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第22章
シュリー・クリシュナの性質(2)
(31)英雄性的である
軍事的な活動に非常に熱心で、さまざまな武器を放つ技術に熟達している人は、英雄的であると言われます。
戦闘中のクリシュナの英雄性について、「親愛なる滅敵者クリシュナよ、沐浴している象が鼻を揺り動かせば、水中の蓮華の花は全てなぎ倒されます。それと同じように、御身は象の鼻のような手をただ動かすだけで、多くの敵を蓮華の花のように滅ぼされました」と記述されています。
クリシュナの武器熟練度について、ジャラーサンダの指揮する13の部隊がクリシュナの軍隊を攻撃したとき、クリシュナ側の兵士はひとりとして負傷した者がいなかったということが知られています。これはクリシュナが高度な軍事教練を授けていらっしゃったからです。このようなことは軍事史上、他に例がありません。
(32)憐れみ深い
ほかの人の苦しみに耐えることができない人は、憐れみ深い人と言われます。
マガデーンドラによって捕らわれていた王を全て主が釈放されたとき、主の憐れみの情が示されました。ビーシュマはこの世からまさに去ろうとしていたとき、クリシュナに祈りを捧げ、主は闇を消す太陽でいらっしゃる、と語りました。王者たちはマガデーンドラによって暗い牢の中に捕らわれていたのですが、クリシュナがそこにお現れになったとき、闇はたちどころに消え去りました。それはあたかも太陽が昇ったかのようでした。つまりマガデーンドラは多数の王を捕らえていたのですが、クリシュナがそこにお現れになるやいなや王たちは全員釈放されました。深い憐れみの情から、主は王たちを釈放されました。
ビーシュマが体を射抜かれて矢のベッドの上に横たわっていたときにも、クリシュナは憐れみの情をお示しになりました。体を射抜いた多くの矢の上に横たわりながら、ビーシュマはクリシュナを見ることを望みました。するとクリシュナがその場にお現れになりました。哀れなビーシュマを見て、クリシュナは両目に涙を溜めながらお話しになりました。ただ涙を流しただけではなく、主は憐れみの情のために気を取り乱されました。それを見た献身者たちは直接クリシュナには尊敬を捧げずに、主の憐れみ深さに尊敬の礼を捧げました。バガヴァーン、主クリシュナに近づくことは極めて困難なことです。しかし献身者の頼りは、主の憐れみ深さです。その主の憐れみ深さはラーダーラーニーの姿として現れています。ですから、「主が自分に憐れみを授けて下さるように」と献身者はラーダーラーニーに祈ります。
(33)礼儀正しい
グル、ブラーフマナ、年長者に対して十分な尊敬の態度を持つ人は礼儀正しい人であると言われます。
クリシュナの目上の人々が主の前に集まったとき、主はまずグルに尊敬の礼を捧げ、次に父、そして兄バララーマに礼を捧げられました。このようにして蓮華の目を持つお方、主クリシュナはどのような人と付き合うときにも、いつも幸福で純粋なハートを持ち続けていらっしゃいました。
(34)紳士的である
決して生意気なことをせず、傲慢な態度を取らない人を紳士的な人と言います。
クリシュナの年上の従兄弟であるマハーラージャ・ユディシュティラがラージャスーヤ供犠祭を開いたとき、その供犠祭場で主クリシュナは紳士的な態度をお示しになりました。マハーラージャ・ユディシュティラはクリシュナがバガヴァーンでいらっしゃることを知っていたので、車から降りてクリシュナを迎えようとしました。しかしクリシュナはマハーラージャ・ユディシュティラよりも先に車からお降りになり、ユディシュティラ王の足下にひれ伏されました。クリシュナはバガヴァーンでいらっしゃいますが、人と交際する上でのエチケットには決して背かれませんでした。
(35)温厚である
立ち居振る舞いが生まれつき穏やかな人は温厚であると言われます。
クリシュナはとても親切で、好意に満ちたお方でいらっしゃいます。ですからスャマンタカの宝石が奪われた後で、ウッダヴァは「召使が主に大きな侮辱を働いたとしても、主はそのような侮辱を考慮されません」と語っています。主は献身者が捧げた奉仕だけを考慮されるのです。
