シュリーマド・バーガヴァタム 1.2.15
節
yad-anudhyāsinā yuktāḥ
karma-granthi-nibandhanam
chindanti kovidās tasya
ko na kuryāt kathā-ratim
karma-granthi-nibandhanam
chindanti kovidās tasya
ko na kuryāt kathā-ratim
訳語
yat—であるもの; anudhyā—記憶; asinā—剣; yuktāḥ—~を身につけて; karma—反動的活動; granthi—結び目; nibandhanam—組み合わせる; chindanti—切る; kovidāḥ —知性; tasya—主の; kaḥ—誰; na—ではない; kuryāt—しようとする; kathā —教え; ratim—注意。
翻訳
聡明な人物は、手に剣を持ち、主を思い続けながら結果を生じる活動 [カルマ] という束縛の結び目を切り離す。ならば、主の教えに耳を傾けない者がいるだろうか。
解説
精神的な火花が物質と接触すると、結び目が作られます。果報的活動に伴う行動とその反動から解放されたいと願う人は、その結び目を切り離さなくてはなりません。解脱とは、結果となって生じた活動の連鎖に束縛されない状態のことです。この状態は、人格神の超越的な娯楽を常に覚えている人には、おのずから付随するものです。至高主の活動(主の遊戯)は全て、物質エネルギーの様相を超越しているからです。それらは、全てを魅了してやまない神々しい営みですから、至高主の精神的な遊戯とのふれあいは、束縛された魂を次第に精神的に高め、やがて物質的な束縛という結び目を切り捨ててくれます。
ですから、物質的束縛からの解放は献身奉仕の副産物と言えます。精神的な知識は解脱の獲得に充分ではありません。そのような精神的知識を献身奉仕で包む必要があります。そうすることで最終的に献身奉仕だけが正道として残り、その結果として解脱が達成されます。物質的成果を求めて働いている人の結果を生じる活動さえも、献身奉仕を取り入れることで解脱につながることがあります。献身奉仕と融合したカルマをカルマ・ヨーガ、献身奉仕と融合した経験的知識をジュニャーナ・ヨーガと言います。しかし、純粋なバクティ・ヨーガはそのようなカルマやジュニャーナから独立しています。なぜなら、純粋なバクティ・ヨーガだけで、束縛された生活からの自由はもとより、主への超越的な愛情奉仕も手に入れられるからです。
ですから、知識に乏しい一般人に優る賢明な人は、主について聞き、主を讃え、主を思い、いつでも、絶え間なく主を崇拝することで、主を思い続けなくてはなりません。それが完璧な献身奉仕の方法です。シュリー・チャイタニヤ・マハープラブにバクティ・ヨーガの伝播を任されたヴリンダーヴァナのゴースヴァーミーたちは、この方法に厳格に従い、私たちのために超越的な科学に満ちた文献を数多く残して下さいました。『シュリーマド・バーガヴァタム』や他の由緒正しい経典の教えに基づいて、社会のあらゆる階級と段階の人々が歩むべき道を示してくれたのです。