフラーダ・マハーラージャは主ヌリシンハに以下のように祈っています。「主よ。私は物質主義的な生き方をとても恐れています。そして、ヌリシンハデーヴァという恐ろしく凶暴なお姿に少しも恐怖心を感じません。物質主義的な生活は挽(ルビ:ひ)き臼(ルビ:うす)のようなもので、誰もがその臼でつぶされています。私たちは波にもてあそばれる生活のなかで恐ろしい渦に巻き込まれています。ですから主よ、私はあなたの蓮華の御足の元で祈ります。私をあなたの召使いのひとりとして永遠な住処に呼び戻してくださいますように。それこそ、物質主義的な生活における最高の解放です。私は物質主義的な生活で例えようもない辛い経験をしています。自分がしたことの結果としてさまざまな生物に生まれるよう強いられ、私は2種類の苦痛を経験してきました。愛する者との別れ、そして望ましくないものとの遭遇です。その苦痛を取り除くために私が選んだ治療法は、その病気そのものより危険なものでした。ですから私は、誕生と死を繰り返し、ある場所から別の場所へと翻弄(ルビ:ほんろう)されてきました。そして今私は、あなたの蓮華の御足に私が身を委ねられるよう祈っています」
世界中のどんな聖者たちよりも優れたパーンダヴァ王家の王たちは、物質主義的な生活がもたらすつらさをよく知っています。帝国の王座というまばゆい光に魅了されることなく、主と永遠にふれあえるよう、主に呼ばれる機会をいつも求めていました。マハーラージャ・パリークシットはマハーラージャ・ユディシュティラの優れた孫でした。マハーラージャ・ユディシュティラは孫に皇帝の座を譲り、さらにマハーラージャ・パリークシットもその座を我が子のジャナメージャヤに譲りました。それが王朝における全ての王の生き方です。主クリシュナの継承に厳格に従っているからです。このように主の献身者は、物質主義的生活というまばゆい光に心奪われず、偽りの、そして幻の物質主義的生活が作り出す姿に執着することなく公平に生きました。
sarve vayaṁ tāvad ihāsmahe ’tha
kalevaraṁ yāvad asau vihāya
lokaṁ paraṁ virajaskaṁ viśokaṁ
yāsyaty ayaṁ bhāgavata-pradhānaḥ

訳語

翻訳

私たちはここで、主の代表的な献身者であるマハーラージャ・パリークシットが、俗な汚れも、どのような嘆きもない至高の惑星に戻って行くまで待つつもりでいる。

解説

空に浮かぶ雲に例えられる物質創造界を超えたところに、ヴァイクンタと呼ばれる無数の惑星が浮かぶ精神界、パラヴョーマがあります。そのヴァイクンタ惑星は人格神が住む無数の精神的ローカで、プルショーッタマローカ、アチュタローカ、トゥリヴィクラマローカ、フリシーケーシャローカ、ケーシャヴァローカ、アニルッダローカ、マーダヴァローカ、プラデュムナローカ、サンカルシャナローカ、シュリーダラローカ、ヴァースデーヴァローカ、アヨーデャーローカ、ドヴァーラカーローカなどの名で知られています。そこに住む生命体は全て、主と同じ精神的な体を持つ解放された魂です。物質的な汚れもそこにはありません。全ては精神的ですから、嘆くようなことも一切ありません。超越的な喜びに満ちあふれ、誕生、死、老い、病気もありません。そしてこれらのヴァイクンタローカの頂点に、主シュリー・クリシュナと特別の交流者たちが住む至上のローカ、すなわちゴーローカ・ヴリンダーヴァナがあります。マハーラージャ・パリークシットはこのローカに到達する定めにあり、集まっていた偉大なリシたちはそれを予見できました。彼らはこの偉大なる王の偉大なる他界について話し合い、これほど偉大な献身者にもう会えなくなることから、最後の瞬間まで見届けたいと考えていました。偉大な献身者が他界しても嘆き悲しむ必要はどこにもありません。間違いなく神の国に入って行くからです。しかし、偉大な献身者たちが私たちの目の前から姿を消してしまうのですから、悲しむ理由はやはりあるのです。私たちの今備えている視覚で主を見ることなどほとんどできないように、偉大な献身者たちを見るということもまた、稀なことなのです。ですから偉大なリシたちは、最後の瞬間までその場にいるという正しい決心をしたのです。
āśrutya tad ṛṣi-gaṇa-vacaḥ parīkṣit
samaṁ madhu-cyud guru cāvyalīkam
ābhāṣatainān abhinandya yuktān
śuśrūṣamāṇaś caritāni viṣṇoḥ

