シュリーマド・バーガヴァタム 1.11.22
節
prahvābhivādanāśleṣa-
kara-sparśa-smitekṣaṇaiḥ
āśvāsya cāśvapākebhyo
varaiś cābhimatair vibhuḥ
kara-sparśa-smitekṣaṇaiḥ
āśvāsya cāśvapākebhyo
varaiś cābhimatair vibhuḥ
訳語
prahvā — 頭を下げることで; abhivādana — 言葉で挨拶することで; āśleṣa — 抱きしめている; kara-sparśa — 手を握っている; smita-īkṣaṇaiḥ — ほほ笑みかけることで; āśvāsya — 激励することで; ca — そして; āśvapākebhyaḥ — 犬を食べるような最下等の人々まで; varaiḥ — 恩恵によって; ca — もまた; abhimataiḥ — ~に望まれたように; vibhuḥ — 全能者。
翻訳
全能の主は、最下級の人々を含む、居合わせた全ての人々に、頭を下げたり、挨拶を交わしたり、抱擁したり、手を取ったり、見つめたり、ほほ笑んだり、約束したり、恩恵を授けたりしながら、出迎えに応えた。
解説
主シュリー・クリシュナを迎える人たちには、ヴァスデーヴァ、ウグラセーナ、ガルガムニ、すなわち父親、祖父、教師から、娼婦、犬を食べるチャンダーラまで、さまざまな人々が含まれ、その全ての人たちが、それぞれの地位に応じて主から適切な挨拶を受けました。生命体は誰であっても主と分離した純粋な部分体ですから、必ず主との永遠の絆を持っています。純粋な生命体は、物質自然の様式の汚れに応じてさまざまな段階に分けられますが、主はその部分体がどのような物質的段階にいても彼らを等しく愛しています。主はこのような物質的生命体を主の王国に呼び戻すために降誕するのであり、知性のある人は、人格神が生命体に与えたその機会を活用します。主は誰であっても神の王国に入ることを拒みませんが、その世界を受け入れるかどうかは生命体にかかっています。