シュリーマド・バーガヴァタム 2.5.26-29
節
nabhaso ’tha vikurvāṇād
abhūt sparśa-guṇo ’nilaḥ
parānvayāc chabdavāṁś ca
prāṇa ojaḥ saho balam
abhūt sparśa-guṇo ’nilaḥ
parānvayāc chabdavāṁś ca
prāṇa ojaḥ saho balam
vāyor api vikurvāṇāt
kāla-karma-svabhāvataḥ
udapadyata tejo vai
rūpavat sparśa-śabdavat
kāla-karma-svabhāvataḥ
udapadyata tejo vai
rūpavat sparśa-śabdavat
tejasas tu vikurvāṇād
āsīd ambho rasātmakam
rūpavat sparśavac cāmbho
ghoṣavac ca parānvayāt
āsīd ambho rasātmakam
rūpavat sparśavac cāmbho
ghoṣavac ca parānvayāt
viśeṣas tu vikurvāṇād
ambhaso gandhavān abhūt
parānvayād rasa-sparśa-
śabda-rūpa-guṇānvitaḥ
ambhaso gandhavān abhūt
parānvayād rasa-sparśa-
śabda-rūpa-guṇānvitaḥ
訳語
nabhasaḥ — 空間の; atha — このように; vikurvāṇāt — 一変されて; abhūt — 造られた; sparśa — 触覚; guṇaḥ — 質; anilaḥ — 空気; para — 以前の; anvayāt — 連続によって; śabdavān — 音で満ち; ca — ~もまた; prāṇaḥ — 命; ojaḥ — 感覚の認識; sahaḥ — 豊かな; balam — 強さ; vāyoḥ — 空気の; api — ~もまた; vikurvāṇāt — 変換によって; kāla — 時; karma — 過去の反動; svabhāvataḥ — 自然を基盤として; udapadyata — 創造された; tejaḥ — 火; vai — 正しく; rūpavat — 姿をもって; sparśa — 触覚; śabdavat — 音も伴って; tejasaḥ — 火の; tu — しかし; vikurvāṇāt — 変換される際に; āsīt — そのように起こった; ambhaḥ — 水; rasa-ātmakam — 水分から成る; rūpavat — 姿をもって; sparśavat — 接触して; ca — そして; ambhaḥ — 水; ghoṣavat — 音を立てて; ca — そして; para — 以前の; anvayāt — 連続によって; viśeṣaḥ — 多様性; tu — しかし; vikurvāṇāt — 変換によって; ambhasaḥ — 水の; gandhavān — においのする; abhūt — なった; para — 以前の; anvayāt — 連続によって; rasa — ジュース; sparśa — 接触; śabda — 音; rūpa-guṇa-anvitaḥ —質的な
翻訳
空間が変容することにより、空気が触感の質を伴って生成される。そしてその前の要素を引き継ぐことから、空気もまた音に満ち、そして感覚の認識、精神力と体力という生命力持続の基本要素に満ちあふれている。時間と自然の流れによって空気が変容する時、触感と音を伴った形をとって、火が生成される。さらに火が変容することで、水分と味を備えた水が現れる。前の要素と同様、水は形と触感を持ち、そして音に満ちている。その次に、水はこうした多様な質をもつものから土へと変容し、匂いが現れるが、その土もそれ以前の要素と同じように、水分と触感と形というそれぞれの質に満ちているのである。
解説
創造の全過程は、ある要素から別の要素へと徐々に進化していく活動であり、木、植物、山、河、爬虫類、鳥、動物、人間というような、この地上にある多種多様なものへと移り変わります。知覚の質も進化し、音から造られ、それから触感、そして触感から形へと変わります。空間、空気、火、水、土が少しずつ発達するにつれ、味と匂いも生成されます。それらは互いにそれぞれの原因であり結果であるのですが、根源の原因は、マハト・タットヴァの原因の海に横たわっておられるマハー・ヴィシュヌという、主御自身の完全部分体です。だからこそ『ブラフマ・サンヒター』の中で、主クリシュナはあらゆる原因の原因であると述べられているのです。そしてこのことは『バガヴァッド・ギーター』(10-8)で、次のように確証されています。
ahaṁ sarvasya prabhavo
mattaḥ sarvaṁ pravartate
iti matvā bhajante māṁ
budhā bhāva-samanvitāḥ
mattaḥ sarvaṁ pravartate
iti matvā bhajante māṁ
budhā bhāva-samanvitāḥ
知覚の性質は土において完全に表れますが、他の要素にはそれほど表れていません。空間には音だけがあるのに対し、空気には音と感触があります。火には音と、感触と、形があり、水には音、感触、形という知覚に加えて味もあります。しかし土には上述の全ての質がある上に、匂いというさらに発展した性質も含まれています。ですから地上では生命が多種多様な形で表れていますが、それらはもともと空気の基本要素から始まっているのです。体が病気になるのは、生命体の土の要素を持つ体内の気が乱れるためです。精神的な病気は体内の気が特別な乱れ方をした結果であり、したがって、体の病気をなくすためには、気を正しく整えるヨーガの修練が特に有益です。こうした修練が正しく行われると寿命が延び、死を支配することもできます。完璧なヨーギーは死を意のままに操り、望む惑星へ移動するのにふさわしい瞬間に肉体を離れます。しかしバクティ・ヨーギーは、あらゆるヨーギーを超越しています。なぜなら献身奉仕の力によって物質的な空間を超えたところへと昇り詰め、万物の支配者である主の至高のご意志によって、精神世界にある惑星に行くことができるからです。