シュリーマド・バーガヴァタム 1.13.25
節
tasyāpi tava deho ’yaṁ
kṛpaṇasya jijīviṣoḥ
paraity anicchato jīrṇo
jarayā vāsasī iva
kṛpaṇasya jijīviṣoḥ
paraity anicchato jīrṇo
jarayā vāsasī iva
訳語
tasya—これの; api—~にもかかわらず; tava—あなたの; dehaḥ—肉体; ayam—これ; kṛpaṇasya—けちな; jijīviṣoḥ—生活を望むあなたの; paraiti—縮小するだろう; anicchataḥ—好まなくても; jīrṇaḥ—劣化して; jarayā—古い; vāsasī—衣服; iva—~のように。
翻訳
たとえあなたが死を望まずとも、名誉と威信を犠牲にして生きながらえようと望んでも、そのみすぼらしい肉体は、古い衣服のように確実に縮み、そして衰えていくのです。
解説
この節のクリパナスャ・ジジーヴィショーホは重要です。2種類の人間がいます。一方はクリパナ、もう一方はブラーフマナです。クリパナ、すなわちけちな人間は自分の肉体を見極めることができませんが、ブラーフマナは自分自身と肉体を正しく見極めています。クリパナは自分の体を間違って評価しているため、最大限の力を駆使して感覚満足を楽しもうとし、老人になっても、医療や他の方法に頼って若返りたいと思っています。ドリタラーシュトラはここでクリパナと呼ばれていますが、それは自分の肉体を正しく見ず、是が非でも生き続けたい、と思っているからです。ヴィドゥラは、定められた寿命より長くは生きられないこと、そして死ぬ準備をすべきことを教えてドリタラーシュトラの目を開けさせようとしています。死は避けられないのですから、自尊心を捨ててまで生きようとして何になるというのでしょう? 死を覚悟してでも、正しい道を選ぶべきなのです。人間生活は、物質存在にある全ての苦しみを終わらせるためにあり、その望ましいゴールに到達するために人生を制御しなくてはなりません。ドリタラーシュトラは間違った人生観を持っていたために、自分に用意された活力の80%はすでに使い果たしているのですから、無駄に過ごしてきた人生の残りの日々を究極の善のために使うべきです。無駄に使われたそのような人生は欲深い人生と呼ばれます。人間生活の利点を正しく活用しなかったからです。欲深い人間がヴィドゥラのような自己を悟った人物に巡り会うのはまさに幸運に他ならず、その教えを授かることで、物質存在の闇を取り除くことができます。