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第30章

クリシュナに対する愛の表現(2)

動揺

 『ハンサ・ドゥータ』に、「ある日、シュリーマティー・ラーダーラーニーは、クリシュナの側にいることができず大きな悲しみを感じながら、友人たちとともにヤムナー川のほとりに出かけて行った。そこで彼女は思い出のある小屋を見た。その小屋でクリシュナとさまざまな愛の喜びを味わったことが彼女には思い出され、するとたちまち彼女はめまいに襲われた。そのめまいは誰の目にも明らかなほどであった」という記述があります。これは離別のために動揺した例です。
 また恐怖による動揺の例も記述されています。アルジュナがクルクシェートラの戦場でクリシュナの宇宙体を見たとき、これらの兆候が現れています。彼は非常に動揺してしまい、弓矢は手から滑り落ち、何事も知覚できなくなりました。

 悪魔バカースラが巨大なアヒルの姿を取り、クリシュナと牛飼いの少年たちをみんな飲み込むために口を広げていました。クリシュナがその悪魔の口の中にお入りになると、バララーマやほかの牛飼いの少年たちは気絶し、まるで命を落としてしまったかのようでした。献身者は、たとえなにか恐ろしい光景や突発的な出来事に幻惑されたとしても、決してクリシュナを忘れはしません。最大の危険に見舞われたとしても、献身者はクリシュナを思い出すことができます。これがクリシュナ意識の恩恵です。つまり身体的機能が完全に混乱する死の瞬間でさえも、献身者は最も内なる意識でクリシュナを思うことができ、そのようにして物質存在への堕落から救われるのです。このようにクリシュナ意識によって、人は物質的段階から精神界にすぐに移ることができるのです。
 これに関してマトゥラーで死んだ人たちについては、「これらの人々は軽く爽やかな一呼吸をし、大きく目を見開いた。肌の色が変わり、彼らはクリシュナの聖なる御名を唱え始めた。このように彼らは物質の肉体を捨てたのである」と記述されています。これらの兆候は死の直前に現れます。

怠惰

 過度の労働を嫌ったり自分の内に満足しているために、能力を持ちながらも義務を遂行しない人は怠惰であると言われます。クリシュナへの恍惚愛のためにこの怠惰が現れる場合もあります。例えばナンダ・マハーラージャが数人のブラーフマナたちにゴーヴァルダナの丘を回るように言ったとき、彼らはゴーヴァルダナの丘を回るよりも、恩恵を授けることのほうに関心があるとナンダ・マハーラージャに語りました。これは自己充足による怠惰の例です。
 あるとき、クリシュナが牛飼いの少年たちと戦争ごっこをしていると、スバラは疲れた様子を現しました。クリシュナはすぐに、「スバラは僕と戦争ごっこをして疲れ果てたから、スバラをもう戦争に誘っちゃいけないよ。そっとしておいてあげて」とほかの友人たちにおっしゃいました。これは過度の労働を嫌うための怠惰の例です。

