シュリーマド・バーガヴァタム 1.18.28
節
alabdha-tṛṇa-bhūmy-ādir
asamprāptārghya-sūnṛtaḥ
avajñātam ivātmānaṁ
manyamānaś cukopa ha
asamprāptārghya-sūnṛtaḥ
avajñātam ivātmānaṁ
manyamānaś cukopa ha
訳語
alabdha—迎えられなかった; tṛṇa—むしろの席; bhūmi—場所; ādiḥ—など; asamprāpta—適切に迎えられなかった; arghya—接待のための水; sūnṛtaḥ—やさしい言葉; avajñātam—そのように無視されて; iva—そのように; ātmānam—個人的に; manyamānaḥ—そのように考えている; cukopa—怒った; ha—そのように。
翻訳
王は、座る場所、水、歓迎の挨拶など、作法に則ったもてなしを受けなかったため、自分は無視されたと感じ、怒りをあらわにした。
解説
ヴェーダ原則によって規定されている歓迎の作法では、たとえ訪ねてきた相手が敵だとしても丁重にもてなさなくてはならない、とされています。客が、自分の敵の家に来たことを理解できないように迎えます。主クリシュナは、アルジュナとビーマを連れて、マガダ国のジャラーサンダを訪ねましたが、ジャラーサンダ王は、尊敬に値する自らの敵を壮麗に出迎えました。客人でもある敵、つまりビーマはジャラーサンダと戦うことになっていたのですが、それでも丁重な歓迎を受けたのです。夜になれば、友人と客人として座り、昼になれば命をかけて激しく戦いました。それが接待の決まりです。接待の決まりとして、客人が来ても何も出せないほど貧しい人は、質素であっても座るむしろを差し出し、水一杯を出して、やさしい言葉をかけなくてはなりません。ですから、客人を迎えることは、それが友人であろうと敵であろうと、お金はかかりません。大切なのは心のこもったもてなしです。
マハーラージャ・パリークシットはシャミーカ・リシの小屋に入る際、リシからたいそうな歓待を期待していたわけではありません。聖者やリシは物質的に裕福ではないからです。しかしさすがに、質素な座も、一杯の水も、歓迎の言葉もないとは思っていませんでした。ありきたりの客人ではないし、リシの敵でもありませんでしたから、リシから冷淡に迎えられたことに、王はとても驚きました。実際、一杯の水を何よりも求めたので、王には怒る権利があったのです。これほどの由々しい状況に置かれれば王が怒るのもうなずけるのですが、偉大な聖者以上の人物でもあったので、激怒して行動を起こしたことには驚かされます。ですから、これは主の至高の意志によって定められたのだ、と考えてしかるべきところです。王は主の偉大な献身者であり、聖者も王と同等な質を備えていました。しかし主の意志があったからこそ、この状況を通して王が家族との関係や政界から離れ、やがて主クリシュナの蓮華の御足に完全に身を委ねる機会が作り出されたのでした。慈悲深い主は、純粋な献身者たちを物質存在の只中から自分の元に引き寄せるために、このような苦境を作ったりします。しかし外見上は、献身者にとっては困難な状況だと感じられます。主の献身者はいつでも主に守られており、どのような状況に置かれても、それが失敗であろうと成功であろうと、主が献身者にとって最高の導き手であることにかわりありません。ですから純粋な献身者は、どのような挫折も主からの祝福だと受けとるのです。