シュリーマド・バーガヴァタム 1.6.31
節
antar bahiś ca lokāṁs trīn
paryemy askandita-vrataḥ
anugrahān mahā-viṣṇor
avighāta-gatiḥ kvacit
paryemy askandita-vrataḥ
anugrahān mahā-viṣṇor
avighāta-gatiḥ kvacit
訳語
antaḥ—超越界で; bahiḥ—物質界で; ca—そして; lokān—惑星; trīn—3(区分); paryemi—旅する; askandita—途切れない; vrataḥ—誓い; anugrahāt—いわれのない慈悲によって; mahā-viṣṇoḥ—マハー・ヴィシュヌ(カーラノーダカシャーイー・ヴィシュヌ)の; avighāta—制限されることなく; gatiḥ—入ること; kvacit—どのようなときでも。
翻訳
それ以来、全能のヴィシュヌの恩恵によって、私は精神界であろうと、物質の三界であろうと、制約を一切受けずに旅している。これは、私が主に絶え間ない献身奉仕をしているからである。
解説
『バガヴァッド・ギーター』で言われているように、物質界には3つの領域があり、それぞれウールドヴァ・ローカ(高位の惑星)、マディヤ・ローカ(中位の惑星)、アドー・ローカ(下位の惑星)と呼ばれています。ウールドヴァ・ローカ、つまりブラフマローカの上には、宇宙の物質要素の覆いがあり、その領域を超えたところに果てしなく広い精神界があります。精神界には無限で自ら光り輝くヴァイクンタ惑星が広がり、そこには神自らが、永遠に解放されている生命体たちと暮らしています。シュリー・ナーラダ・ムニは、このような精神界と物質界どちらの世界にも自由に行き来でき、その様子は主が自らの創造界を自由に移動するのに似ています。物質界にいる生命体は、徳性、激性、そして無知という自然の三様式の影響を受けています。しかしシュリー・ナーラダ・ムニは物質界の三様式を超えているため、どこにでも自由に行くことができます。解放された宇宙飛行士とも言うべき人物なのです。主ヴィシュヌのいわれのない慈悲はすばらしく、その慈悲は主の恩恵によって献身者だけが感じることができます。ですから、献身者は絶対に道から外れませんが、結果だけにとらわれる物質主義者や推論に頼る哲学者は、自然の様式に操られているために道を踏み外します。先に述べたリシたちは、ナーラダのように崇高な世界に入ることはできません。この事実については『ナラシンハ・プラーナ』で言及されています。マリーチのようなリシたちは果報活動の権威者であり、サナカ、サナータナのようなリシたちは哲学推論の権威者です。しかし、シュリー・ナーラダ・ムニは主へ超越的な献身奉仕をする者の中での第一の権威者です。主の献身奉仕に関わる全ての偉大な権威者は、『ナーラダ・バクティ・スートラ』で述べられているナーラダ・ムニの足跡に従っていますから、主の献身者は誰でも、神の国、ヴァイクンタに入る資格を備えています。