訳語

翻訳

偉大な聖者たちが口にした言葉はどれも耳に心地よく、深淵な意味がこめられ、完璧な真実としてふさわしく述べられた。マハーラージャ・パリークシットは彼らの言葉を聞いたあと、主シュリー・クリシュナ、人格神の活動について聞きたいと思い、偉大な聖者たちを褒め称えた。
samāgatāḥ sarvata eva sarve
vedā yathā mūrti-dharās tri-pṛṣṭhe
nehātha nāmutra ca kaścanārtha
ṛte parānugraham ātma-śīlam

訳語

翻訳

王が言った。「偉大なる聖者の皆様。優しいお気持ちから、宇宙のさまざまな場所からここにお集まりくださいました。至高の知識の権化である皆様は、三界を超えた惑星[サッティヤローカ]に住んでおられます。ですから、人々のためになることだけを心から望んでおられ、現世であろうと来世であろうと、それ以外のものには関心をお持ちではありません」

解説

6種類の富、すなわち財産、力、名声、美、知識、放棄心は、絶対人格神が本来備えているさまざまな特質です。至高の生物の部分体である私たち生命体は、このような特質を部分的に、78%まで備えることができます。物質界では、この特質(主の特質の78%まで)は、太陽が雲に隠されるように、物質エネルギーによって覆われています。さえぎられた太陽の力は、太陽本来の輝きと比べるととても弱いのと同じように、生命体たちが備えるその特色はほとんど消えかかっています。天体系には三界があり、下位、中間、上位に分けられます。地球に住む人間は中間の段階の始まりに位置し、ブラフマー、そして同類の生命体はサッティヤローカを頂点とする上位の世界に住んでいます。サッティヤローカに住む住民はヴェーダの知識に精通しているため、物質エネルギーの覆いが取り払われています。そのため彼らは、ヴェーダの権化として知られています。そして俗的、超越的どちらの知識も完全に備えているため、俗世界にも超越的な世界にも関心がありません。俗な望みがほとんどない献身者たちなのです。彼らにとって俗的な世界で得るべきものはなく、超越的な世界では完璧な存在として暮らしています。ではなぜ、この俗世界に降りてくるのでしょうか。堕落した魂たちを救うために主の命令に従って、救世主としてさまざまな惑星に降りてくるのです。多様な気候条件にあるさまざまな環境にいる人々を幸せにするために降誕します。彼らには、物質エネルギーに惑わされて物質存在の中でさまよえる堕落した魂たちを呼び戻すこと以外にすることは何もありません。
tataś ca vaḥ pṛcchyam imaṁ vipṛcche
viśrabhya viprā iti kṛtyatāyām
sarvātmanā mriyamāṇaiś ca kṛtyaṁ
śuddhaṁ ca tatrāmṛśatābhiyuktāḥ

訳語

翻訳

信頼に値するブラーフマナたちよ。皆様にお尋ねしたいのは、いま私が何をすべきか、ということです。どうかよく熟考されたうえで、どのような状況下でも、誰にとっても、とりわけ死を目前にした者がなすべき真の義務についてお話しください。