不活発

 『シュリーマド・バーガヴァタム』第10編21章13節で、ゴーピーたちがヴリンダーヴァナの牛たちを称賛しています。牛たちがクリシュナのフルートの奏でる甘い歌を聞いて、その超越的な音の甘露を飲んでいるかの様子であるのをゴーピーたちは見ました。牛たちはその場に立ち尽くし、乳を飲むのを忘れてしまい、その目はクリシュナを抱き締めているかのようで涙が溢れていました。これはクリシュナのフルートの奏でる超越的な音を聞くことにより不活発になった例です。
ラクシュマナーは、人がクリシュナを批判しているのを聞いて、じっと動かなくなり、瞬きすらしなくなりました。これもまた聴覚による不活発の例です。
 『シュリーマド・バーガヴァタム』の第10編71章39節で、ユディシュティラ王が大きな尊敬の念を持ってクリシュナを家に招いた後に、ユディシュティラが動転したことが記述されています。自分の家にクリシュナがいらっしゃるということで超越的な喜びを感じ、ユディシュティラ王は非常に動転したのです。実際、クリシュナを歓待しながら、ユディシュティラ王は我を忘れてしまいました。これはクリシュナを見た恍惚のための不活発の例です。
 『シュリーマド・バーガヴァタム』第10編39章36節で、さらにひとつ例が挙げられています。クリシュナがマトゥラーに向かおうとしていらっしゃったとき、ゴーピーたちは、クリシュナの背後に立ち、馬車が出て行くのを見つめ、立ち尽くしたまま動けませんでした。馬車の上に掲げられた旗と車輪に舞い上げられた砂埃が見えなくなるまで、彼女たちはその姿勢のまま立ち続けていました。
 クリシュナの友人が、「ムクンダ(クリシュナ)、君と会えないので、牛飼いの少年たちは職業的ブラーフマナの家の無視された神像みたいにずっと立ったままだよ」と主に語り掛けたことがありました。生計を立てるためだけに神像を崇拝する職業的ブラーフマナがいます。この種のブラーフマナは神像にはあまり関心がなく、聖者として職業的に得られる金銭が彼らの主な関心です。そのような職業的ブラーフマナが崇拝する神像は美しく飾られることなく、衣装も変えられず、清潔に保たれていません。そのような神像はうす汚れていて、あまり魅力的でありません。実際には神像崇拝は細心の注意を払って行うべきです。衣装は毎日交換し、できるかぎりの衣装品を用いるべきです。あらゆるものを非常に清潔に保ち、全ての訪問者が神像に魅了されるようにしなければなりません。職業的ブラーフマナの家の神像はあまり魅力的ではないので、ここではそのような神像の例が挙げられているのです。クリシュナに会うことができず、クリシュナの友人たちはそのような世話されていない神像のように見えたのです。

恥じらい

 最初にクリシュナに紹介されたとき、ラーダーラーニーは大きな恥じらいを感じました。彼女のある友人は、「あなた自身もあなたの美しさも、全部もうゴーヴィンダのものなのよ。さあもうそんなに恥ずかしがらないで。もっと楽しそうに彼を見るのよ。象を売ってしまったら、象を操る三叉のことで細かい値段の交渉などしないものよ」と彼女に語っています。この恥じらいは、初めて紹介されたことによってクリシュナとの恍惚愛の中で起きたものです。
 天界の王インドラは、パーリジャータの花の所有権をめぐってクリシュナと戦いました。そしてその敗北に、インドラは大きな恥を感じていました。インドラがクリシュナの前に頭をうなだれて立っていると、クリシュナは「よろしい、インドラよ。このパーリジャータの花を持ち帰りなさい。さもなければ、お前の妻シャチーデーヴィーに面目が立つまい」とおっしゃいました。敗北のためにインドラは恥を感じていました。また他の例では、クリシュナがウッダヴァのさまざまな性質を称賛したとき、クリシュナの称賛の言葉を聞いてウッダヴァは恥ずかしそうに頭をうなだれました。
 高貴な立場にいるルクミニーに軽視されたと思ったサッティヤバーマーが、「愛しいクリシュナ、ライヴァタカ山はいつも春の花に満ちているわ。でも私はあなたにとって大切な人じゃないんだわ。もうライヴァタカ山の春の花を見ても、どうしようもないわ」と語ったことが『ハリ・ヴァンシャ』に記述されています。これは敗北感のために恥じらいを感じている例です。

