シュリーマド・バーガヴァタム 1.9.15
節
yatra dharma-suto rājā
gadā-pāṇir vṛkodaraḥ
kṛṣṇo ’strī gāṇḍivaṁ cāpaṁ
suhṛt kṛṣṇas tato vipat
gadā-pāṇir vṛkodaraḥ
kṛṣṇo ’strī gāṇḍivaṁ cāpaṁ
suhṛt kṛṣṇas tato vipat
訳語
yatra—~があるところ; dharma-sutaḥ—ダルマラージャの子; rājā—王; gadā-pāṇiḥ—手に強力な戦闘棒を持ち; vṛkodaraḥ—ビーマ; kṛṣṇaḥ—アルジュナ; astrī—武器を持つ者; gāṇḍivam—ガーンディーヴァ; cāpam—弓; suhṛt—幸せを願う者; kṛṣṇaḥ—主クリシュナ、人格神; tataḥ—それについて; vipat—逆境。
翻訳
何という霊妙なる時の力!これは避けられないのだ。さもなければ、宗教を支配する神々の子であるユディシュティラ王、戦闘棒を巧みに操る戦士ビーマ、強力な武器ガーンディーヴァを手にする偉大な射手アルジュナ、そしてとりわけ、パーンダヴァ家の幸福を願う主がいるのだから、このような逆境が起こるはずがないではないか。
解説
パーンダヴァ兄弟は、物質精神両面で十分に支えられていました。物質面では、ふたりの偉大な戦士ビーマとアルジュナに支えられていました。精神面では、王自身が宗教の象徴とも言える人物であり、それにもまして人格神主シュリー・クリシュナが幸福を願う者として兄弟たちの暮らしを自ら見守っていました。にもかかわらず、5人の生涯は受難の連続でした。善行の力、高潔な人格の力、巧みな管理、そして主クリシュナ自らの監督下にある武器の力があっても、パーンダヴァたちは茨の道を歩かなくてはなりませんでした。カーラという逃れられない時の力としか説明がつきません。カーラは主そのものですから、その影響力は、説明できない主自身の意志の表れにほかなりません。ある出来事が人間にはどうしようもない力で起こるのであれば、嘆いても仕方のないことです。