解説

この節で、王は博識な聖者たちにふたつの問いを投げかけています。最初は、どのような状況下であっても、誰もが果たすべき義務、2番目は間もなく死のうとする人の義務です。この2つの条件のうち、死にゆく人にかかわる問いが最も切実です。すぐであろうと、あるいは100年後であろうと、誰もが死んで行くからです。何年生きるのかはそれほど問題ではありませんが、死にゆく人の義務は大変重要です。マハーラージャ・パリークシットは、シュカデーヴァ・ゴースヴァーミーが訪れたときにもこのふたつのことについて尋ねており、実は『シュリーマド・バーガヴァタム』全体の主題は、第2編から第12編まで、このふたつの問いに関連して語られています。その結論としてたどり着くのは、主シュリー・クリシュナへの献身奉仕が全ての人々に関する永遠の義務であり、それは主自ら『バガヴァッド・ギーター』の中で確証している通りです。マハーラージャ・パリークシットはすでにこの答えがわかっていたのですが、集まっている偉大な聖者たち全員にそのことを確証してもらうことができれば議論の余地なく、自分の義務を果たせると考えたからです。彼はここでシュッダ、完璧に正しい、という言葉を使っています。超越的な悟り、あるいは自己の悟りのために、数多くの方法がさまざまな段階にいる哲学者によって勧められています。一流の方法もあれば、二流、あるいは三流の方法もあるでしょう。一流の方法では、全ての罪とその反動から救われるため、他の方法を全て捨て、主の蓮華の御足に身を委ねることを必要とします。
tatrābhavad bhagavān vyāsa-putro
yadṛcchayā gām aṭamāno ’napekṣaḥ
alakṣya-liṅgo nija-lābha-tuṣṭo
vṛtaś ca bālair avadhūta-veṣaḥ

訳語

翻訳

そのとき、ヴィヤーサデーヴァの有力な息子がその場に姿を現した。諸国をさすらっていた彼は、何かに関心を寄せることもなく、自らの内で満たされ、どの社会階級や身分にも属さない風格を漂わせている。女性や子どもたちに囲まれ、その存在が人々に無視されているような出で立ちで歩いていた。

解説

バガヴァーンという言葉は、シュカデーヴァ・ゴースヴァーミーのような、主の偉大な献身者たちと結びつけて使われることがあります。解放されたそのような魂たちは、物質界で何が起ころうと頓着しません。献身奉仕から得られる最高の結果で満たされているからです。先に説明したように、シュカデーヴァ・ゴースヴァーミーは正式に精神指導者を受け入れたことも、正式な浄化儀式を受けたこともありません。父、ヴィヤーサデーヴァから『シュリーマド・バーガヴァタム』を聞いたことで、おのずと父が精神指導者になりました。その過程を通し、完全に自己の内で満たされた境地に入りました。何か特定の方法に従っていたわけではありません。完璧な解放にたどり着こうとする人々には特定の方法が必要になりますが、シュリー・シュカデーヴァ・ゴースヴァーミーは父の恩恵を授かったことで、すでにその境地に入っていました。若い男性として、適切な衣服を着るべきところですが、社会の風習には全く関心がなく、裸でさまよっていました。一般大衆に無視され、狂人のようにさまよう彼を、好奇心旺盛な子どもや女性たちが囲んで一緒に歩くのです。こうして気の向くままにさまよっていた果てに、この場に現れたのです。偉大な聖者たちは、マハーラージャ・パリークシットの質問に対して、何をすべきかという結論には至っていなかったようです。精神的解放に関しては、さまざまな人物が多種多様な処方を説いています。しかしやはり、人生の究極目標は、主への献身奉仕という最高完成の境地にたどり着くことです。医者によって対応が違うように、聖者たちにもさまざまな処方箋がありました。そのような状況に登場したのが、ヴィヤーサデーヴァの有力な息子だったのです。
taṁ dvyaṣṭa-varṣaṁ su-kumāra-pāda-
karoru-bāhv-aṁsa-kapola-gātram
cārv-āyatākṣonnasa-tulya-karṇa-
subhrv-ānanaṁ kambu-sujāta-kaṇṭham