隠ぺい

 隠ぺいと呼ばれる恍惚愛の兆候があります。この兆候は、別の心的態度を外的に示すことによって、自分の真の心の状態を隠すことです。このような心の状態の人は、別の方向を見たり、不可能なものを得ようと不必要な努力をしたり、また真の想いを隠す言葉を話したりして、心を隠そうとします。心理的行動の研究に詳しいアーチャーリャの意見によれば、自分の愛情をこのように隠そうとする努力はクリシュナに対するさまざまな恍惚的感情のうちのひとつとされています。
 『シュリーマド・バーガヴァタム』第10編32章15節で、シュカデーヴァ・ゴースヴァーミーは、「親愛なる王よ、ゴーピーたちは常に美しく、そして秘めやかな微笑、魅惑的な衣装でいつも飾られていた。情欲に火をつけようとして、彼女たちはクリシュナの手を自分のももに押しつけ、主の蓮華の御足を自らの胸に置いた。その後、主に対して何かとても怒っているかのような口ぶりで、彼女たちは主に話しかけた」と語っています。
 恍惚愛の中での隠ぺいの例は他にもあります。冗談を言うのが最も上手なお方クリシュナがサッティヤバーマーの庭にパーリジャータの樹をお植えになると、ヴィダルバ王の王女ルクミニーはこれに大きな怒りを覚えましたが、生まれつき礼儀正しく振る舞う彼女は外面的には何も現しませんでした。ルクミニーが実際心の中で何を思っていたのかは誰にも理解できませんでした。これは競争心を隠している例です。
 『シュリーマド・バーガヴァタム』第1編11章32節に、さらにある例があります。クリシュナがドヴァーラカーにお入りになると、主の家族の面々は主を歓待しました。自分たちの夫が帰ってきたのを遠くから見て、ドヴァーラカーの妃たちはまず心の中で主を抱擁し、そしてゆっくりと主を見ました。クリシュナが近くにおいでになると、彼女たちは、息子たちを主のもとに送り、息子たちに主を抱かせました。ほかの人たちは恥じらいのために涙を隠そうとしていましたが、彼女たちは涙が溢れて、どうすることもできませんでした。これは恥じらいのために自分の心を隠している例です。
 またあるとき、シュリーマティー・ラーダーラーニーはクリシュナが別の女性を愛しているのではないかと思い、「あの牛飼いの少年クリシュナがほかの女の人を好きになったんじゃないかと思うと、体中の毛が逆立つくらい怖いわ。そんなこと、クリシュナに見破られないように注意しなくては」と友人に語りました。これは恥じらいと外交的手腕による隠ぺいの例です。
 「シュリーマティー・ラーダーラーニーはクリシュナに対して大きな愛を持っていたのだが、彼女は胸の奥にその態度を隠していたので、彼女のクリシュナへの大きな愛は彼女以外には誰も知ることができなかった」と記述されています。これは礼儀正しさのための隠ぺいの例です。
 あるとき、クリシュナが牛飼いの少年たちと親しい会話を楽しんでいらっしゃったとき、主はくつろいだ言葉で交際者に話し掛けていらっしゃいました。しかしそのとき召使としての立場を思い出すと、パトリーは主の前にお辞儀をして、主に対して大きな尊敬を持ちながら、自分をコントロールして笑いを抑えました。彼がこのように笑いを押し殺したのは、尊敬的態度による隠ぺいの例です。

想起

 クリシュナを思い出すことによって起きる恍惚愛の兆候は数多くあります。例えばクリシュナのある友人は、「ムクンダ、空の青い雲を見ただけで蓮華の目をしたラーダーラーニーはすぐに君のことを思い出したんだよ。ただその雲を見ただけで彼女は君のそばにいたくてたまらなくなったんだ」と主に語っています。これはクリシュナに似たものを見たために、恍惚愛の中でクリシュナを想起している例です。クリシュナの肌の色は、青味がかった雲の色にとても似ています。シュリーマティー・ラーダーラーニーは、ただ青い雲を見ただけで主を思い出したのです。
 あまり集中していないときでさえも、ハートの中にクリシュナの蓮華の御足を思い出すこともできる、とある献身者は言いました。これは絶えまない訓練による想起の例です。つまりクリシュナの蓮華の御足を常に思っている献身者は、一時的に集中していないときでさえも、ハートの中に現れている主クリシュナの姿を見ることができるのです。

