シュリーマド・バーガヴァタム 1.12.34

tena sambhṛta-sambhāro
dharma-putro yudhiṣṭhiraḥ
vājimedhais tribhir bhīto
yajñaiḥ samayajad dharim

訳語

翻訳

王は、その富で馬の供犠を3回執行するための材料を調達することができた。こうして、クルクシェートラの戦いが終結したあとに恐れを抱いていた敬虔な王ユディシュティラは、人格神である主ハリを喜ばせることができたのである。

解説

マハーラージャ・ユディシュティラは理想的かつ名高く信心深い世界の王でしたが、クルクシェートラの戦いで発生した大量殺害のために計り知れない恐怖心に襲われていました。自分を王座に就けるためだけに為された戦争だったからです。ですから、戦争ゆえに起こった惨事全ての責任を負い、その罪を全て打ち消すために、馬の供犠を3回執行したいと考えていました。その儀式には膨大な費用が必要になります。そのためマハーラージャ・ユディシュティラでさえ、マハーラージャ・マルッタが、そしてマルッタ王から寄付として金を受け取ったブラーフマナたちが残した金を集めなくてはなりませんでした。博識なブラーフマナたちは、マハーラージャ・マルッタから与えられた金を全て運び出すことができず、その大部分を残していきました。そして、マハーラージャ・マルッタも、寄付として差し出したその大量の金を回収することもありませんでした。また儀式に使われた後にゴミとして捨てられていた金の皿や道具は、マハーラージャ・ユディシュティラが使うために集めるまで、長くそのままの状態で放置されていました。そこで主シュリー・クリシュナは、マハーラージャ・ユディシュティラの弟たちに、誰も所有権を主張していないその財産を回収するよう助言しました。もともとユディシュティラ王の財産だったからです。さらに驚くべきことに、国民の誰一人として、持ち主のいない金を産業発展などのために使おうとしませんでした。これは、誰もが充分な生活必需品を備え、不要な産業や事業を始めて物欲を満たすつもりがなかったことを物語っています。マハーラージャ・ユディシュティラもまた、膨大な金を回収して人格神、至高主ハリを満足させる供犠を執行しようとしていました。こうした目的がなければ、国の財源としてそのような金を集める気はなかったのです。
マハーラージャ・ユディシュティラの行動から学ぶべきことがあります。ユディシュティラ王は戦場で犯した罪を恐れ、そのために至高の権威者を満足させたいと考えました。これは、私たちも、日々の生活で職務を果たしながら知らず知らずのうちに罪を犯しているということであり、意図していない罪を相殺するためにも、啓示経典に勧められている供犠を執行しなくてはならない、ということです。主は『バガヴァッド・ギーター』で、yajñārthāt karmaṇo 'nyatra loko 'yaṃ karma-bandhanaḥ「権威のない活動や無意識に犯している罪から生じる反動を全て取り除くために、経典が勧める儀式を行なわなくてはならない」と述べています。そうすることで、あらゆる罪の反動を避けることができるのです。興味や快楽の赴くままに生きる人は、罪ゆえに発生する試練を受けなくてはなりません。ですから、儀式をする最も大切な目的は至高人格者ハリを満足させることにあります。その方法は時間、場所、人に応じて異なっても、目的はただひとつ、至高主ハリを満足させることしかありません。それが敬虔な生活であり、全世界に平和と繁栄をもたらす方法です。マハーラージャ・ユディシュティラは、世界を治める信心深く理想的な国王として、その全てを果たしたのでした。
仮に、マハーラージ・ユディシュティラが、人や動物の殺害が正当化される国政において毎日の義務を全うすることで罪人になるというなら、至高主を喜ばせず、儀式をする手段もなく、訓練も受けていないカリ・ユガの人々がどれほどの罪を意識的に、そして無意識に犯しているか、たやすく想像できます。ですから『シュリーマド・バーガヴァタム』(1-2-13)は、人類の主要な義務は、定められた本務を果たすことで至高主を満足させることにある、と述べています。
どんな場所、社会、階級、信条の人間であっても、その特定の場所、時代、人のために経典が勧める儀式をしなくてはなりません。ヴェーダ経典では、kīrtanād eva kṛṣṇasya mukta-saṅgaḥ paraṃ vrajet(「カリ・ユガの人々は、クリシュナの聖なる名前を冒涜することなく唱え、主を讃えるべきである」と勧められています。そうすればあらゆる罪から解放され、ふるさとへ、神の元へ帰るという至上の完成に到達することができます。私たちはそのことを、この偉大な書物のさまざまな箇所で何度か議論し、特に主シュリー・チャイタニヤ・マハープラブの生涯を概説するところで触れましたが、社会に平和と繁栄をもたらすために、同じ教えを繰り返し説明しています。
私たちが何をすれば主を満足させられるか、主自らが『バガヴァッド・ギーター』で公に宣言し、またその同じ方法が主シュリー・チャイタニヤ・マハープラブの生涯と布教活動を通して示されています。至高主ハリ(全ての苦しみから私たちを解放させる方、人格神)を喜ばせるヤジュニャすわなち儀式を執行する完璧な方法は、争いと意見の衝突に満ちたこの暗黒の時代に降誕なさった主シュリー・チャイタニヤ・マハープラブの方法に従うことにあります。
マハーラージャ・ユディシュティラは、豊かな時代に馬の供犠に必要な品を確保するため、大量の金を集める必要がありましたが、全てが不足し、金もほとんどない現代にそのようなヤジュニャができるわけがありません。今は、紙幣の山を持たされ、やがて景気が良くなればそれが金に変わると約束されている時代ですが、マハーラージャ・ユディシュティラが費やした富に匹敵する冨は、個人でも集団でも、あるいは国でも用意することはできません。ですから現代にふさわしい方法は、シャーストラにもとづいて主シュリー・チャイタニヤ・マハープラブが勧めた方法です。費用は一切かからないにもかかわらず、膨大な費用がかかるヤジュニャの執行よりも素晴らしい恩恵を授かることができるのです。
ヴェーダの原則に基づいて行なわれる馬や牛の供犠は、動物を殺す手段と誤解されてはなりません。ヤジュニャで捧げられた動物は、ヴェーダ聖歌の吟唱という超越的な力によって新しい生涯を与えられ、若返ることができます。その吟唱がもたらすものは、適切になされれば俗人が考えるものとは全く違ったものとなります。ヴェーダ・マントラは全て実用的であり、捧げられた動物が若返ることがその証拠です。
現代の名前だけのブラーフマナや僧侶がヴェーダ聖歌を唱えても、正しい方法に沿った唱名にはなりません。正しい訓練を受けていない再誕の家庭の子孫は、本来のブラーフマナとはかけ離れており、彼らはシュードラ、すなわち「1回だけ生まれた人間」と呼ばれています。1回誕生しただけの人にヴェーダ聖歌を唱える資格はなく、彼らが根源のマントラを唱えても実益は得られません。
主シュリー・チャイタニヤ・マハープラブはそんな彼ら全員を救うために、サンキールタン運動、すなわち全ての実益を満たすヤジュニャを提唱されました。そして現代人は、この確実かつ承認された道に従うよう強く勧められているのです。