シュリーマド・バーガヴァタム 2.6.28
節
iti sambhṛta-sambhāraḥ
puruṣāvayavair aham
tam eva puruṣaṁ yajñaṁ
tenaivāyajam īśvaram
puruṣāvayavair aham
tam eva puruṣaṁ yajñaṁ
tenaivāyajam īśvaram
訳語
iti — ゆえに; sambhṛta — 実行した; sambhāraḥ — 十分に備えた; puruṣa — 人格神; avayavaiḥ — 部分によって; aham — 私; tam eva — 主に; puruṣam —人格神; yajñam — あらゆる儀式の享楽者; tena eva — それら全てによって; ayajam —崇拝した; īśvaram — 至高なる支配者
翻訳
ゆえに私は供犠の享楽者である至高主の体の部分から、供犠を行うための材料と品々を作り出し、主を満足させるために、供犠を執り行った。
解説
大半の人々はいつも心の平穏や世界の平和を切望していますが、そのような世界平和を達成する方法を知りません。そのような平和は供犠の実行と苦行の修練によって達成できます。『バガヴァッド・ギーター 』(5-29)で以下のように指示されています。
bhoktāraṁ yajña-tapasāṁ
sarva-loka-maheśvaram
suhṛdaṁ sarva-bhūtānāṁ
jñātvā māṁ śāntim ṛcchati
sarva-loka-maheśvaram
suhṛdaṁ sarva-bhūtānāṁ
jñātvā māṁ śāntim ṛcchati
カルマ・ヨーギーは、至高主があらゆる供犠と禁欲的生活の事実上の享楽者であり、維持者であることを知っています。また彼らは主があらゆる惑星の究極の所有者であり、全ての生命体の実際の友であることも知っています。そのような知識によって、カルマ・ヨーギーは純粋な献身者との交流を通して徐々に主の純粋な献身者に変わっていきます。それにより、彼らは物質的束縛から解放されることができるのです。
物質界における根源の生命体であるブラフマーは、私たちに供犠の方法を教示しました。供犠という言葉は、別の人を満足させるために自分の利益を捧げることを暗示しています。それがあらゆる活動のあり方です。誰もが家族、社会、地域、国、人間社会全体などの形をとって現れる誰かのために、自分の利益を犠牲にしています。しかしそのような供犠は至高なるお方、主のために行われるときに初めて、完成の域に達します。主が全ての所有者、あらゆる生命体の友、儀式を行う者の維持者であり、そしてまた儀式に必要な材料の提供者であるため、全ての供儀は、主ただ一人だけを満足させるためにあるのです。
全世界が教育の発展、社会的向上、経済発展、そして人間が置かれている状況の全体的な改善のための計画に力を犠牲にしていますが、『バガヴァッド・ギーター』で勧められているように、主のために何かを犠牲にすることに関心を持つ者はいません。だからこそ世界には平和がないのです。もし人々が本当に世界の平和を望むのであれば、至高なる所有者、全ての友であるお方のために、供犠を執り行わなくてはならないのです。