(36)恥じらいやすい
時には謙遜さと内気さを示す人は、恥じらいやすい人と言われます。
左手の小指でゴーヴァルダナの丘を持ち上げながら、主クリシュナは恥じらいをお示しになりました。ゴーピーたちは、ゴーヴァルダナの丘を持ち上げるというクリシュナの素晴らしい行動を見ていました。またクリシュナもゴーピーたちを見て微笑んでいらっしゃいました。クリシュナがゴーピーたちの胸元を一瞥されると、主の手は震えだしました。するとそれに気づいた牛飼いたちは慌て、人々が騒ぎ始めました。ヴリンダーヴァナの人々は身の危険を感じて、祈り始めました。このとき主バララーマは、ゴーヴァルダナの丘が震えているために牛飼いたちが恐れていることを思うと、微笑みました。しかしクリシュナはバララーマの微笑みをご覧になり、ゴーピーたちの胸元を見ている自分の心が見透かされたと思って、クリシュナはすぐに恥じらいをお感じになりました。
(37)服従した魂の保護者
クリシュナは服従した全ての魂を保護してくださいます。
ただ服従しさえすればクリシュナが完全に保護してくださるので、クリシュナの敵の中にはクリシュナを恐れる必要はないと思う者もいました。クリシュナを月に例える人もいます。主クリシュナはチャンダーラやその他の不可触賤民の上にも、爽やかな光を投げ掛けて下さるからです。
(38)幸福である
常に楽しく、あらゆる苦悩から全く解放されている人は、幸福な人と呼ばれます。
クリシュナと主の妃の体を飾る装飾品は、天界の財務を司るクヴェーラでさえも夢に見ることもできないほど豪華なものであったと言われています。そして天界の神々でさえ、クリシュナの宮殿の城門でどのようなダンスが行われているか想像できませんでした。天界の王国では、インドラの前でいつも社交界の女性たちがダンスをしているのですが、そのインドラでさえも、クリシュナの宮殿の門の前で行われているダンスがどれほど美しいものであるのか想像すらできませんでした。ガウリーとは「白い女性」という意味で、主シヴァの妃はガウリーと呼ばれています。クリシュナの宮殿に住んでいた美女たちはガウリーよりも遥かに白かったので、彼女たちは月の光にたとえられていました。彼女たちはいつもクリシュナの前で踊っていました。ですからクリシュナほどの快楽を持っている人は誰もいません。快楽とは美しい女性、装飾品、富を意味しますが、クリシュナの宮殿にはこれら全てが、クヴェーラや主インドラや主シヴァの想像も及ばないほどに満ち溢れていました。
苦悩はクリシュナに触れることさえできません。ゴーピーたちの中にはブラーフマナの妻たちのところに行き、「ブラーフマナの奥さん。苦しみは、クリシュナに指一本触れることもできません。クリシュナは負けることもありませんし、クリシュナのことを悪く言う人もいません。クリシュナには恐れも不安もありません。不幸もありません。クリシュナはただヴラジャの踊り子たちに囲まれて、ラーサ・ダンスを楽しんでいます」と言った者もいました。
(39)献身者の幸福を願う
主ヴィシュヌの献身者が、たとえわずかな水、1枚のトゥラシーの葉であったとしても、献身を込めて主ヴィシュヌに捧げるなら、主ヴィシュヌは慈悲深くも自らを献身者にお授けくださいます。
献身者は主クリシュナの偏愛の対象です。そのことは、主がビーシュマと戦っていらっしゃったときに示されています。ビーシュマが今まさに死を迎えようとし、矢のベッドの上に横たわっていたとき、クリシュナはビーシュマの前にお現れになりました。そしてビーシュマは、主が戦場で自分に対してどれほど親切にして下さったかを思い出していました。「武器を決して手にしない。どちらの側にも決して武力参加しない」と、主は約束されました。クリシュナは中立を保っていらっしゃいました。クリシュナはアルジュナの御者となられましたが、アルジュナを助けるために武器を手に取ることは決してしない、と約束されました。しかしある日、ビーシュマはクリシュナの約束を破らせるために、猛烈な勢いでアルジュナに襲いかかりました。クリシュナは、戦車から降りて戦わざるを得ない状況に陥ってしまいました。主は壊れた車輪の片方を持ち上げると、ライオンが象を襲うようにビーシュマに向かって突進されました。ビーシュマはこの光景を思い出し、約束を破ることさえいとわずに、献身者アルジュナに栄光ある好意をお示しになったクリシュナを讃えました。
