シュリーマド・バーガヴァタム 1.7.9
節
śaunaka uvāca
sa vai nivṛtti-nirataḥ
sarvatropekṣako muniḥ
kasya vā bṛhatīm etām
ātmārāmaḥ samabhyasat
sa vai nivṛtti-nirataḥ
sarvatropekṣako muniḥ
kasya vā bṛhatīm etām
ātmārāmaḥ samabhyasat
訳語
śaunakaḥ uvāca—シュリー・シャウナカが尋ねた; saḥ—彼; vai—もちろん; nivṛtti—自己の悟りの道にいる; nirataḥ—常に従事して; sarvatra—あらゆる面で; upekṣakaḥ—無関心; muniḥ—聖者; kasya—どのような理由で; vā—あるいは; bṛhatīm—広大な; etām—この; ātma-ārāmaḥ—自ら満足している人物; samabhyasat—研究する。
翻訳
シュリー・シャウナカがスータ・ゴースヴァーミーに尋ねた。「シュリー・シュカデーヴァ・ゴースヴァーミーは自己の悟りの道を歩んでいた人物であり、すでに自己の内に満足していました。なぜ、それほどまでしてこの膨大な経典を研究したのでしょうか」
解説
一般人にとっての人生の最高完成は、物質的な活動を止め、自己の悟りの道を着実に歩むことにあります。感覚の楽しみに喜びを見い出す人々、あるいは肉体に関わる幸せにとどまっている人々をカルミーといいます。無数のカルミーの中のたったひとりが自己を悟ってアートマーラーマになることができます。アートマーは自己、アーラーマは喜びを見い出すという意味です。誰でも最上の喜びを求めていますが、喜びの基準は人によって違います。ですから、何を喜びの基準にするかは、カルミーとアートマーラーマでは異なります。アートマーラーマは、物質的な喜びには目もくれません。シュリーラ・シュカデーヴァ・ゴースヴァーミーはすでにその境地に達していました。しかしなおかつ、深遠な『シュリーマド・バーガヴァタム』の刻苦勉励に魅了されました。これは『シュリーマド・バーガヴァタム』が、ヴェーダ知識を学び終えたアートマーラーマでさえ、さらなる研究対象にするほどの文献であるという証しです。