訳語

翻訳

このヴィヤーサデーヴァの息子はわずか16歳である。その足、手、太もも、腕、肩、額、体の他の部分はどれも優美な形をしていた。目は大きく美しく、鼻と耳は高い。顔立ちはこの上なく美しく、形のいい首はさながら美しい巻き貝を思い起こさせる。

解説

立派な人物を描写するときはまず足から説明されますが、この節でも、その誉れ高い表現法がシュカデーヴァ・ゴースヴァーミーについて使われています。彼はまだ16歳でした。人は年齢ではなく、その功績によって称えられ、年齢ではなく経験によって、分別ある人間になれるのです。ここでヴィヤーサデーヴァ息子として説明されているシュリー・シュカデーヴァ・ゴースヴァーミーは、弱冠16歳の青年だったのですが、持ち合わせている知識ゆえに、この場に居合わせた聖者全員よりも経験豊かでした。
nigūḍha-jatruṁ pṛthu-tuṅga-vakṣasam
āvarta-nābhiṁ vali-valgūdaraṁ ca
dig-ambaraṁ vaktra-vikīrṇa-keśaṁ
pralamba-bāhuṁ svamarottamābham

訳語

翻訳

鎖骨は雄々しく、胸は広く厚く、へそは深くくぼみ、腹部には美しい線が刻まれている。腕は長く、長い巻き毛がその美しい顔にかかっている。一糸まとわず、その体の色は、主クリシュナの肌を思わせる。

解説

シュカデーヴァ・ゴースヴァーミーの描写からは、その容姿が普通の男性とは異なることがよくわかります。その容姿の描写は、人相学に基づいた典型的な偉人に共通する非凡な姿を表しています。体の色は、神々、そして全生命体の頂点にいる、主クリシュナの肌の色を思わせるのです。
śyāmaṁ sadāpīvya-vayo-’ṅga-lakṣmyā
strīṇāṁ mano-jñaṁ rucira-smitena
pratyutthitās te munayaḥ svāsanebhyas
tal-lakṣaṇa-jñā api gūḍha-varcasam

訳語

翻訳

その肌は黒みがかり、彼の若さゆえにとても美しい。魅力的な容姿とうっとりさせる微笑みが、女性の心を魅了してやまない。自然ににじみ出る栄光を隠そうとするシュカデーヴァ・ゴースヴァーミーだったが、人相学に精通していた偉大な聖者たちは全員立ち上がって彼を讃えた。
sa viṣṇu-rāto ’tithaya āgatāya
tasmai saparyāṁ śirasājahāra
tato nivṛttā hy abudhāḥ striyo ’rbhakā
mahāsane sopaviveśa pūjitaḥ

訳語

翻訳

ヴィシュヌラータ(常にヴィシュヌに守られている者)という名でも知られるマハーラージャ・パリークシットは、頭を深々と下げて主賓のシュカデーヴァ・ゴースヴァーミーを迎えた。この時になって、何も知らない女性や少年たちは、シュリーラ・シュカデーヴァの跡について行くのをやめた。居合わせた全員の敬意を受けたシュカデーヴァ・ゴースヴァーミーは、用意された高座に座った。

解説

その集まりにシュカデーヴァ・ゴースヴァーミーが訪れたことで、シュリーラ・ヴィヤーサデーヴァとナーラダ、その他数人を除く全員が立ち上がり、主の偉大な献身者を迎えたことを喜んだマハーラージャ・パリークシットは、ひれ伏して全身で歓迎の気持ちを表しました。シュカデーヴァ・ゴースヴァーミーも心からの歓迎に応え、抱擁し、手を握り、うなずき、そして特に父とナーラダ・ムニの前にひれ伏しました。それから主賓席を勧められました。シュカデーヴァ・ゴースヴァーミーがパリークシット王と聖者たちにこうして迎えられたとき、ついて来た町の少年や知性の足りない女性たちは、驚き、おじけづきました。そして彼らがそれまでの軽薄な行為をやめたあと、あたりは厳粛で静寂な雰囲気に包まれました。
sa saṁvṛtas tatra mahān mahīyasāṁ
brahmarṣi-rājarṣi-devarṣi-saṅghaiḥ
vyarocatālaṁ bhagavān yathendur
graharkṣa-tārā-nikaraiḥ parītaḥ