理屈

 マドゥマンガラはクリシュナの親友のひとりでブラーフマナ共同体の出身です。クリシュナの友人のうち、ほとんどはヴァイシャ共同体に属する牛飼いの少年でしたが、中にはブラーフマナ共同体に属する子供もいました。ヴリンダーヴァナではヴァイシャ共同体とブラーフマナ共同体が特に多くいます。このマドゥマンガラがある日、「クリシュナ、君は孔雀の羽根が落ちても気がつかないみたいだね。また花輪をもらっても、気も虚ろだ。君の心がお留守になっている理由がだいたいわかるよ。まるで黒い蜂が蓮華の花のところに飛んでいくように、君の両目がシュリーマティー・ラーダーラーニーの目のところに飛んでいっているからね」とクリシュナに語り掛けました。これは恍惚愛の中で、理屈っぽく示唆している例です。
 あるときクリシュナが外を歩いていらっしゃると、ラーダーラーニーのある交際者が、「あなた、あの歩いている人かタマーラの木(※)だと思う?もしタマーラの木だったら、どうして歩けて、どうしてあんなに素敵なの。だったらあの人は雲かもしれないわ。でも雲だとしたら、その雲の中に美しい月があるはずよ。よく考えてみると、私思うんだけど、当然あの人はフルートを吹いて三界をとりこにしている素敵なバガヴァーンだわ。あの人はゴーヴァルダナの丘の前に立っているムクンダ自身に違いないわ」とラーダーラーニーに話し掛けました。これは恍惚愛を理屈っぽく表現しているひとつの例です。
* タマーラの木はクリシュナの肌と同じ色をしています。

不安

 クリシュナがゴーピーたち全員にそれぞれの家に帰るように言われると、彼女たちは主のその言葉が気に入らなかったことが『シュリーマド・バーガヴァタム』第10編29章29節に記述されています。彼女たちはその言葉を悲しんで、大きなため息をつき、彼女たちの美しい顔はまるで干上がってしまったかのようでした。彼女たちは静かにただ立ち尽くしていました。彼女たちは爪先で地面に線を描き、彼女たちの流した涙は目のまわりの黒い化粧を洗い落として、赤いサフランの粉で飾られた胸に落ちました。これは恍惚愛の中での不安の例です。
 クリシュナのある友人が、「悪魔ムラを殺したクリシュナ、君が帰らないから、君の優しくて親切なお母さんが心配しているよ。君のお母さんはいてもたってもいられず、夕方の間ずっと家のバルコニーに座って待っていたよ。本当にびっくりするよ、外で遊んでいて、お母さんのことをすっかり忘れてしまうなんて」と主に語ったことがあります。これは恍惚愛の中の不安に関するさらにひとつの例です。
 ヤショーダーはクリシュナがマトゥラーからお帰りになるのを切なる思いで待っていました。そのとき、マハーラージャ・ナンダは「いいかいヤショーダー、心配しなくていいからね。蓮華の花のようなお前の顔をお拭き。私が今すぐアクルーラとカンサの宮殿に行って、お前の子をお前のもとに連れ帰してあげるから」と彼女を慰めています。これはクリシュナが困難な立場にいるために恍惚愛の中で不安を感じている例です。

思考

 「18のプラーナの中では、主ヴィシュヌを讃えることについては言及されていませんが、神々の称賛が薦められています。しかしそのような神々の称賛は何百万年もの期間継続して行うことが必要です。なぜならプラーナの詳細な研究によって、究極的に主ヴィシュヌがバガヴァーンであるという結論に到達しなければならないからです」
 『パドマ・プラーナ』のヴァイシャーカ・マーハートミャ部で、ある献身者が以上のような言葉を語っています。これは思考による恍惚愛の例です。
 『シュリーマド・バーガヴァタム』第10編16章39節では、ルクミニー・デーヴィーは、「私はあなた以外の人と結婚することになっています。どうかその結婚の前に私を誘拐して下さい」という手紙をクリシュナに書いていることが記述されています。そのときルクミニーは、「愛しの主クリシュナよ、物質の汚れから解放された偉大な聖者たちはあなたの超越的な栄光を讃えています。そしてその称賛の報酬として、あなたは自らをそのような献身者にお授けになります。人はあなたの恩寵によって自らを向上させることができます。同様にあなたがお望みになれば、人は永遠なる時間の影響下で全ての恩恵を失ってしまいます。ですからブラフマーやインドラやその他の人々は言うまでもなく無視して、私はあなたを夫として選びました」という言葉によって、彼女の心がクリシュナと固く結ばれていることを表現しています。ルクミニーはただクリシュナのことを考えるだけでクリシュナへの愛を育みました。これは恍惚愛の中での思考の例です。

