バガヴァッド・ギーター あるがままの詩 16.10
節
kāmam āśritya duṣpūraṁ
dambha-māna-madānvitāḥ
mohād gṛhītvāsad-grāhān
pravartante ’śuci-vratāḥ
dambha-māna-madānvitāḥ
mohād gṛhītvāsad-grāhān
pravartante ’śuci-vratāḥ
訳語
kāmam — 欲望 āśritya — ~に保護を求める duṣpūram — 強欲な dambha — 自尊心の māna — そして偽りの名声 mada-anvitāḥ — すっかりうぬぼれて mohāt — 幻想によって gṛhītvā — 取って asat — 永遠でない grāhān — 物 pravartante — 彼らは栄える aśuci — 不浄な者へ vratāḥ — 認めて
翻訳
飽くなき欲望に自らを明け渡し
うぬぼれと偽りの名声に浸って
幻想の中にいる邪悪な者たちは
はかない物に心奪われ
不浄な活動に誓いを立てる。
うぬぼれと偽りの名声に浸って
幻想の中にいる邪悪な者たちは
はかない物に心奪われ
不浄な活動に誓いを立てる。
解説
悪質な人間の心情がここで説明されている。彼らの欲は飽くことを知らず、物質的快楽を求めて終わりのない欲望を際限なく増長させていく。儚い一時的なものばかり求めるがために、常に不安にさらされているというのに、それでもまだ幻想にかられてそのような活動をし続ける。知識がないために、自分たちが間違った方向に向かっていることがわからない。こうした悪質な人々は一時的なものを受け入れて独自の神を捏造し、勝手な聖歌を作り上げては気ままに唱える。その結果、性的快楽と富の蓄積というふたつのものへの執着をさらに強めていく。これに関連して、アシュチ・ヴラターという「不浄な誓い」という意味のサンスクリット語は非常に重要である。こうした悪質な人々が興味を持つのは酒、女性、ギャンブル、肉食だけであり、そのどれもがアシュチすなわち不浄な習慣である。彼らは自尊心と偽りの名声に心奪われて、ヴェーダが認めない勝手な宗教原則を作り上げる。このような邪悪な者たちは世界で最も忌まわしい人間であるにもかかわらず、社会はそんな彼らのために、見せかけの手段で偽りの栄誉を作り上げてしまっている。地獄に向かってすべり堕ちているのに、彼らは自分を高き者だと信じて疑わないのである。