バガヴァッド・ギーター あるがままの詩 4.33
節
śreyān dravya-mayād yajñāj
jñāna-yajñaḥ paran-tapa
sarvaṁ karmākhilaṁ pārtha
jñāne parisamāpyate
jñāna-yajñaḥ paran-tapa
sarvaṁ karmākhilaṁ pārtha
jñāne parisamāpyate
訳語
śreyān — より偉大な dravya-mayāt — 物質的所有物の yajñāt — 供養よりも jñāna-yajñaḥ — 知識の供養 paran‐tapa — 敵を討ちこらす者よ sarvam — すべての karma — 活動 akhilam — 全体で pārtha — プリターの子よ jñāne — 知識において parisamāpyate — 終える
翻訳
敵を討ちこらす者よ
知識ある供養は物質の供養よりはるかに優る。
プリターの子よ
供養なる活動は人を超越知識に導くのだ。
知識ある供養は物質の供養よりはるかに優る。
プリターの子よ
供養なる活動は人を超越知識に導くのだ。
解説
あらゆる供養の目的は、完全な知識に行き着くこと。そして物質的苦悩から解放され、最終的には至高主への超越的な愛情奉仕(クリシュナ意識)に就くことである。とはいえ、こうしたさまざまな供養には奥義があり、これを知らなくてはならない。人はそれぞれ独自の信念を持っているため、供養の行い方も違う場合がある。超越的知識に信念を持てる段階になって供養をする人は、何の知識もなくただ財産を供えるだけの人より、ずっと高い段階にある。知識の伴わない儀式は物質的なものにすぎず、精神的恩恵が得られないからである。本当の知識は、超越的知識の最高峰であるクリシュナ意識へと人を導く。知識の向上を望めない儀式は、物質的活動でしかないのだ。しかし超越的知識の段階にまで向上すると、そうした活動はすべて精神的段階のものとなる。行う人の意識によって、供養はカルマ・カーンダ(結果を求める活動)にもなれば、ジュニャーナ・カーンダ(真実を追求する知識)にもなる。人生の終わりをジュニャーナ・カーンダで終えることのほうがより良いのは、明らかである。