(40)愛に支配される
クリシュナは、献身者が捧げた奉仕ではなく、正確には献身者の愛情を評価されます。クリシュナに完全に仕えることは誰にもできません。主は完全で、自らの内で充足していらっしゃいます。ですから、主は献身者からの奉仕を必要としていらっしゃるわけではありません。クリシュナに対する愛情の態度を主は評価されるのです。スダーマー・ヴィプラがクリシュナの宮殿にやって来たとき、主が彼に恩義を感じた例が示されています。スダーマー・ヴィプラはクリシュナの級友でした。彼は貧しかったために、クリシュナに経済援助をお願いするように、と妻に説得されました。そしてスダーマー・ヴィプラがクリシュナの宮殿にやって来たとき、クリシュナは妃とともに彼を歓待し、ブラーフマナであったスダーマーに敬意を表して彼の足を洗いました。子どもの頃、ふたりがどれほど仲が良かったのか思い出し、クリシュナはスダーマーを歓待しながら涙を流されました。
クリシュナが献身者に恩義を感じた例がさらにひとつ、『シュリーマド・バーガヴァタム』(第10編9章18節)に記述されています。そこではシュカデーヴァ・ゴースヴァーミーがパリークシット王に「親愛なる王よ、母ヤショーダーがクリシュナを縛ろうとして、疲れて汗を流していると、クリシュナは母ヤショーダーに縛られることを許されました」と語っています。クリシュナは子供の頃、いたずらをしては母をよく困らせていらっしゃいました。あるとき、母ヤショーダーがクリシュナを縛ろうとして、家からロープを持って来ました。しかしいくら縛ろうとしても、ロープが短く、縛れません。いくらロープを集めてきて継ぎ足してみても、やはりロープはクリシュナを縛るには少し短かすぎました。しばらくするとヤショーダーは疲れ始め、汗が流れ出しました。そのときクリシュナは母に縛られることを許されました。つまり愛という手段を用いない限り、誰もクリシュナを縛ることはできないのです。献身者たちは主に恍惚愛を持っています。ですから、主はその献身者に恩義を感じて縛られるのです。
(41)全く吉兆である
あらゆる人のために常に吉兆な福祉活動を行っている人は、全く吉兆な人であると言われます。
主クリシュナがこの地球から去って行った後、ウッダヴァは主のさまざまな活動を思い出して、「クリシュナはさまざまな素晴らしい遊戯によって全ての偉大な聖者たちに満足をお与えになりました。そして主は残酷な王族の悪魔的活動を全て粉砕し、敬虔な人々を全て保護し、戦場の残酷な兵士たちを全て殺されました。主こそが全ての人々にとって、全く吉兆なお方です」と言いました。
(42)最も力強い
敵をいつも惨々に懲らしめることができる人は力強いと言われます。
強力な太陽が現れると、闇は全て洞窟の中に保護を求めて逃げ去ります。それと同じようにクリシュナがこの地球にいらっしゃったとき、全ての敵は逃げ去りました。主の敵は主の目の届かないところに隠れようとフクロウのように逃げていきました。
(43)有名である
完璧な性格を持つことで名前が広まっている人は有名な人と言われます。
クリシュナの名声は月光のように広がっていて、闇を光に変えると記述されています。つまりクリシュナ意識が全世界で説かれるなら、無知の闇も物質存在の不安もともに純粋、平和、繁栄の純白さに変化するのです。
偉大な聖者ナーラダが主の栄光を唱えていたとき、主シヴァの首にある青い線が消えてしまいました。これを見て、主シヴァの妃ガウリーはほかの人物が主シヴァに変装しているのではないかと疑いを持ち、すぐに恐れて主シヴァの傍から離れました。いつも青い衣装を召していらっしゃる主バララーマが、クリシュナの御名が唱えられているのを耳にすると、主バララーマの衣装が白くなってしまいました。そしてヤムナー川の水が全てミルクに変わっているのに気づいたゴーピーたちは、そのミルクでバターを作り始めました。つまりクリシュナ意識やクリシュナの栄光が広まれば、全ては白く純粋になるのです。