訳語

翻訳

次にシュカデーヴァ・ゴースヴァーミーは神聖な聖者や神々に囲まれた。その様子は、月が星々、惑星、天体に囲まれているかのようであった。華麗なその存在が際立ち、あらゆる人々の敬意を一身に受けていた。

解説

神聖な人物の集まりの中には、ブラフマルシのヴィヤーサデーヴァ、デーヴァルシのナーラダ、クシャトリヤ王のなかの偉大な統治者であるパラシュラーマがいました。主の有力な化身の顔もありました。シュカデーヴァ・ゴースヴァーミーはブラフマルシ、ラージャルシ、デーヴァルシなどの名で呼ばれることはありませんし、またナーラダ、ヴャーサ、パラシュラーマのような化身でもありませんでした。それでも、向けられた敬意は彼らを凌ぐほどでした。これは、この世界にいる主の献身者は主自身よりも敬われるということを表しています。ですから私たちは、シュカデーヴァ・ゴースヴァーミーのような献身者の重要性を過小評価するようなことがあってはなりません。
praśāntam āsīnam akuṇṭha-medhasaṁ
muniṁ nṛpo bhāgavato ’bhyupetya
praṇamya mūrdhnāvahitaḥ kṛtāñjalir
natvā girā sūnṛtayānvapṛcchat

訳語

翻訳

聖者シュリー・シュカデーヴァ・ゴースヴァーミーは泰然と座り、知性に満ち、何を尋ねられてもよどみなく答えるつもりでいた。そこへ偉大な献身者、マハーラージャ・パリークシットが歩み寄り、ひれ伏して敬意を表し、合掌しながら甘美な言葉で尋ねた。

解説

師に尋ねるためにとったマハーラージャ・パリークシットのふるまいは、経典の教えに沿っています。経典の教えによると、超越的科学を悟るためにはつつましく精神指導者に近づくように、とあります。いまマハーラージャ・パリークシットは死と向き合う準備をしており、7日という短い間に神の国に入る方法を学ぶ必要に迫られています。これほど差し迫った状況に置かれた人こそ、精神指導者に近づくべきなのです。人生の問題を解決するつもりでなければ、精神指導者に救いを求める必要はありません。どうやって師に物事を尋ねたらいいのか知らない人が、師に会う必要があるでしょうか。精神指導者の資格は、シュカデーヴァ・ゴースヴァーミーという人物によって完璧に示されています。精神指導者と弟子、すなわちシュリー・シュカデーヴァ・ゴースヴァーミーとマハーラージャ・パリークシットは、『シュリーマド・バーガヴァタム』という媒体を通して完成の境地を達成しました。シュカデーヴァ・ゴースヴァーミーは父であるヴィヤーサデーヴァから『シュリーマド・バーガヴァタム』を学びましたが、それを朗唱する機会がありませんでした。マハーラージャ・パリークシットの前で『シュリーマド・バーガヴァタム』を朗唱し、マハーラージャ・パリークシットの問いによどみなく答えることで、精神指導者と弟子は解放を達成したのです。
parīkṣid uvāca
aho adya vayaṁ brahman
sat-sevyāḥ kṣatra-bandhavaḥ
kṛpayātithi-rūpeṇa
bhavadbhis tīrthakāḥ kṛtāḥ

