シュリーマド・バーガヴァタム 1.15.30

gītaṁ bhagavatā jñānaṁ
yat tat saṅgrāma-mūrdhani
kāla-karma-tamo-ruddhaṁ
punar adhyagamat prabhuḥ

訳語

翻訳

主の崇高な遊戯と活動ゆえに、そして主が姿を消したために、アルジュナは人格神が残した教えを忘れてしまったように見える。しかしそうではない。アルジュナは再び感覚の主人になったのである。

解説

束縛された魂は、永遠なる時の力によって、果報的活動の中に包みこまれています。しかし至高主は、地上に化身となって現れても、カーラ、すなわち過去、現在、未来の物質的な概念の影響は受けません。主の活動は永久に続き、その活動は主のアートマ・マーヤー、内的エネルギーの表れです。主の遊戯も活動も全て精神的な質に満ちあふれていますが、俗人の目には物質的な活動と同じレベルの活動としか映りません。アルジュナと主はクルクシェートラの戦場で、敵軍がそうであったように、戦っているように見えたのですが、実際には主は自らの化身としての使命を、そして永遠の友人であるアルジュナとの交流を果たしていたのです。ですから見た目には物質的に思えても、その活動は、アルジュナが超越的な境地にいたことを否定するものではなく、逆に主自ら歌った主の歌という意識をよみがえらせたのです。この意識の復活は、主が『バガヴァッド・ギーター』(18-65)で次のように確証しています。
man-manā bhava mad-bhakto
mad-yājī māṁ namaskuru
mām evaiṣyasi satyaṁ te
pratijāne priyo ’si me
私たちはいつも主を思っていなくてはなりません。心は主をひとときも忘れてはならないのです。主の献身者になって、主に敬意を捧げるのです。その精神をもって生きる人は、間違いなく主の蓮華の御足という庇護を得て主の祝福を授かります。この永遠の真理を疑う余地はみじんもありません。アルジュナは主の親しい友であったため、その秘密が彼に明らかにされたのです。
アルジュナは親族と戦う意思はいささかもありませんでしたが、主の使命をまっとうするために戦いました。いつも主の使命のためだけに行動し、だからこそ、主がこの世界から去ったあとも、たとえ『バガヴァッド・ギーター』の教えを全て忘れたかのように見えても、実は同じ超越的な境地にとどまっていたのです。ですから私たちは、主の使命と歩調を合わせて日々活動するべきであり、そうすることでふるさとへ、神のもとに必ず帰って行くことができます。これこそ人生の最高完成です。