(44)人気がある
一般の人に親しまれている人は、人気があると言われます。
『シュリーマド・バーガヴァタム』(第1編11章9節)には主がハスティナープラの都からお帰りになったときの様子が記述されていますが、そこではクリシュナの人気についての記述が見られます。主がクルクシェートラの戦争のためにドヴァーラカーを留守にしていらっしゃったとき、ドヴァーラカーの市民たちは全員が意気消沈していました。しかし主がお戻りになると、市民たちは歓喜に満ちて主を歓迎し、「親愛なる主よ、御身が街を留守にしていらっしゃった間、私どもは夜の暗闇の中で日々を過ごしておりました。夜の暗闇の中では時間が遅く感じられますように、あなたの留守の間は毎瞬間が何千年もの長さに感じられました。あなたから離れていることは、私どもにとっては耐え難いことでございます」と語りました。クリシュナが国中でどれほど人気があったかをこの言葉は示しています。
カンサ王は主クリシュナを殺そうと企てて、供犠祭を開きました。その供犠祭場に主がお入りになったときにも、同じような出来事が起こっています。主が供犠祭場にお現れになると、全ての聖者たちは「ジャヤ!ジャヤ!ジャヤ!」(ジャヤとは勝利という意味です)と叫びました。クリシュナはそのとき子供でいらっしゃったのですが、全ての聖者が主に尊敬の礼を捧げました。そこに列席していた神々もクリシュナに美しい祈りを捧げ始めました。女性たちの歓喜の声が、供犠祭場の隅々から沸き起こりました。つまりその場にいた全ての人々にクリシュナは大変人気があったのです。
(45)献身者を特に好む
クリシュナはバガヴァーンでいらっしゃいます。そして誰に対しても公平でいらっしゃいます。しかし『バガヴァッド・ギーター』には、愛情を持って主の御名を崇拝する献身者に対して、主は特別に魅力を感じていらっしゃることが記述されています。クリシュナがこの地球上にいらっしゃったとき、ある献身者は自分の感情を、「親愛なる主よ、あなたがこの地球に降誕されなかったら、間違いなくアスラ(悪魔)や無神論者たちが献身者の活動を混乱に陥れていたことでしょう。あなたがいらっしゃるおかげで、どれほどの平安が保たれているのか私には想像すらできません」と語っています。まさに誕生の瞬間から、クリシュナは全ての悪魔にとって最大の敵でいらっしゃいました。しかしクリシュナが悪魔に敵意を持つになるのは、献身者と友好的な関係を持つのと同じことです。なぜならクリシュナに殺された悪魔は、速やかに解放を達成することができるからです。
(46)全ての女性を魅惑する
何か特別な資格を持つ人は、女性がすぐにその人に魅了されるような力を持っています。
ある献身者はドヴァーラカーの妃たちについて、「主に直接仕えていたドヴァーラカーの妃たちの栄光は筆舌に尽くせません。主はとても偉大なお方で、主の御名を唱えるだけで、ナーラダのような偉大な聖者でさえ至福を感じます。ですから、いつも主に会って主に仕えていた妃たちについては言うまでもありません」と語っています。クリシュナはドヴァーラカーに1万6,108人の妃を持っていらっしゃいましたが、その一人ひとりが磁石に引かれる鉄のようにクリシュナに魅了されていました。またある献身者は、「我が主よ、あなたはちょうど磁石のようでいらっしゃいます。そしてヴラジャの乙女たちはまさに鉄のようです。あなたがどちらに行かれても、彼女たちはまるで鉄が磁石に引きつけられるかのようにあなたについて行きます」と語っています。
(47)完全に崇拝に値する
全ての人々や神々から尊敬と崇拝を受けている人は、サルヴァーラーディヤすなわち完全に崇拝に値する人と言われます。
クリシュナは、主シヴァや主ブラフマーのような偉大な神々を含む全ての生命体に崇拝されているばかりではなく、バラデーヴァやシェーシャのようなさまざまなヴィシュヌ拡張体(バガヴァーンの姿)からの崇拝もお受けになっていらっしゃいます。バラデーヴァはクリシュナの直接の拡張体でいらっしゃいます。しかしバラデーヴァはクリシュナが崇拝されるべき対象であると受け入れていらっしゃいます。マハーラージャ・ユディシュティラのラージャスーヤ供犠祭場にクリシュナがお現れになったとき、偉大な聖者や神々を含むその場にいた全ての人々の注目を主が一身にお集めになり、全ての人々が主に尊敬を捧げました。
