シュリーマド・バーガヴァタム 1.10.27
節
aho bata svar-yaśasas tiraskarī
kuśasthalī puṇya-yaśaskarī bhuvaḥ
paśyanti nityaṁ yad anugraheṣitaṁ
smitāvalokaṁ sva-patiṁ sma yat-prajāḥ
kuśasthalī puṇya-yaśaskarī bhuvaḥ
paśyanti nityaṁ yad anugraheṣitaṁ
smitāvalokaṁ sva-patiṁ sma yat-prajāḥ
訳語
aho bata — なんと素晴らしいことか; svaḥ-yaśasaḥ — 天国の惑星の栄光; tiraskarī — 打ち負かしたもの; kuśasthalī — ドヴァーラカー; puṇya — 徳; yaśaskarī — 有名な; bhuvaḥ — 地球; paśyanti — 見る; nityam — いつも; yat — ~であるもの; anugraha-iṣitam — 恩恵を授けるために; smita-avalokam — 優しいほほ笑みという恩恵のこもったまなざし; sva-patim — 生命体の魂(クリシュナ)に; sma — 常だった; yat-prajāḥ — その場所の住民たち。
翻訳
ドヴァーラカーが天国の惑星の栄光さえしのぎ、地球の名声を高めているのは本当に素晴らしいことです。ドヴァーラカーの住民は、全生命体の魂であり、愛情あふれる姿をしたクリシュナをいつも見ています。主は優しいほほ笑みで住民たちを見つめ、そして恩恵を授けています。
解説
天国の惑星には、インドラ、チャンドラ、ヴァルナ、ヴァーユといった神々が住んでおり、信心深い魂は、地球でさまざまな善行を積んだ後にそのような惑星に到達します。現代の科学者も、高位の天体では時間の基準が地球と異なることを認めています。このように、啓示経典の記述から、(地上の計算で)そこでの寿命は1万年だということが分かります。地上の6ヶ月は天国の惑星の一日に相当し、感覚を楽しむ便宜も寿命に比例して高く、住人たちは伝説に出てくるような美しい姿をしています。地上に住む人々は、天国の暮らしが地球よりはるかに快適であることを聞いているため、天国に行きたいと切望しています。今では宇宙船で月に行こうとしています。このような事情を考えると、天国の惑星は地球よりも華やかな環境にあることが分かります。それでも、主シュリー・クリシュナが王として君臨したドヴァーラカーのおかげで、地球の名声が天国よりも高められたのです。ヴリンダーヴァナ、マトゥラー、ドヴァーラカーという三カ所の聖地は、宇宙の名だたる星よりも重要な場所とされています。これらの場所は永遠に神聖な場所とされていますが、それは、主が地球に降誕される時、特にこの三カ所で超越的な活動を展開されるからです。そこは永遠に主の神聖な地であり、今でこそ主は私たちの目には見えませんが、住民は今もその聖地の恩恵に浴しています。主は全生命体の魂であり、本来の姿であるスヴァルーパとして、主との交流を通して崇高な生活に加わってほしいといつも望んでいます。主の魅力的な姿と優しいほほ笑みはあらゆる人の心に深く刻まれ、ひとたび生命体がその境地に入れば、戻って来ることのない神の王国に入ることが許されます。『バガヴァッド・ギーター』でこのことが確証されています。
天国の惑星は、より優れた物質的な楽しみを味わえることで知られていますが、『バガヴァッド・ギーター』(9-20~21)で分かるように、過去の善行の蓄えを使い切った時には、また地球に戻って来なくてはなりません。ドヴァーラカーがそのような天国の惑星よりも重要であることは疑いようのない事実です。ほほ笑みを含んだ主のまなざしを授かった人は誰でも、苦しみの場所と主が断言する堕落した地球に絶対に戻って来ないからです。地球だけではなく、宇宙にある全ての惑星は苦しみの場所です。なぜなら、どの惑星であっても、永遠な生活、永遠な至福、永遠な知識はないからです。主に献身奉仕をしている人たちは、ドヴァーラカー、マトゥラー、ヴリンダーヴァナのいずれかに住むよう勧められています。この場所で奉仕をすればその結果は倍増され、啓示経典に示されている教えに従うために聖地を訪れる人たちは、間違いなく主シュリー・クリシュナが住んでいた時と同じ結果が得られるからです。主の住処と主自身は全く同じであり、経験豊かな献身者に導かれている純粋な献身者は、今でもあらゆる結果を得ることができるのです。