シュリーマド・バーガヴァタム 2.8.1
節
rājovāca
brahmaṇā codito brahman
guṇākhyāne ’guṇasya ca
yasmai yasmai yathā prāha
nārado deva-darśanaḥ
brahmaṇā codito brahman
guṇākhyāne ’guṇasya ca
yasmai yasmai yathā prāha
nārado deva-darśanaḥ
訳語
rājā — 王; uvāca — 問いかけた; brahmaṇā — 主ブラフマーによって; coditaḥ — 指示されて; brahman — 博識なブラーフマナよ(シュカデーヴァ・ゴースヴァーミー); guṇa-ākhyāne — 超越的な質を語るにあたって; aguṇasya — 物質的な質を持たない、主の; ca — そして; yasmai yasmai — そして誰; yathā — 〜のように; prāha — 説明した; nāradaḥ — ナーラダ・ムニ; deva-darśanaḥ — 彼の聴衆は神々の聴衆と同じくらい幸運である
翻訳
パリークシット王はシュカデーヴァ・ゴースヴァーミーに尋ねた。ナーラダ・ムニの教えを聞く者は、主ブラフマーから教えを授かった者たちと同じくらい幸運だと言えますが、そのナーラダ・ムニは、物質的な質を持たない主の超越的な質についてどのように説明し、そして誰にそれを語ったのですか?」
解説
デーヴァリシ・ナーラダはブラフマージーから直接教えを授かっており、そのブラフマージーは至高主から直接教えを授かりました。したがって、ナーラダから彼の弟子たちに与えられた教えは至高主の教えと同じほどにすばらしいものです。これこそがヴェーダの知識を理解する方法です。知識は師弟継承を通じて主から授けられるのであり、この超越的な知識はこのように上から下へと伝えられる形で世界中に広められます。しかし憶測によってヴェーダ知識を受け取ることは不可能です。ナーラダ・ムニはどこへ現れるにしても主によって権限を与えられた者としてふるまうため、彼の出現は至高主の出現と同じくらいすばらしいことなのです。同様に、超越的な教えに厳格に従う師弟継承が正真正銘の師弟継承であり、真正な精神指導者を見極める基準は、主から献身者へ授けられた知識と、師弟継承上の権威者によって与えられた知識の間に違いが存在しないことです。ナーラダ・ムニがどのようにして主の超越的な知識を広めたのかについては続く編にて説明されていきます。
また主は物質創造以前に存在しており、それゆえ主の超越的な御名や資質などはどんな物質的な質も表さないということが明らかになっていきます。ですから主がアグナ、つまり何の質も持たないと描写されている場合、主には何の質もないということではなく、束縛された魂が持つような徳、激情、無知の様式などの物質的な質を持たないという意味なのです。主はあらゆる物質的な概念を超越しているため、アグナと呼ばれているのです。