シュリーマド・バーガヴァタム 2.8.26

na me ’savaḥ parāyanti
brahmann anaśanād amī
pibato ’cyuta-pīyūṣam
tad vākya-abdhi-viniḥsṛtam

訳語

翻訳

博識なブラーフマナよ、私はあなたの言葉の海から溢れ出す、完全無欠な人格神の教えの甘露を飲んでいるため、断食による憔悴を全く感じません。

解説

 ブラフマー、ナーラダ、ヴィヤーサ、シュカデーヴァ・ゴースヴァーミーから伝わる師弟継承は他の継承と特に異なります。他の聖者から伝わる師弟継承は、アチュタ・カター、すなわち完全無欠の主に関する教えに欠けているため、時間の無駄に過ぎないのです。思索家は根拠と議論を並べて自らの理論をうまく提示するかもしれませんが、それらの根拠と議論はより優れた思索家によって打ち負かされるため、完全無欠ではありません。マハーラージャ・パリークシットはうつろいやすい心による無味乾燥な推論ではなく、主に関する話題に興味を抱いていました。なぜならシュカデーヴァ・ゴースヴァーミーの口から甘露のような教えを聞くことで、間近に迫った死のために備えて断食を行いながらも、まったく憔悴を感じなかったからです。
 思索家の話に身を入れて聞くことはできても、長時間にわたって聞き続けることはできません。そうした陳腐な思考の在り方を聞くのにはすぐに疲れてしまいますし、そのような無意味な推論を聞いて満足する人などこの世に存在しないのです。主の教えは、特にシュカデーヴァ・ゴースヴァーミーのような人から聞くならばなおさら、何らかの理由で憔悴した人でさえも、それによって疲れることなど決してないのです。
『シュリーマド・バーガヴァタム』の幾つかの版では、最後の節にanyatr、a kupitād dvijāt、つまり王は蛇に嚙まれたために、迫りくる死への思いで打ちのめされているだろう、と書かれています。蛇もまた再誕者であり、その怒りは、正しい知性を持ち合わせることなしに呪いをかけたブラーフマナーの少年と、比較されています。マハーラージャ・パリークシットは主の教えに勇気づけられていたため、全く死を恐れてはいませんでした。アチュタ・カターに完全に没頭している者は、この世界において恐れるべきことなど何一つないのです。