忍耐力

 知識の獲得、全ての苦悩の克服、神への超越的奉仕による人生の完成の達成などによって、人が完全に満足したとき、その忍耐、堅実の状態はドルティと呼ばれます。この段階に達した人は、どのようなものを失おうと、獲得しようと、その心は乱されません。
 偉大な学者であるバルトリハリの意見によれば、この忍耐の状態に達した人は「高い地位にある政府の高官になりたいとは思わない。まともな服も着ずに裸でいるほうがよい。敷物も敷かずに地面に横たわっているほうがよい。さまざまな不便なことがあっても、私は誰にも仕えない。政府にさえも私は仕えない」という考え方をします。つまりバガヴァーンへの恍惚愛を持っている人は、生命の物質概念の下では不便とされているどんなことにも耐えられるのです。
 クリシュナの父であるナンダ・マハーラージャは「私の牧草地には幸運の女神が住んでいる。私は百万頭以上もの牛を飼っていて、その牛たちはあたりを散歩している。とりわけ、私にはクリシュナのような息子がいる。力が強くて、よく働く子だ。だから、私は世帯者であるがとても満足している」と考えていました。これは全く苦悩がないことによる心の忍耐力がある例です。
 さらにひとつ例を挙げましょう。ある献身者は「私はバガヴァーンの遊戯の甘露の海で泳いでいる。だから、私は宗教儀式、経済発展や感覚満足には関心がない。ブラフマンの存在に没入するという究極の解放にさえ私は魅力を感じない」と語っています。これは世界の中で最も価値あるものを達成したことによる忍耐心の例です。この世界の中で最も価値があるものとは、クリシュナ意識に没頭することです。

幸福

 『ヴィシュヌ・プラーナ』の記述によれば、クリシュナとバララーマをマトゥラーに連れて行くためにアクルーラがやって来たとき、おふたりの顔を見て彼はとても愉快な気持ちになり、彼の体全体に恍惚愛の兆候が現れました。この状態が幸福と呼ばれています。
 『シュリーマド・バーガヴァタム』第10編33章11節に、「ラーサ・ダンスをしていたあるゴーピーは、クリシュナの腕が肩に置かれたのを見て超越的な幸福を感じ、クリシュナの頬にキスをした」という記述が見られます。これは自分の望んでいる目的を達成したことによる幸福感の例です。

熱意

 『シュリーマド・バーガヴァタム』第10編71章33節に、「クリシュナが主の王国ドヴァーラカーから初めてインドラプラスタ(※)においでになったとき、その街に住む若い乙女たちには主を見たいというはやる気持ちは押さえ難く、夜、夫と共に横になっているときでさえ、彼女たちはその熱い心が抑えられなかった。彼女たちは服もきちんと着ていなかった。髪も解けていた。彼女たちには家事の義務があって、多忙であった。それにもかかわらず、彼女たちは全てを放棄して、すぐにクリシュナを見るために通りに出て行った」という記述が見られます。これは恍惚愛における熱意の例です。
* インドプラスタは現在のデリーです。
 ラーダーラーニーはクリシュナのフルートにあまりに魅了されていて、その音を聞くと、ヴリンダーヴァナの森の住民たちにクリシュナが今どのあたりにいるのかをすぐにお尋ねになりました。シュリー・ラグナータ・ダース・ゴースヴァーミーは、著書『スタヴァーヴァリー』で、そのようなラーダーラーニーに慈悲を求めて祈っています。クリシュナを見ると、ラーダーラーニーは大きな恍惚愛と喜びに満たされて、耳をかき始めました。ヴラジャの乙女たちやラーダーラーニーは、密やかに話し合うのが上手で、彼女たちはクリシュナを見ると、すぐにそのようにささやき合いました。クリシュナは、彼女たちのそのような内緒話に気付くと、花を摘みに行くように見せかけて、すぐにその場を離れ、山の洞穴に入って行きました。これはゴーピーたちとクリシュナの熱心な愛情交換の例です。