(48)全ての富を持つ
クリシュナは全ての富、すなわち力、富、名声、美、知識、放棄を完全に備えていらっしゃいます。
クリシュナがドヴァーラカーに住んでいらっしゃったとき、ヤドゥ王朝と呼ばれていた主の家系は5億6000万の人々で構成されていました。そしてこれら全ての構成員は、クリシュナに対して服従的で忠実な態度を持っていました。これら全ての人々の住居として90万以上もの宮殿があり、そこに住んでいる人々は全てクリシュナを最も崇拝すべきお方として尊敬していました。献身者たちはクリシュナの富を見て、ただ驚くばかりでした。
クリシュナがドヴァーラカーに住んでいらっしゃったとき、ヤドゥ王朝と呼ばれていた主の家系は5億6000万の人々で構成されていました。そしてこれら全ての構成員は、クリシュナに対して服従的で忠実な態度を持っていました。これら全ての人々の住居として90万以上もの宮殿があり、そこに住んでいる人々は全てクリシュナを最も崇拝すべきお方として尊敬していました。献身者たちはクリシュナの富を見て、ただ驚くばかりでした。
『クリシュナ・カルナームリタ』の中でビルヴァマンガラ・タークラは、「親愛なる主よ、私は御身のヴリンダーヴァナの富を語り尽くすことができません。ヴリンダーヴァナの乙女たちの御足を飾る宝石はチンターマニよりも優れています。そして彼女たちはパーリジャータの花のような衣装を身につけています。ヴリンダーヴァナの牛は、まさに超越的王国のスラビ牛に似ています。このように、御身の富は深さを知らぬ大海のようです」と語っています。
(49)完全な名誉を持つ
全ての重要人物の中の主要人物は完全な名誉を持つ人と言われます。
クリシュナがドヴァーラカーにお住まいでいらっしゃった頃、主シヴァ、主ブラフマー、天界王インドラや、その他にも数多くの神々がよく主を訪ねて来ました。これら神々の受付をしていた門衛が、来客たちで非常に多忙な日に、「主ブラフマー様、主シヴァ様、こちらの椅子に腰かけてお待ちください。インドラ様、祈りを読み上げるのは皆様の御迷惑になりますので、御遠慮くださいませ。静かにお待ち願います。ヴァルナ様、今日のところはお引き取り願います。神々の皆様、今日はクリシュナはご多忙で、皆様のために時間をお取りになれません。恐縮でございますが、皆様の大切な御時間が無駄になりませんよう、どうかお早めにお引き取りくださいませ」と語ったことがありました。
(50)最高の支配者である
2種類の支配者(主人)が存在します。他に依存しない人は支配者と呼ばれます。またその人の命令が他の誰にも無視されることのない人も支配者と呼ばれます。
ブラフマーは、卓越した祈りを主に捧げましたが、それでも主に喜んでいただくことはできませんでした。しかしカーリヤは大変な侮辱を働いたにもかかわらず、主の恩龍に恵まれて主の蓮華の御足の跡を頭上にいただくことができました。そのような記述が『シュリーマド・バーガヴァタム』にありますが、クリシュナが完全な独立性と支配性を持っていらっしゃることが、そのような記述によって明らかにされています。
全てのヴェーダ経典を通じて、クリシュナが完全に独立的な地位にいらっしゃることが記述されています。ですから、クリシュナがそのように矛盾した行動をお取りになったことは、主の立場にふさわしいことです。『シュリーマド・バーガヴァタム』の冒頭では、主はスヴァ・ラーット(完全独立)でいらっしゃることが述べられています。それが至高絶対真理の立場です。絶対真理は意識を持つばかりではなく、完全な独立的立場をお持ちでいらっしゃいます。
