シュリーマド・バーガヴァタム 1.8.21
節
kṛṣṇāya vāsudevāya
devakī-nandanāya ca
nanda-gopa-kumārāya
govindāya namo namaḥ
devakī-nandanāya ca
nanda-gopa-kumārāya
govindāya namo namaḥ
訳語
kṛṣṇāya—至高主; vāsudevāya—ヴァスデーヴァの息子に; devakī-nandanāya—デーヴァキーの息子に; ca—そして; nanda-gopa—ナンダと牛飼いの男性たち; kumārāya—彼らの息子に; govindāya—牛と感覚に活力を与える人格神; namaḥ—敬意を込めたお辞儀; namaḥ—お辞儀。
翻訳
ですから私は、ヴァスデーヴァの息子となった方、デーヴァキーの喜びの源、ナンダとヴリンダーヴァナの牛飼いたちの愛し子、そして牛と感覚に活力を与える主に心から敬意を表します。
解説
主は、どれほど物質的な美質を持っている人物でも近づくことができないことから、尽きることのない、そしていわれのない慈悲の心から、ありのままの姿で地上に降誕しました。それは、純粋無垢な献身者に特別の慈悲を授け、そして邪悪な人間たちの増大を抑えるためでもあります。クンティー女王は、さまざまな化身以上に、特に主クリシュナの化身あるいは降誕を崇めています。その他の化身と比べ、主クリシュナという化身に親しみを感じるからです。ラーマとしての化身で主は、幼い頃から王子として育てられていました。一方でクリシュナの化身は王子でしたが、降誕した直後に両親(ヴァスデーヴァ王とデーヴァキー女王)の元を離れ、ヤショーダーマーイーの元に身を寄せ、神聖な地ヴラジャブーミで普通の牛飼いの少年として暮らしました。そしてその地は、主の幼い頃の遊戯が行われたことから、非常に神聖な場所とされています。ですから、主クリシュナは主ラーマよりも慈悲深いと言えます。もちろん主は、クンティーの兄であるヴァスデーヴァとその家族にとても優しく接していました。ヴァスデーヴァとデーヴァキーの子になっていなければ、クンティー女王は主クリシュナを甥として話しかけることはできなかったはずです。そして親の愛情をもってクリシュナに呼びかけることはできなかったでしょう。しかし、ナンダとヤショーダーは、主の他の遊戯よりもっと魅力的な幼少期の遊戯を味わえたため、ヴァスデーヴァとデーヴァキーよりも幸運です。『ブラフマ・サンヒター』で、根源の地クリシュナローカはチンターマニ・ダーマと描写されています。ヴラジャブーミで繰り広げられた主の幼少期の遊戯は、そのクリシュナローカでの永遠の暮らしの写しであり、その遊戯に匹敵するものはありません。主シュリー・クリシュナは自ら、神々しい仲間や品々と共にヴラジャブーミに現れました。ゆえにシュリー・チャイタニヤ・マハープラブは、ヴラジャブーミの住人たち、特に主を満足させるために全てを捧げた牛飼いの少女たちほど幸運な人たちはいないと断言しました。ナンダとヤショーダーとの遊戯、また牛飼いの男性たちとの遊戯、そして特に牛飼いの少年や牛たちとの遊戯にちなんで、主はゴーヴィンダという名前で呼ばれるようになりました。ゴーヴィンダとしての主クリシュナは、ブラーフマナや牛たちに心が向けられていますが、それは人類の繁栄がブラーフマナ文化と牛の保護に頼っていることを示しています。主クリシュナがブラーフマナや牛の保護がなされていない場所で満足なさることは決してありません。