シュリーマド・バーガヴァタム 2.10.49-50

kṣattuḥ kauśāraves tasya
saṁvādo ’dhyātma-saṁśritaḥ
yad vā sa bhagavāṁs tasmai
pṛṣṭas tattvam uvāca ha
brūhi nas tad idaṁ saumya
vidurasya viceṣṭitam
bandhu-tyāga-nimittaṁ ca
yathaivāgatavān punaḥ

訳語

翻訳

シャウナカ・リシは言った:超越的な主題について話し合ったヴィドゥラとマイトレーヤの間でどのような話題が語られたのか、ヴィドゥラが何を問い、マイトレーヤが何と答えたのか、どうか私たちに知らせてください。またヴィドゥラがなぜ家族との繋がりを捨て、なぜ再び家に戻ったのか教えてください。そして巡礼の地にいる間のヴィドゥラの活動についても教えてください。

解説

シュリー・スータ・ゴースヴァーミーは、物質世界の創造と破壊に関する事柄について語っていましたが、シャウナカ率いるリシたちは、物理的な事柄よりもさらに高い水準にある超越的な話題について聞きたいと願っていたのが見てとれます。粗雑な肉体と物質世界に夢中な人たちと、超越的な知識に興味がある、より高い段階にいる人たちという、2種類の人間が存在します。『シュリーマド・バーガヴァタム』は、物質主義者と超越主義者の両者にとって有益です。物質世界と超越世界の、両方における主の栄光ある活動に関して『シュリーマド・バーガヴァタム』を聞くことによって、人間は同じように恩恵を得ることができます。物質主義者たちは物理的な法則や、それらがどのように作用しているのかについて関心を持っており、それらの物質が持つ魅惑的な様相に奇跡を見出します。物質の魅惑的な力のせいで、彼らは主の栄光を忘れてしまうことがあります。しかし物理的な活動とその素晴らしさは全て、主によって引き起こされているとはっきりと知るべきです。庭のバラが徐々に形を取り、色づき、そして美しく、甘い香りを放つのは、盲目的に作用する物理的な法則によるものではありません。一見そう見えるかもしれませんが、物理的な法則の裏には至高主の完全なる意思が存在するのです。そうでなければ、物がそれほど規則的に形を取ることなどありません。画家は細心の注意を払い、芸術的感性をもって見事に薔薇を描きますが、それでも絵に描かれた薔薇は、本物の薔薇のように完璧ではありえません。それならば、本物の薔薇が持つ美しさは、知性なしに生まれたなどと、どうして言えるでしょうか?このような結論は、乏しい知識によるものです。創造と破壊に関する上記の説明から、至高なる意識は偏在しているため、完璧な意識を持って、あらゆる事象に配慮することができると知るべきです。それが至高主が遍在していることの証です。しかし粗野な物質主義者よりも愚かな人たちは自分が超越主義者であると名乗り、至高で遍く満ちる意識を持っていると主張しますが、それについて何の証拠も差し出しません。そのような愚かな人たちは壁の反対側で何が起きているのかすら知ることができませんが、至高なるお方の遠大で遍く満ちる意識を持っていると、誤った自惚れに浸っています。彼らにとっても『シュリーマド・バーガヴァタム』を読むことは助けになります。ただ至高なる意識を持っていると主張するだけでは、至高の意識を持つことにはならないと、彼らの目を覚ましてくれます。まず物質世界において、そのような至高なる意識を持っていることを証明してみせるべきです。しかしナイミシャーランヤのリシたちは、粗野な物質主義者や偽物の超越主義者の域を超えていたため、権威者たちが語る超越的な事柄における本当の真実を知ることに、常に関心を持っていました。