偉大な王や皇帝たちが主を訪ねることは稀なことではありませんでした。彼らはさまざまなクリシュナの命令を誰も無視できないことについて『シュリーマド・バーガヴァタム』(第3編2章21節)でウッダヴァは、「主クリシュナは物質自然の三様式の支配者であり、あらゆる富を楽しむお方でいらっしゃいます。ですからクリシュナに同等な者も、クリシュナよりも優れた者も存在しません」とヴィドゥラに語っています。捧げ物をして、冠を主の御足につけてひれふし、尊敬の礼を捧げました。ある献身者は、「親愛なるクリシュナよ、御身は主ブラフマーに宇宙の創造を、主シヴァにその破壊を命じられます。このようにして、御身が物質顕現の創造と破壊を自ら行っていらっしゃいます。ただ御身の命令とヴィシュヌというあなたの部分的代理によって、あなたは宇宙を維持していらっしゃいます。カンサの敵クリシュナよ、このように数多くのブラフマーやシヴァがただあなたの命令を実行しています」と語っています。
(51)不変である
この物質界にお現れになるときでさえ、クリシュナの性質は変化しません。普通の生命体は本来の性質が覆い隠されています。普通の生命体はさまざまな肉体の中に現れ、そしてさまざまな肉体概念の下に行動します。しかしクリシュナは決して体を変えません。主はご自身の体でお現れになるので、主が物質自然のさまざまな様式に影響されることはありません。『シュリーマド・バーガヴァタム』(第1編11章38節)では、至高支配者は物質自然の三様式に全く支配されない特権を持っていることが記述されています。主に保護されている献身者もまた物質自然に影響されないことが、その実際的な例になっています。物質自然の影響を克服することは極めて困難なことですが、献身者すなわち主の保護下にいる聖者は、それらに影響されません。ですから主自身が物質自然の影響を受けることがないことは言うまでもありません。さらに明確に言うならば、主はときにはこの物質界にお現れになるのですが、主はそれでも物質自然の様式とは無関係でいらっしゃいます。主は自ら超越的地位に基づく完全な独立性を持ちながら行動されます。主はそのような特別な性質を持っていらっしゃいます。
(52)全知である
全ての人のさまざまな感情と、あらゆる場所での全ての出来事を常に理解している人は全知であると言われます。
主の全知性を示す良い例として『シュリーマド・バーガヴァタム』(第1編15章11節)を挙げることができます。その節では、森に住んでいたパーンダヴァ兄弟たちをドゥルヴァーサー・ムニが訪れた出来事が記されています。ある策略を持ってドゥルヨーダナはドゥルヴァーサー・ムニと彼の一万人の弟子を森に住んでいたパーンダヴァ兄弟の家に客人として送りました。ドゥルヨーダナはドゥルヴァーサーと弟子たちがパーンダヴァ兄弟たちの昼食がちょうど終わった頃に到着するように計らい、パーンダヴァ兄弟がそれほど大人数の客人を十分にもてなせないようにしました。ドゥルヨーダナの策略を知っていたクリシュナはパーンダヴァのもとに行き、彼らの妃であるドラウパディーに何か食物は残ってないかとお尋ねになりました。鍋に残っていた野菜料理をドラウパディーが主に捧げると、主はそれをすぐにお食べになりました。そのときドゥルヴァーサーとともにやって来た聖者たちは川で沐浴していたのですが、クリシュナがドラウパディーの捧げた少しばかりの野菜料理を食べて満足されると、ドゥルヴァーサーとその弟子たちも満足を感じて空腹感は失せてしまいました。彼らはそれ以上何も食べることができなくなり、パーンダヴァの家に寄らずに、その場を立ち去りました。このようにしてパーンダヴァたちはドゥルヴァーサーの激怒から救われました。パーンダヴァたちは、大人数の客人をもてなすことができず、ドゥルヴァーサー・ムニの激怒を買い、呪いをかけられるであろう、とドゥルヨーダナは計算してドゥルヴァーサー・ムニを送ったのですが、全知でいらっしゃる主の機知によってパーンダヴァたちを危機から救いました。
(53)常に新鮮である
何百万もの献身者がいつも主を思い、主の御名を唱えています。しかし献身者がそれらに飽き足りてしまうことは決してありません。献身者はクリシュナを思い、クリシュナの聖なる御名を唱えることに関心を失いません。逆に献身者はその熱意をさらに新鮮にしていくのです。このようにクリシュナは常に新鮮なお方でいらっしゃいます。クリシュナ自身ばかりではなく、クリシュナの知識も常に新鮮です。『バガヴァッド・ギーター』は5,000年前に伝えられたのですが、今日でも多くの人々によって読み続けられ、人々はその中に常に新しい光を見出しています。このように主自身と主の御名、名声、性質、その他主に関する全てのものは常に新鮮です。
