シュリーマド・バーガヴァタム 1.19.32
節
parīkṣid uvāca
aho adya vayaṁ brahman
sat-sevyāḥ kṣatra-bandhavaḥ
kṛpayātithi-rūpeṇa
bhavadbhis tīrthakāḥ kṛtāḥ
aho adya vayaṁ brahman
sat-sevyāḥ kṣatra-bandhavaḥ
kṛpayātithi-rūpeṇa
bhavadbhis tīrthakāḥ kṛtāḥ
訳語
parīkṣit uvāca—幸運なマハーラージャ・パリークシットが言った; aho—おお; adya—今日; vayam—私たち; brahman—ブラーフマナよ; sat-sevyāḥ—献身者に仕えることができる; kṣatra—支配階級; bandhavaḥ—友人たち; kṛpayā—あなたの慈悲によって; atithi-rūpeṇa—来賓のように; bhavadbhiḥ—あなたによって; tīrthakāḥ—巡礼地としてふさわしい; kṛtāḥ—あなたによって為されて。
翻訳
幸運なパリークシットが言った。「ブラーフマナよ。あなたが慈悲の心から私の来賓としてここにいらっしゃることで、この場所を巡礼地と化し、私たちを清めてくださいました。その慈悲ゆえに、何の価値もない私たち王族が、献身者に仕えることができるようになるのです」
解説
シュカデーヴァ・ゴースヴァーミーのような神聖な献身者は、とくに王家の階級のような、世を楽しもうとする者たちに近づこうとはしません。マハーラージャ・プラターパルドラは主チャイタニヤの従者でしたが、主に会いたいと思ったとき、王だった彼に主は会いませんでした。神の元に帰りたいと願う献身者に、厳しく禁じられていることがふたつあります。それは、俗的な享楽者とのつきあい、そして女性との交際です。ですから、模範的な献身者であるシュカデーヴァ・ゴースヴァーミーは国王に会うことに関心はありません。もちろん、マハーラージャ・パリークシットの場合は事情が異なります。王ではあっても偉大な献身者ですから、シュカデーヴァ・ゴースヴァーミーは彼が最期を迎えようとしていたときに会いに来たのです。マハーラージャ・パリークシットは先代の王に匹敵する偉大な王ではあったのですが、献身者としての謙虚な思いから、自分は偉大なクシャトリヤの先祖には到底及ばない無価値な子孫であると感じていました。王族ではあってもその資格のない息子をクシャトゥラ・バンダヴァといい、ブラーフマナの無価値な息子をドゥヴィジャ・バンドゥ、あるいはブラフマ・バンドゥといいます。マハーラージャ・パリークシットはシュカデーヴァ・ゴースヴァーミーの存在に大いに勇気づけられました。その場にいるだけでどんな場所も巡礼地に変える偉大な聖者を目の前にして、自分が浄化されたと感じたのです。