シュリーマド・バーガヴァタム 1.10.36

tatra tatra ha tatratyair
hariḥ pratyudyatārhaṇaḥ
sāyaṁ bheje diśaṁ paścād
gaviṣṭho gāṁ gatas tadā

訳語

翻訳

これらの地域を通る際に主は歓迎され、崇拝され、そしてさまざまな贈り物を受け取った。またどこにいても、日が沈めば旅を中断して夕方の儀式をした。この儀式は規則正しく日没後に行われた。

解説

主は、この節にあるように、旅をしている時でも必ず宗教原則に従っていました。主さえも果報的活動という義務に従う必要があった、とする哲学的推論があります。しかし、主の場合はそうではありません。善行や悪行には依存していないのです。主は絶対的なお方ですから、主がすることは全て誰に対しても善をもたらします。しかし、主が地上に降誕する時は、献身者を守り、不信心な非献身者を罰するために行動します。主は義務に従う必要はないのですが、人々が従うことができるように、必要なことは全てします。それが本当の教えです。自ら正しい行為を示し、同じことを他の人に教えます。そうでなければ、盲目的な教えには誰も従いません。主が結果を授けるお方なのです。主は自ら満ち足りたお方ですが、啓示経典の規則に従って行動し、私たちにその方法を示します。そうしなければ、一般人は道を踏み外すことでしょう。しかし、主の超越的な特質を理解した高潔な人物は、主をまねようとはしません。それは不可能なことです。
人間社会にいる主は、万民の義務を行いますが、普通の生命体にはまねのできない途方もないことをします。この節で言われているように、主が従っている夕方の祈りは誰でも従わなくてはなりませんが、山を持ち上げたり、ゴーピーたちと踊りを踊ったりするような行為は、誰にもできません。不潔な場所からでさえ水を蒸発させる太陽のその能力を、誰がまねられるでしょうか。最も力強い主は完全な善行ができますが、そのような行為をまねる人は、永遠の苦しみに苛まれます。ですから、何をするにしても、主の慈悲の権化である精神指導者という経験豊かな案内者に身を委ねるべきです。そうすれば、精神的に高められる道は保証されるでしょう。
これで、『シュリーマド・バーガヴァタム』の第1編・第10章、表題「主クリシュナ、ドヴァーラカーへ帰還する」に関するバクティヴェーダンタの要旨解説を終了します。