ドヴァーラカーの妃たちは全員が幸運の女神でした。『シュリーマド・バーガヴァタム』(第1編11章33節)では、幸運の女神は非常に移り気で落ち着きがないので、幸運の女神を常に引きつけていられる人はいないと述べられています。ですから人の財運はいつも変化しています。しかし幸運の女神たちは、ドヴァーラカーで主とともに暮らしていたとき、たとえ一瞬さえも主から離れることができませんでした。これはクリシュナの魅力が常に新鮮であるということを物語っています。幸運の女神でさえも主のそばを離れることができなかったのです。
主は女性の貞節さを削り取るのが大変上手でいらっしゃいます。ですから、クリシュナの魅力的な様子が常に新鮮であることについて、ラーダーラーニーは『ラリタ・マーダヴァ』で、クリシュナは素晴らしい彫刻師であると語っています。貞節な女性が夫への忠実さというウェーダの規定原則を守ることができたとしても、クリシュナの美しさは石のように堅い貞節さにも彫刻刀のように穴をあけてしまいます。クリシュナの女友達のほとんどがすでに結婚していました。彼女たちは結婚する前からクリシュナとつきあっていました。彼女たちは結婚した後でさえ、自分たちを魅了し続けた主の魅惑的な様子を忘れることができませんでした。
(54)サッ・チッド・アーナンダ・ヴィグラハ
クリシュナの超越的体は永遠性と知識と至福に満ちています。「サット」とは全ての時間と場所の中で常に継続するという意味です。つまり「サット」とは、時間と空間に関してあまねく偏在していることです。「チット」とは知識に満ちているという意味です。クリシュナはほかの誰からも何も学ぶ必要がありません。ほかの知識の源に依存することなく、主は全ての知識を備えていらっしゃるのです。「アーナンダ」とは全ての喜びの源という意味です。マーヤーヴァーディーたちは、永遠性と知識に満ちたブラフマンの光輝に没入することを望んでいますが、クリシュナの内にある絶対的な喜びの大部分を避けています。物質的幻想、自我の誤認、執着、無執着、物質に没頭すること、これらの汚れから解放された後に、人はブラフマンの光輝に没入する超越的な喜びを得ることができます。それらの項目が、ブラフマンを悟るためにあらかじめ必要とされる性質です。『バガヴァッド・ギーター』では、喜びに満ちた段階(正確には喜びではなく、全ての不安からの解放感)に達することがまず最初に必要であると述べられています。全ての不安からの解放は喜びという状態の第一項目ですが、不安からの解放は喜びそのものではありません。自己を悟った人すなわちブラフマ・ブータに達した人は、喜びの段階に自分自身を昇進させる準備をしているに過ぎません。真の喜びはクリシュナと接触して初めて味わうことができます。クリシュナ意識は完全です。ですからその中には非人格的悟り、すなわちブラフマンの悟りが含まれています。マーヤーヴァーディーでさえシャーマスンダラと呼ばれているクリシュナの人格的な姿に魅力を感じるようになるのです。
『ブラフマ・サンヒター』には、ブラフマンの光輝がクリシュナの体から発する光輝であることが記述されています。ブラフマンの光輝はクリシュナのエネルギーの顕現に過ぎません。主自身がおっしゃっているように、クリシュナがブラフマンの光輝の源です。このことから、絶対真理の非人格的様相は究極の真理ではないことが理解できます。クリシュナこそが究極絶対真理でいらっしゃるのです。
ヴァイシュナヴァ派の人々は精神的完成を達成した後でブラフマンの光輝に没入することを決して望みません。彼らはクリシュナを自己の悟りの究極目的としています。ですからクリシュナはパラム・ブラフマン(至高ブラフマン)もしくはパラメーシュヴァラ(至高支配者)と呼ばれています。シュリー・ヤームナーチャーリャは、「親愛なる主よ、巨大な宇宙と、その中にある巨大な時間と空間は、物質要素で構成される10枚の殻で囲まれています。それぞれの殻は外にいくにしたがって、厚さが内側の殻の10倍の厚さとなります。物質自然の三様式、ガルボーダカ・シャーイー・ヴィシュヌ、クシーローダカ・シャーイー・ヴィシュヌ、マハー・ヴィシュヌ、それらを超えたところにある精神空間、そしてヴァイクンタと呼ばれる精神惑星、精神空間の中のブラフマンの光輝、これら全てはあなたのエネルギーのわずかな現れに過ぎません」という祈りを捧げています。
