シュリーマド・バーガヴァタム 2.5.17
節
tasyāpi draṣṭur īśasya
kūṭa-sthasyākhilātmanaḥ
sṛjyaṁ sṛjāmi sṛṣṭo ’ham
īkṣayaivābhicoditaḥ
kūṭa-sthasyākhilātmanaḥ
sṛjyaṁ sṛjāmi sṛṣṭo ’ham
īkṣayaivābhicoditaḥ
訳語
tasya — 主の; api — 確かに; draṣṭuḥ — 見る者の; īśasya — 支配する者の; kūṭa-sthasya — 誰もの知性を超えるお方の; akhila-ātmanaḥ — 至高の魂の; sṛjyam — 既に創造されたもの; sṛjāmi — 私は発見する; sṛṣṭaḥ — 創造された; aham — 私自身; īkṣayā — 一瞥によって; eva — ちょうど; abhicoditaḥ — 主に思い起こされて
翻訳
ただ主だけにインスピレーションを受けた私は、遍満する至高の魂の視野をもって、主(ナーラーヤナ)がすでに創造したものについて知り、そして私自身もまた、ただ主お一人によって創造された存在であることを知った。
解説
宇宙の創造者であるブラフマーでさえ、自分は本当の創造者ではなく、ただ主ナーラーヤナにインスピレーションを受け、あらゆる生命体の至高の魂である主が既に創造したものを、ただ主の監督のもとで創造しているだけなのだと認めています。至高の魂と個々の魂という二つの魂が生命体の内に存在するということは、宇宙最高の権威者にも認められているのです。至高の魂は至高主、すなわち人格神ですが、個々の魂は主の永遠なる召使いです。主が個々の魂を奮い立たせ、ご自身が既に創造なさったものを創造させ、その主のご意志によって世界で何かを発見した人が発見者であるとみなされます。コロンブスが西半球を発見したと言われていますが、実際にはその土地はコロンブスが創造したのではありません。その広大な土地は全能なる至高主によってすでにそこに存在していたのであり、コロンブスは過去にした主への奉仕によって、アメリカ大陸発見という功績が与えられたのです。同様に、誰もが自らの能力によって物事を見るのですから、主の許可なくしては誰も何も創ることはできません。その能力も、その人自身の、主に奉仕をしたい気持ちに比例して、主から与えられるものです。ですから人は、自ら進んで主に仕えたいと望むべきです。そうすれば主はその人が主の蓮華の御足に身を委ねる度合いによって力を与えてくださいます。主ブラフマーは主の偉大な献身者です。だからこそ彼は今私たちの目の前に現れているような宇宙を創造するよう主から力を与えられ、インスピレーションを受けたのです。主はアルジュナにも、クルクシェートラの戦場で戦うようにと、次のように激励しました。
tasmāt tvam uttiṣṭha yaśo labhasva
jitvā śatrūn bhuṅkṣva rājyaṁ samṛddham
mayaivaite nihatāḥ pūrvam eva
nimitta-mātraṁ bhava savyasācin
jitvā śatrūn bhuṅkṣva rājyaṁ samṛddham
mayaivaite nihatāḥ pūrvam eva
nimitta-mātraṁ bhava savyasācin
(『バガヴァッド・ギーター』11-33)
クルクシェートラの戦争、あるいはいつどこで起こる争いであろうと、主の許可なくしてそのような大量壊滅を起こすことなど誰にもできないため、それらは主の御意志によって起こるものです。ドゥルヨーダナの一団はクリシュナの偉大な献身者であるドラウパディーを辱しめ、彼女はこの不当な侮辱を黙って見ている者たちだけでなく、クリシュナにも救いを求めました。それから主はアルジュナに、戦って功績を挙げるよう助言しましたが、アルジュナがその助言に従わなかったとしても、ドゥルヨーダナの一団は主のご意志によっていずれにしても殺されることになっていました。つまりアルジュナは、ただ行為者となってビーシュマやカルナのような偉大な将軍たちを殺す手柄を立てよと勧められたのでした。
『カタ・ウパニシャッド』のようなヴェーダ文献では、主はサルヴァ・ブータ・アンタラートマー、すなわち全ての者の体内に宿り、主に身を委ねる魂のために何もかも指図なさる人格神として述べられています。主に身を委ねない者は物質自然の管理下に入れられる (bhrāmayan sarva-bhūtāni yantrārūḍhāni māyayā) ため、自らの判断で物事を行うことを許され、自らその結果に苦しむことになります。ブラフマーやアルジュナのような献身者は何事も自分の好きなようには行わず、常に主からの指示を待つという完全に身を委ねた魂です。ですから彼らは普通の人にとっては驚異的だと思われるようなことに挑戦するのです。主のお名前のひとつにウルクラマというのがあり、これは生命体の想像を超えた非常に驚くべき行いをするお方という意味です。そのため主の献身者の行動は主の指示のおかげで、大変驚異的なことだと思われることがあります。宇宙一知的な生命体であるブラフマーから最小のアリに至るまで、生きとし生ける者の知性は、全ての行為の目撃者というその超越的な立場にある主によって監督されているのです。思考、知覚、意欲という心理的影響を学ぶ知的な人は、主の微細な存在を感じることができます。