訳語

翻訳

幸運なパリークシットが言った。「ブラーフマナよ。あなたが慈悲の心から私の来賓としてここにいらっしゃることで、この場所を巡礼地と化し、私たちを清めてくださいました。その慈悲ゆえに、何の価値もない私たち王族が、献身者に仕えることができるようになるのです」

解説

シュカデーヴァ・ゴースヴァーミーのような神聖な献身者は、とくに王家の階級のような、世を楽しもうとする者たちに近づこうとはしません。マハーラージャ・プラターパルドラは主チャイタニヤの従者でしたが、主に会いたいと思ったとき、王だった彼に主は会いませんでした。神の元に帰りたいと願う献身者に、厳しく禁じられていることがふたつあります。それは、俗的な享楽者とのつきあい、そして女性との交際です。ですから、模範的な献身者であるシュカデーヴァ・ゴースヴァーミーは国王に会うことに関心はありません。もちろん、マハーラージャ・パリークシットの場合は事情が異なります。王ではあっても偉大な献身者ですから、シュカデーヴァ・ゴースヴァーミーは彼が最期を迎えようとしていたときに会いに来たのです。マハーラージャ・パリークシットは先代の王に匹敵する偉大な王ではあったのですが、献身者としての謙虚な思いから、自分は偉大なクシャトリヤの先祖には到底及ばない無価値な子孫であると感じていました。王族ではあってもその資格のない息子をクシャトゥラ・バンダヴァといい、ブラーフマナの無価値な息子をドゥヴィジャ・バンドゥ、あるいはブラフマ・バンドゥといいます。マハーラージャ・パリークシットはシュカデーヴァ・ゴースヴァーミーの存在に大いに勇気づけられました。その場にいるだけでどんな場所も巡礼地に変える偉大な聖者を目の前にして、自分が浄化されたと感じたのです。
yeṣāṁ saṁsmaraṇāt puṁsāṁ
sadyaḥ śuddhyanti vai gṛhāḥ
kiṁ punar darśana-sparśa-
pāda-śaucāsanādibhiḥ

訳語

翻訳

あなたを思うだけで、私たちの家は瞬く間に神聖化されます。ならばあなたを見る、あなたに触れる、あなたの聖なる御足を洗う、そして家に招いて席をお勧めすることの結果は言うまでもありません。

解説

神聖な巡礼地の重要性は、そこに偉大な聖者や聖人が住んでいるという点にあります。罪深い人々が聖地を訪れ、自分たちの罪をそこに残して帰り、結果としてその罪が積まれていくと言われています。しかしそこに住む偉大な聖者によって罪が清められ、その聖地は、彼らの力でいつでも純粋な状態でありつづけます。もしも聖者が一般人の家を訪ねれば、俗な享楽者が作り出した罪も打ち消されていきます。ですから、聖なる人物は世帯者に個人的な関心があるわけではありません。そのような聖なる人物の唯一の目的は、世帯者の家を清めることですから、聖者が家を訪れるときには、感謝の気持ちを抱かなくてはなりません。聖者の名誉を傷つける世帯者はたいへんな冒涜(ルビ:ぼうとく)者と言えるでしょう。ですから、神聖な人物にひれ伏さない世帯者は、その大きな侮辱を打ち消すために、その日は絶食しなければならない、とされています。
sānnidhyāt te mahā-yogin
pātakāni mahānty api
sadyo naśyanti vai puṁsāṁ
viṣṇor iva suretarāḥ

