シュリーマド・バーガヴァタム 1.15.41
節
vācaṁ juhāva manasi
tat prāṇa itare ca tam
mṛtyāv apānaṁ sotsargaṁ
taṁ pañcatve hy ajohavīt
tat prāṇa itare ca tam
mṛtyāv apānaṁ sotsargaṁ
taṁ pañcatve hy ajohavīt
訳語
vācam—話すこと; juhāva—放棄して; manasi—心の中に tat prāṇe—心を呼吸の中に; itare ca—他の感覚も; tam—その中に; mṛtyau—死の中に; apānam—呼吸; sa-utsargam—完全に専念して; tam—それ; pañcatve—5要素で作られた肉体の中に; hi—確かに; ajohavīt—それを融合させた。
翻訳
そして彼は、全ての感覚器官を心の中に融合させ、さらに心を命へ、命を呼吸へ、自分の全存在を5要素の権化に、体を死へ融合させた。そしてさらに、純粋な自己として、物質的な生活観念から解放された。
解説
マハーラージャ・ユディシュティラは、弟のアルジュナのように意識を集中させ、次第にあらゆる物質の束縛から自由になっていきました。最初に感覚の全ての動きに意識を集中し、それらを心に融合させました。これは、心を主への超越的な奉仕に向けたということです。彼は、全ての活動は物質的な感覚の動と反動に基づき心によってなされるものだから、また自分は神のもとに帰るつもりなのだから、心が物質的な活動を終わらせ、主への超越的な奉仕に向けられますように、と祈りました。彼はもう物質的なことをする必要がなかったのです。実際、心は永遠な魂の反映ですから、その動きを止めることはできません。しかし、活動の質を物質的な状態から主への超越的な奉仕に方向転換させることはできます。心が持つ物質的な傾向は、生気という汚れを洗い清めるときに変化し、それにより心を、誕生と死の繰り返しという汚れから解放させ、そして純粋な精神的意識の中に置くことができます。全ては、肉体という一時的な現象によって表されますが、もし心が主への超越的愛情奉仕によって純粋になれば、そして主への蓮華の御足への奉仕に絶えず使われているのであれば、死んだあとに心が別の肉体を作り出すことはありません。物質的な汚れに没頭することから解放されるのです。純粋な魂は、こうしてふるさとへ、神のもとへ帰っていきます。