シュリーマド・バーガヴァタム 1.12.30

sa eṣa loke vikhyātaḥ
parīkṣid iti yat prabhuḥ
pūrvaṁ dṛṣṭam anudhyāyan
parīkṣeta nareṣv iha

訳語

翻訳

その子は、パリークシット、すなわち「見定める者」として世界に知れわたることだろう。生まれる前に見た人物を探し求め、出会う人全てを見定めようとするからである。このようにして、いつも主を黙想する人物になるだろう。

解説

マハーラージャ・パリークシットは幸運な人物であったため、母親の胎内にいたときでさえ主の姿を見ることができ、それ以来、主への深い想いが心から離れることはありませんでした。主の崇高な姿が一度心に焼きつけられると、その姿は何があっても忘れることはできません。パリークシットは母親の体から出た後、出会う人全てを、胎内で見たのと同じ人物かどうか見定める習慣がついていました。しかし誰に会っても、その人物と同じくらい、またはその人物よりも魅力的な人はいなかったことから、誰も受け入れることはありませんでした。それでも主は、相手を見極めようとしているパリークシットと共にあり、こうして彼は主を思い出すことでいつも主に献身奉仕をしていたのでした。
シュリーラ・ジーヴァ・ゴースヴァーミーは、どのような子でも、幼い頃に主の姿を心に焼きつければ、やがてマハーラージャ・パリークシットのような偉大な献身者になる、と言っています。主を母親の胎内で見るほどの幸運には恵まれないかもしれませんが、両親がそう望めば可能性はあります。筆者自身の体験を挙げましょう。父は主の純粋な献身者で、私が4歳か5歳のときにラーダーとクリシュナの像を与えてくれました。遊ぶような気持ちで、妹とよくその神像を崇拝し、また近くにあったラーダー・ゴーヴィンダ寺院での儀式などをよく真似ていたものです。この寺院に何度も行くことで、そして儀式を遊びでまねることで、私は主への自然な親近感を高めていきました。父は私の立場にふさわしい儀式も全て教えてくれました。学校や大学で学ぶようになると、そのような習慣はすっかり忘れてしまいました。しかし青年になって、私の精神指導者シュリー・シュリーマド・バクティシッダーンタ・サラスヴァティー・ゴースヴァーミー・マハーラージャに出会ってからは、昔の習慣の記憶がよみがえり、当時は遊びの相手だった神像が、正式な規則に従って崇拝する神像になりました。家族との関係を断つまでこの習慣は続き、寛大な父が最初に主の印象を私に与え、のちに師に導かれて正式な献身奉仕へと高まっていったことを思えば、大きな喜びを感じずにはいられません。プラフラーダ・マハーラージャもそのように助言しています。神聖な絆の印象は幼い頃から心に刻むべきものであり、それができなければ、他の体と同じように人間の体も一時的なものであるにせよ、人間の生涯という価値ある機会を見逃してしまうのです。