訳語

翻訳

聖者よ、偉大なる神秘家よ!無神論者が人格神のいるところに居続けられないように、人が克服できない罪は、あなたの存在によってたちどころに克服することができます。

解説

人間は、無神論者と主の献身者の2種類に分けられます。主の献身者は神聖な質を表していることから神々と呼ばれていますが、一方無神論者を悪魔といいます。悪魔は人格神ヴィシュヌの存在に耐えられません。彼らはいつも人格神を負かそうとしているのですが、実際は主の御名、特質、崇高な遊戯、主に関わるもの、多様性などという形で人格神が姿を見せれば、彼らは直ちに打ち負かされます。幽霊は主の聖なる御名が唱えられている場所にはいられない、と言われています。偉大な聖者と主の献身者は、主に関わるもののリストに入っており、神聖な献身者がいるところには、幽霊のような罪はすぐに姿を消します。それが全ヴェーダ経典の意見です。だからこそ神聖な献身者のみとふれあうことが勧められているのであり、それができれば、この世の悪魔も幽霊も、不吉な力を発揮することはできません。
api me bhagavān prītaḥ
kṛṣṇaḥ pāṇḍu-suta-priyaḥ
paitṛ-ṣvaseya-prīty-arthaṁ
tad-gotrasyātta-bāndhavaḥ

訳語

翻訳

パーンドゥ王の息子たちが心から愛する人格神、主クリシュナは、ご自分の従兄弟や兄弟を喜ばせたい一心で私を親族のひとりとして受け入れてくださった。

解説

主の純粋かつ無二の献身者は、幻想でしかない家族に執着している一般人よりも巧みに家族に仕えます。一般的に人々は家族に執着しており、家族への愛情が人間社会の全てを動かす経済的推進力となっています。惑わされたそのような人々は、主の献身者になったほうが家族によりよい奉仕ができることを知りません。主は献身者の家族と子孫に特別な保護を与えます。その家族が献身者ではないとしてもです!マハーラージャ・プラフラーダは主の偉大な献身者でしたが、父ヒラニャカシプはたいへんな無神論で、自ら主の敵と宣言した男でした。それでも、マハーラージャ・プラフラーダの父親だったために解放されました。主はとても親切で、献身者の家族を必ず守ってくれるので、献身者は、献身奉仕をするために家族の元を離れている時でさえ、彼らのことを心配する必要はありません。マハーラージャ・ユディシュティラとその兄弟たちは、主クリシュナの叔母であるクンティーの息子で、パリークシット王は自分がその偉大なパーンダヴァ兄弟のただひとりの孫だからこそ、主クリシュナに寵愛されていることを認めています。
anyathā te ’vyakta-gater
darśanaṁ naḥ kathaṁ nṛṇām
nitarāṁ mriyamāṇānāṁ
saṁsiddhasya vanīyasaḥ

訳語

翻訳

そうでなければ(主クリシュナのお導きがなければ)、普通の人間には知られることなく移動し、また死の淵にいる私たちには見えないあなたが、自ら進んでここに姿を見せてくださることなどありません。

解説

間違いなく言えるのは、偉大な聖者シュカデーヴァ・ゴースヴァーミーが偉大な献身者であるマハーラージャ・パリークシットの前に現れ、そして『シュリーマド・バーガヴァタム』の教えを伝えるために、主クリシュナに導かれたということです。精神指導者と人格神の慈悲を授かれば、主への献身奉仕の核心を得ることができます。精神指導者は私たちが究極の成功を得られるよう主によって遣わされた、そして姿となって現された代表者です。主に権威づけられていない人は精神指導者にはなれません。シュリーラ・シュカデーヴァ・ゴースヴァーミーは正しく認められた精神指導者であり、だからこそマハーラージャ・パリークシットの前に現れ、『シュリーマド・バーガヴァタム』の教えを伝えるよう主から導かれました。主から真の代表者を遣わされることによって主の好意を得た人は、神の元に帰るという究極の成功を達成できます。主の真実の代表者に出会った献身者は、今の体を去った後に間違いなく神の元に帰ることができます。しかしこれは、献身者自身の真剣さにかかっています。主は全生命体のハートの中に座っており、全ての個々の人がどう行動しているのかをよくご存知です。ある魂が神の元に帰りたいと強く願っていることを知ると、主はすぐに真の代表者を遣わせます。こうして主によって、誠実な献身者は神の元に帰ることが保証されるのです。結論として、精神指導者の支えや助けを得ている人は主自身からじかに助けてもらっている、と言えます。
ataḥ pṛcchāmi saṁsiddhiṁ
yogināṁ paramaṁ gurum
puruṣasyeha yat kāryaṁ
mriyamāṇasya sarvathā