暴力

 クリシュナが蛇カーリヤと戦って、カーリヤの頭の上で踊っていたとき、カーリヤはクリシュナの足に噛みつきました。このときガルダの怒りは頂点に達し、「クリシュナはたいへん力強いお方で、カーリヤの妻たちは、ただ稲妻のような主のお声を聞いただけで、流産したほどだ。この蛇が私の主を侮辱したので、すぐにでもこいつを滅ぼしてやりたいが、主がお怒りになるかも知れないので、主の前ではそれはできない」とガルダは呟きました。これはクリシュナに対する不敬の態度に対して、恍惚愛の行動を望んでいる熱意の例です。
 マハーラージャ・ユディシュティラが執り行ったラージャスーヤ供犠の祭場で、シシュパーラがクリシュナの崇拝に反対したとき、アルジュナの弟であるサハデーヴァは、「クリシュナの崇拝に妬みを持つ者、クリシュナが崇拝されることに我慢できない者は、私の敵だ。悪魔的な性質を持つ者だ。それゆえ、あいつの大頭を左足で蹴り上げて、ヤマラージャの杖よりも厳しい罰を与えてやる」と叫んでいます。またバラデーヴァは「主クリシュナに幸あれ。不法にもクル王国の王座を乗っ取ったクル王朝のこの救い難い末裔が策略を働かせてクリシュナを非難しているとは。おお、なんと耐え難いことか!」と嘆きました。これはクリシュナに対する不敬によって起こされた熱意の例です。

傲慢さ、不敬な言葉

 『ヴィダグダ・マーダヴァ』の中で、ラーダーラーニーの義理の母であるジャティラーは、「クリシュナ、お前もここにいて、私の息子と結婚したばかりのラーダーラーニーもここにいる。お前たちふたりのことはよく知ってるんだからね。お前の踊るような目から、私の義理の娘を守ってあげなければ。私の目はふし穴ではないんだよ」とクリシュナを非難しています。これは間接的にクリシュナを非難するために使われた不敬な言葉の例です。
 ゴーピーたちもまた、「クリシュナ、あなたって本当に泥棒ね。すぐにここから出ていってよ。あなた、私たちよりもチャンドラーヴァリーのほうが好きなんでしょ。私たちの前で彼女のことを褒めないで。ここで、ラーダーラーニーの名前を汚さないでよ」と不敬な言葉でクリシュナに話したことがあります。これもまた、恍惚愛の中で不敬な言葉がクリシュナに投げられた例です。
『シュリーマド・バーガヴァタム』第10章31章16節に、次のような記述があります。
ゴーピーたちがヴリンダーヴァナの森でクリシュナに会うために家を出て来たとき、クリシュナは彼女たちをお受け入れになりませんでした。主は彼女たちに家に帰るように言い、道徳的な教えをお授けになりました。するとゴーピーたちは、「愛しいクリシュナ、あなたに会えないことって、私たちにとって耐えきれないことなの。あなたを見るだけで、私たちはとても幸せになるのよ。だから夫や親戚、兄弟や友達を皆捨てて、あなたの超越的なフルートの調べに魅きつけられて、ただあなたのところに来たのよ。私たちがどうしてここに来たのか分かりますか。あなたのフルートの甘い調べにただ魅きつけられてここまで来たのよ。私たち、みんな可愛い女の子たちよ。夜中に女の子と付き合うチャンスを逃がすお馬鹿さんなんてあなただけじゃないかしら」と語っています。これは恍惚愛の中でのクリシュナに対する間接的侮辱の例です。

