シュリーマド・バーガヴァタム 1.9.24

sa deva-devo bhagavān pratīkṣatāṁ
kalevaraṁ yāvad idaṁ hinomy aham
prasanna-hāsāruṇa-locanollasan-
mukhāmbujo dhyāna-pathaś catur-bhujaḥ

訳語

翻訳

4本の腕を持つ主よ。あなたの目は朝日のように赤く輝いています。そして、その美しい目で飾られた蓮華のお顔でほほ笑んでおられます。どうか、私がこの肉体を去る時まで、お待ちください。

解説

ビーシュマデーヴァには、主クリシュナが根源のナーラーヤナであることを、そして彼自身が崇拝していた神像の四本腕のナーラーヤナが、主クリシュナの完全拡張体であることを知っていました。この祈りは、主シュリー・クリシュナに四本腕のナーラーヤナの姿を現してほしい、というビーシュマデーヴァの願いを示しています。ヴァイシュナヴァはいつでも控えめに行動します。ビーシュマデーヴァが肉体を去った後ヴァイクンタ・ダーマに行くことは間違いありませんが、謙虚なヴァイシュナヴァとして、主の美しい顔を見たいと思いました。現在の肉体を去った後、もう主を見る立場にはいられないのでは、と考えたからです。主は純粋な献身者が主の住処に入ることを保証していますが、ヴァイシュナヴァはそれで傲慢(ルビ:ごうまん)になることはありません。ビーシュマデーヴァは「私がこの体を去らない限り」と言いました。これは、この偉大な将軍が自らの意志で肉体を去ることを意味しています。自然の法則に縛られる人物ではなかったのです。比類のない精神的力を持っていたために、望み通りに体にとどまることができました。父親からその恩恵を授かっていたのです。ビーシュマデーヴァは、主の四本腕の姿を間近に見つめることで主に意識を集中させ、法悦の境地にいたいと考えたのでした。そして心が主への思いによって清められれば、自分がどこへ行ってもかまわないと思いました。純粋な献身者は、神のふるさとに帰ることを熱望しているわけではありません。全てを主の崇高な意志に任せているのです。地獄に落ちるのが主の望みであれば、それで本望だと考えます。純粋な献身者のただひとつの望みは、何があろうと、絶えず主の蓮華の御足を思い、専心することです。ビーシュマデーヴァの思いはただひとつ、心を主に没頭させ、その思いの中で他界していくことです。それこそが、純粋な献身者の至上の願いです。