訳語

翻訳

あなたは偉大な聖者や献身者たちの精神指導者です。ゆえに全ての人に、特に死を目前としている者に完璧な道を示してくださるよう乞い願います。

解説

完成の道を極めたいと真に願っていない限り、精神指導者に近づく必要はありません。精神指導者は世帯者の飾り物ではありません。一般的に、流行に振り回されている物質主義者は、得るものは何もないにもかかわらず、名ばかりの精神指導者に仕えます。偽の精神指導者はいわゆる弟子たちの機嫌を伺い、その結果、師と従者はどちらも間違いなく地獄に行きます。マハーラージャ・パリークシットは正しい弟子です。関心を抱く全ての人にとって、特に死にゆく人にとって非常に重要な問いを投げかけているからです。マハーラージャ・パリークシットが口にした問いは、『シュリーマド・バーガヴァタム』の完璧な理論の基本原則です。では、偉大な師がこれからいかに知的に答えるかを見てみましょう。
yac chrotavyam atho japyaṁ
yat kartavyaṁ nṛbhiḥ prabho
smartavyaṁ bhajanīyaṁ vā
brūhi yad vā viparyayam

訳語

翻訳

どうかお教えください。人は何を聞き、唱え、思い出し、崇拝すべきかを、そして何をすべきではないかを。どうかこのことを私に説明してください。
nūnaṁ bhagavato brahman
gṛheṣu gṛha-medhinām
na lakṣyate hy avasthānam
api go-dohanaṁ kvacit

訳語

翻訳

強力なブラーフマナよ、あなたは牛の乳を搾るのに必要な時間だけ人の家にとどまると言われています。

解説

放棄階級の神聖な聖人や聖者たちは、早朝、世帯者が牛の乳を搾るときにその家を訪ね、生きるためにわずかの牛乳を乞います。牛の乳房から得られる500ミリリットル程度の牛乳は、大人に必要なビタミンが十分含まれているため、聖人や聖者たちは牛乳だけで生きています。たいへん貧しい世帯者でも最低10頭の牛を飼い、それぞれが10~20リットルぐらいの牛乳を出しますから、托鉢僧がきて牛乳を乞うてもためらうことなく差し出します。世帯者は、自分の子どものように聖人や聖者を養うのが義務です。ですから、シュカデーヴァ・ゴースヴァーミーのような聖者は、早朝、世帯者の家を訪ねても5分以上とどまることはありません。言い換えると、そのような聖者を世帯者の家で見ることはめったにないということであり、ゆえに、マハーラージャ・パリークシットは、シュカデーヴァ・ゴースヴァーミーからできるだけ早く教えを授かることができるよう祈りを捧げているのです。世帯者も、訪ねてきた聖者から超越的な情報を授かるほどの知性を持っていなくてはなりません。市場で手に入るようなものを聖者にせがむのは実に愚かなことです。聖者と世帯者の関係はこのようにあるべきです。
sūta uvāca
evam ābhāṣitaḥ pṛṣṭaḥ
sa rājñā ślakṣṇayā girā
pratyabhāṣata dharma-jño
bhagavān bādarāyaṇiḥ

訳語

翻訳

シュリー・スータ・ゴースヴァーミーが言った。「パリークシット王は、心地よい言葉を使って聖者にこのように話し、尋ねた。そこで、宗教原則を知り偉大かつ強力な人物であるヴィヤーサデーヴァの息子が答え始めた」

解説

これで、バクティヴェーダンタによる『シュリーマド・バーガヴァタム』、第1編・第19章、「シュカデーヴァ・ゴースヴァーミーの降誕」の解説を終了します
第1巻の終わり