シュリーマド・バーガヴァタム 1.2.14
節
tasmād ekena manasā
bhagavān sātvatāṁ patiḥ
śrotavyaḥ kīrtitavyaś ca
dhyeyaḥ pūjyaś ca nityadā
bhagavān sātvatāṁ patiḥ
śrotavyaḥ kīrtitavyaś ca
dhyeyaḥ pūjyaś ca nityadā
訳語
tasmāt — ゆえに; ekena — 一点に定めることで; manasā — 心を集中させ; bhagavān — 人格神; sātvatām — 献身者たちの; patiḥ — 守る方; śrotavyaḥ — 聞かれるべきである; kīrtitavyaḥ — 讃えられること; ca — そして; dhyeyaḥ — 思い出されること; pūjyaḥ — 崇拝されること; ca — そして; nityadā — 絶えず。
翻訳
ゆえに私たちは、献身者の保護者である人格神について一心不乱に絶えず聞き、讃え、思い、崇拝しなくてはならない。
解説
絶対真理を悟ることが人生の究極目標であるならば、それは何としてでも実現させなくてはなりません。讃えること、聞くこと、覚えていること、崇拝すること、というこの4つの手段は、先に挙げたどの階級や地位においても共通する務めです。この原則に従わなければ、誰も生き続けることはできません。生命体の活動には、この4つの生活原則に基づく活動が含まれています。特に現代社会では、ほとんどの活動が聞くことと讃えることに支えられています。どのような地位のどのような人でも、新聞で讃えられれば、その内容の正否にかかわらず一夜にして有名人になります。政党の指導者が新聞の宣伝を通して讃えられ、並の政治家がたちまち重要人物に祭りあげられたりします。しかし、称賛に値しない人間を虚飾の宣伝で持ち上げても、その人物にとっても社会にとっても有意義な結果は得られません。そのような宣伝でその場限りの反応はあるかもしれませんが、永続的な結果は生まれません。時間を無駄にしているだけです。称賛に値する真の相手は、万物を私たちの前に具現させた至高人格神です。この事実についてはこのバーガヴァタムの最初のシュローカ、「ジャンマーディ アッシャ」からあまねく言明されました。人を讃え、人の話を聞こうとする姿勢は、称賛に値する真の対象、すなわち至高の存在に向けられなくてはなりません。その心構えが私たちに真の幸福をもたらすのです。