バガヴァッド・ギーター あるがままの詩 4.16

kiṁ karma kim akarmeti
kavayo ’py atra mohitāḥ
tat te karma pravakṣyāmi
yaj jñātvā mokṣyase ’śubhāt

訳語

翻訳

活動とは、また無活動とはいかなるものか
賢明な者でも、この定義に迷う。
今、私が活動とは何かを説明しよう。
これを知って君は                  
あらゆる不幸から解放されるのだ。

解説

 クリシュナ意識の活動は、過去の神聖な献身者を手本にしながら行わなくてはならない。このことは第15節で述べられている。なぜ自分勝手に行動してはならないのか、その理由をこれから説明する。
 この章の初めで説明されているように、クリシュナ意識で行動するには、師弟継承上の権威者の指導に従わなくてはならない。クリシュナ意識の体系は、まず最初に太陽神に語られ、太陽神が息子のマヌに、そしてマヌが息子のイクシュヴァークに語り継がれた。それは遠い昔から今に至るまでこの地上で続いている。ゆえに人は、師弟継承上にある権威者の足跡に従って行かなくてはならない。そうしなければ、どれほど聡明な人であろうと、クリシュナ意識が基準となる行動を見て戸惑ってしまう。至高主がアルジュナに直接クリシュナ意識を説こうとお決めになったのは、この理由からである。主からアルジュナに直接語られた教えであるから、その足跡に従おうとする者は決して道を見失うことがないのである。
 不完全な経験から得た知識では、信仰の道を確かめられないと言われる。事実、宗教原則を設定できるのは、至高主以外にはいない。Dharmaṁ tu sākṣād bhagavat-praṇītam. (『シュリーマド・バーガヴァタム』6-3-19)不完全な思索をめぐらして宗教原則を作り出すことなど、誰にもできはしないのだ。人は、ブラフマー、シヴァ、ナーラダ、マヌ、クマーラ、カピラ、プラフラーダ、ビーシュマ、シュカデーヴァ・ゴースヴァーミー、ヤマラージャ、ジャナカ、バリ・マハーラージャのような偉大な権威者たちの足跡に従うべきなのである。あれこれ心で推測しても、宗教とは何か、自己の悟りとは何かなどわかりはしない。だからこそ主は献身者へのいわれのない慈悲から、活動、無活動の何たるかを直接アルジュナに説明なさるのである。物質存在の束縛から解放されるには、クリシュナ意識で行動すること、これしかない。