シュリーマド・バーガヴァタム 2.7.19
節
tubhyaṁ ca nārada bhṛśaṁ bhagavān vivṛddha-
bhāvena sādhu parituṣṭa uvāca yogam
jñānaṁ ca bhāgavatam ātma-satattva-dīpaṁ
yad vāsudeva-śaraṇā vidur añjasaiva
bhāvena sādhu parituṣṭa uvāca yogam
jñānaṁ ca bhāgavatam ātma-satattva-dīpaṁ
yad vāsudeva-śaraṇā vidur añjasaiva
訳語
tubhyam — あなたに; ca — 〜もまた; nārada —ナーラダよ; bhṛśam — とても良く; bhagavān — 人格神; vivṛddha — 発達した; bhāvena — 超越的な愛によって; sādhu — あなたの高貴; parituṣṭaḥ — 満足して; uvāca — 説明した; yogam — 奉仕; jñānam — 知識; ca — 〜もまた; bhāgavatam — 神の科学と神への献身奉仕; ātma — 自己; sa-tattva — 全詳細とともに; dīpam — 暗闇の中の明かりのように; yat — 〜であるもの; vāsudeva-śaraṇāḥ — 主ヴァースデーヴァに身を委ねた魂である者; viduḥ — それらを知る; añjasā — 完璧に良く; eva — あるがまま
翻訳
ナーラダよ、お前は人格神のハムサーヴァターラ化身から神の科学と神への超越的な愛情奉仕について教わった。主はお前が献身奉仕に熱心に励むのを見て非常に満足なさった。そしてまた、人格神、主ヴァースデーヴァに身を委ねた魂である者たちこそが理解できる、献身奉仕の科学の全てをお前に明確に説明なさったのだ。
解説
献身者と献身奉仕は相関的な言葉です。主の献身者になろうという気持ちがなければ、献身奉仕の細部に足を踏み入れることはできません。主シュリー・クリシュナがシュリー・アルジュナに献身奉仕の科学である『バガヴァッド・ギーター 』を説明しようと望まれたのは、アルジュナが自身の友であっただけではなく、主の偉大な献身者でもあったからです。あらゆる生命体は本来至高の生命体、絶対人格神の部分体であるため、それに比例してわずかな独立性も持ち合わせています。主の献身奉仕を始める最初の資格は自発的な協力者になることであり、したがって主の超越的な献身奉仕にすでに従事している者に自ら協力しなくてはなりません。そのような人たちに協力することで候補者は徐々に献身奉仕の術を学んでいき、その学習の進歩に応じて物質と関係を持つことによる汚れから解放されていきます。このような浄化方法は、人を確固たる信念に固定させ、徐々に献身奉仕に対する超越的な味わいを得られる段階にまで高められます。したがって、彼は主への献身奉仕に心から惹かれるようになり、彼のその確信が、超越的な愛の段階の一歩手前の恍惚の段階へと自身を引き上げるのです。
献身奉仕に関するそのような知識は、献身奉仕の性質に関する予備的知識とその実践に関する二次的知識という、2つの部分に分けることができます。『バーガヴァタム』は人格神と主の美しさ、名声、富、品格、魅力、そして超越的な質に関するものであり、それらの描写は、主との愛情交換へと人を魅了します。生命体が主への愛情奉仕に惹かれることは自然なことですが、この愛情奉仕への望みは物質と関わりを持つことで不自然に覆われてしまいます。そして『シュリーマド・バーガヴァタム』が、その不自然な覆いをすっかり取り除く助けをしてくれるのです。したがって、『シュリーマド・バーガヴァタム』は超越的知識の灯火のような役割を果たすと、ここでは特に述べられています。献身奉仕における超越的な知識のこの2つの部分は、ヴァースデーヴァに身を委ねた魂である者にだけ明かされます。『バガヴァッド・ギーター 』(7-19)で述べられているように、ヴァースデーヴァの蓮華の御足に完全に身を委ねたそのような偉大な魂は非常に稀なのです。