嫉妬

 ラーダーラーニーのある友人が『パデャーヴァリー』で、「クリシュナが直接あなたのおでこを飾ったからって、あまり思い上がらないでね。クリシュナは、ほかのきれいな女の子のほうが好きなのかも知れないわよ。あなたのおでこは本当にきれいに飾られているわね。飾りを描いているとき、クリシュナの気持ちはきっと乱れていなかったのよ。落ち着いていなければ、そんなきれいに線は描けなかったはずよ」とラーダーラーニーに語っています。これはラーダーラーニーの幸運に対して嫉妬している例です。
 『シュリーマド・バーガヴァタム』第10編30章30節に、「ラーサ・ダンスの後でゴーピーたちがクリシュナとラーダーを探していたとき、「ヴリンダーヴァナの地面に、クリシュナとラーダーの足跡が見えたわ。とても辛いわ。私たちにとってクリシュナが全てなのに、なんてずるいの、あの子。彼を連れ去って、彼を独りじめにしてキスを楽しんでいるなんて」とゴーピーたちは話し合った」という記述が見られます。これはラーダーラーニーの幸運に嫉妬しているもうひとつの例です。
 ヴリンダーヴァナの森で牛飼いの少年たちが遊ぶとき、二組に分かれて一方にクリシュナ、他方にバララーマが参加したことがありました。その二組の間で競争や戦争ごっこが行われて、クリシュナの組がバララーマの組に負けたとき、牛飼いの少年たちは「バララーマたちが勝ち続けたって、大したことないよ。わざと弱いふりをしてあげているだけなんだから」と言ったものでした。これもまた恍惚愛の中での嫉妬の例です。

無礼

 『シュリーマド・バーガヴァタム』第10編52章41節でルクミニーはクリシュナに、「誰にも征服されないお方、愛しのクリシュナよ、私の結婚の日は明日と決まっています。人知れず、ヴィダルバの街においで下さい。そしてあなたの兵隊や指揮官を使ってマガダ王の全戦力を取り囲み、滅ぼして下さい。このように悪魔のような方法で私をさらって、私と結婚して下さい」という手紙を送っています。
 ヴェーダの習慣によれば8種類の結婚があり、そのうちのひとつはラークシャサ・ヴィヴァーハと呼ばれる結婚で、悪魔的な方法とされています。ルクミニーの兄の選択によってルクミニーはシシュパーラと結婚することになっていたのですが、彼女はクリシュナに手紙を送り、彼女を誘拐するようにお願いしました。これはクリシュナへの恍惚愛の中での無礼の例です。
 あるゴーピーが、「クリシュナの甘いフルートなんて、ヤムナー川の波に流されて海に行ってしまえばいいのに。あのフルートの甘い調べ、とてもあつかましいのよ。あの音が私たちの耳に忍び込んできて、目上の人たちの前で、落ち着いていられなくなるのよ」と語ったことがあります。

めまい

夕暮れ時になると、いつも主は牛の放牧地からお帰りになりました。主のフルートの甘い調べが聞こえないと、ヤショーダーは不安でたまらなくなり、めまいを感じることもありました。このようにクリシュナへの恍惚愛の中で、不安によってめまいが起こることもあります。
 ある日ヤショーダーはクリシュナを縛りながら、「クリシュナの体はとても柔らかくて傷つきやすいわ。ロープで縛るなんてとてもできないわ」と考えていました。このように考えると、彼女の頭は混乱し、彼女は眩暈を感じました。
 目上の人々はゴーピーたちに夜にはかんぬきをかけて戸締りをしておくようにと助言したことがありました。しかしゴーピーたちは気にせず、言いつけをあまり守りませんでした。彼女たちはクリシュナのことを思うと危険は全くないと確信して、夜に家の庭で横になることもありました。これはクリシュナへの自然な愛情による恍惚愛の中でのめまいの例です。
 一般にめまいは無知の様式の兆候とされています。なぜクリシュナの献身者がそのようなめまいに襲われるのか、と質問する人もいるかもしれません。シュリー・ジーヴァ・ゴースヴァーミーはその答えとして、クリシュナの献身者は常に物質自然の全ての様式から解放されていると語っています。献身者がめまいを感じたり睡眠を取ったりするのは、物質自然の様式の影響によるものだと考えてはなりません。献身者たちが献身奉仕の三昧の中にいると考えるべきなのです。『ガルダ・プラーナ』にはバガヴァーンの直接の保護のもとにいる神秘的ヨーギーに関して、「覚醒、夢想、深眠のいかなる意識状態にあっても献身者は常にバガヴァーンへの思いに没頭している。それゆえ献身者はクリシュナへの想いに完全に没頭し、眠ることはない」という権威的記述があります。

