シュリーマド・バーガヴァタム 1.6.24
節
matir mayi nibaddheyaṁ
na vipadyeta karhicit
prajā-sarga-nirodhe ’pi
smṛtiś ca mad-anugrahāt
na vipadyeta karhicit
prajā-sarga-nirodhe ’pi
smṛtiś ca mad-anugrahāt
訳語
matiḥ—知性; mayi—私に献身的な; nibaddhā—従事して; iyam—この; na—決してない; vipadyeta—離れて; karhicit—どのような時でも; prajā—生命体; sarga—創造のとき; nirodhe—また破壊のとき; api—~でさえ; smṛtiḥ—記憶; ca—そして; mat—私のもの; anugrahāt—~の慈悲で。
翻訳
私への奉仕に使われている知性は、どのようなときでも惑わされることはない。世界が創造されるときでさえも、あるいは破壊されるときでも、あなたの記憶は私の慈悲によって永続する。
解説
人格神に捧げられた奉仕は、決して徒労に終わることはありません。主は永遠ですから、主のために使う知性や主のためにする活動も永遠です。『バガヴァッド・ギーター』では、主のために行う超越的な奉仕は幾生涯もの間蓄えられ、奉仕をした献身者が充分に成熟したときには、積み重ねられた奉仕のおかげで、主との交流の仲間入りを許される、と言われています。神への奉仕の蓄積は決してなくならず、完全に成熟されるまで増大し続けます。