睡眠

 あるとき主バラデーヴァは、「おお蓮華の目を持つクリシュナ、君の子ども時代の冒険は君自身の意志で起こされたものだね。だからこの蛇カーリヤの頑固な自尊心を今すぐに懲らしめておくれ」と寝言をおっしゃいました。主バラデーヴァのこの寝言を聞いて、ヤドゥ王朝の人々は驚き、しばらく笑っていました。そして、鋤を持つお方、主バラデーヴァは大あくびの後、また深い眠りに入りました。これは恍惚愛での睡眠の例です。

覚醒

 ある献身者は「私はもう無知の様式を克服して、超越的知識の段階に到達した。だから私がこれからすべきは、バガヴァーンを探すことだけだ」と語りました。これは恍惚愛での覚醒の例です。超越的な鋭敏さは幻想の状況を完全に克服したときにのみ可能となります。その段階では、音響、香り、感触、味覚など、物質要素のどの反応に触れたとしても、献身者はバガヴァーンの超越的存在を悟ることができます。この状況では恍惚的兆候(体毛の逆立ち、眼球の回転、睡眠からの覚醒)が絶えまなく見られます。
 シュリーマティー・ラーダーラーニーは初めてクリシュナを見たとき、全ての超越的幸福を感じて、彼女の手足の動きが停止しました。彼女にいつも付き添っていたラリターが彼女の耳にクリシュナの聖なる御名をささやくと、ラーダーラーニーはただちに目を大きく見開きました。これはクリシュナの聖なる御名を聞いたことによる覚醒の例です。
ある日クリシュナは、「愛しのラーダーラーニー、もうこれで別れよう」とラーダーラーニーに冗談をおっしゃいました。そしてすぐに姿をお消しになりました。そのためにラーダーラーニーは大きな苦しみに襲われ、肌の色は変わり、すぐにヴリンダーヴァナの地に倒れ伏しました。彼女の呼吸は実際に停止してしまったのですが、地面の花の香りを嗅ぐと彼女は恍惚の中で目覚め、立ち上がりました。これは地面の花々の香りを嗅いだことによる超越的覚醒の例です。
 クリシュナがあるゴーピーの体に触れていらっしゃったとき、彼女は友人に「私に触れているのは誰の手?ヤムナー川のほとりの暗い森を見て、とても怖かったの。でも突然この手が私に触れると、ヒステリーから救われたわ」と語りました。これは触れられたことによる覚醒の例です。
 あるゴーピーが、「愛しいクリシュナ、あなたがラーサ・ダンスの場所から姿を消した後、私たちの一番親しい友達、ラーダーラーニーはすぐに倒れて気を失ったわ。でもあなたの噛んだビンロウの実を彼女にあげると、すぐに体中に喜びをみなぎらせて、意識を取り戻したわ」とクリシュナに言いました。これは味覚による覚醒の例です。
 ある夜シュリーマティー・ラーダーラーニーは、「クリシュナ、もう私にいたずらしないで。やめてちょうだい。私の服にも触らないで。やめないと年上の人たちに言いつけて、あなたのいたずらをみんな話すわよ」と夢の中で寝言を言いました。夢の中でこのように寝言を言うと、彼女は突然目覚めました。彼女の目の前には年上の人々が立っていました。ラーダーラーニーは恥じらいのために、頭をうなだれました。これは目覚めた後の覚醒の例です。
 さらにもうひとつ例があります。ラーダーラーニーが眠っていたとき、クリシュナからの伝言が彼女のもとに届きました。すると彼女はすぐに目覚めました。また夜にクリシュナがフルートをお吹きになると、美しい牛飼いの娘たち、ゴーピーたちはすぐに目覚めました。これに関しては、「白烏は蓮華の花の周りに集い、黒蜂も蜜を求めて蓮華の周りを飛び交う。空に稲妻がきらめくと、白鳥たちは逃げ去るが、黒蜂たちは蓮華の花に留まり、楽しみ続ける」という非常に美しい比喩があります。ゴーピーたちの眠りは白鳥にたとえられ、クリシュナのフルートは黒蜂に比喩されています。クリシュナのフルートが響いたとき、白鳥はたちまちのうちに姿を消しましたが、黒蜂はゴーピーたちの美しさという蓮華の花を楽しみ始めました。