(55)全ての神秘的完成に達している
完成にはさまざまな段階がありますが、完全なヨーギーたちが達成する最高の物質的完成の中には、微小なもののうちで最小になる、巨大なもののうちで最大になるなどの8種類があります。全ての精神的完成や、それらの精神質的完成の全てがクリシュナの性質の中に完全に見出すことができます。
(56)クリシュナのエネルギーは想像も及ばない
クリシュナはあらゆる場所にいらっしゃいます。主は、宇宙の中、全ての生命体のハートの中だけではなく、全ての原子の中にも存在していらっしゃいます。クンティー妃の祈りの中では、クリシュナのこの想像も及ばないエネルギーについて語られています。クリシュナはクンティーとお話しになっていながら、アシュヴァッターマーが発した核兵器によって危機に瀕していたウッタラーの胎内にも同時に入って行きました。クリシュナは、主ブラフマーや主シヴァでさえも幻想に陥れることが可能です。主はあらゆる罪の報いから全ての服従した献身者を救うこともできます。これらは、主が持つ想像も及ばないエネルギーの一例です。
シュリーラ・ルーパ・ゴースヴァーミーは、「物質自然は、人間の姿を持つ主クリシュナの単なる影に過ぎません。主は自らを、さまざまな牛、子牛、牛飼いの少年として拡張しました。そして再び、主は自らをそれらの者たちの中に四本腕のナーラーヤナとして現しました。主は何百万ものブラフマーに教えを授けたお方です。主は宇宙の首長から崇拝されるばかりでなく、全ての者に崇拝されています。どうか主をバガヴァーンと受け入れさせてください」という祈りによって、クリシュナに尊敬の礼を捧げています。
かつてクリシュナは天界からパーリジャータの花を取ろうとして、インドラと一戦を交えられました。インドラはクリシュナに敗北し、ナーラダがインドラの前に現れ「天の偉大なる王インドラよ、主ブラフマーや主シヴァでさえ主クリシュナに敗北したのだ。お前のような些細な者はいうまでもなかろう」とインドラを批判しました。もちろんナーラダ・ムニは冗談でインドラを批判したのであり、インドラはその冗談を喜んで聞いていました。ナーラダ・ムニのこの言葉から分かるように、インドラは言うまでもなく主ブラフマーや主シヴァでさえも、クリシュナの力によって幻想に陥れられるのです。ですから、それよりも低い立場の生命体を幻想に陥れる力を、言うまでもなくクリシュナは備えていらっしゃいます。
クリシュナが罪の報いの苦しみを小さくする力をお持ちでいらっしゃることは、「天の偉大な王から蟻に至るまで、誰もが過去の活動の反動を受けている。しかしクリシュナの献身者はクリシュナの恩寵によってそのような反動から解放される」と『ブラフマ・サンヒター』に記述されています。クリシュナはグルの死んだ息子を呼び戻すために、死の支配者ヤマラージャの場所にかつて行かれましたが、そのときにその点が明らかに証明されています。クリシュナのグルが死んだ息子を連れ戻すことをクリシュナに命じたために、主はヤマラージャの場所に行かれました。グルの息子の魂は、ヤマラージャに連れ去られ、ヤマラージャの支配下にいたのですが、クリシュナがその魂を呼び戻されました。クリシュナはただちにヤマラージャに対し、「私の命令を受けて、その魂を私に帰しなさい」と命令されました。自然の法則の支配下にあり、その法則によってヤマラージャに罰せられるべき人たちでさえ、クリシュナの恩寵によってその罰から完全に解放され得ることをこの出来事は物語っています。
クリシュナの想像も及ばないエネルギーについて、シュカデーヴァ・ゴースヴァーミーは、「主は決して誕生されませんが、ナンダ・マハーラージャの息子として降誕されました。主は全ての空間に常に偏在していらっしゃる一方、ヤショーダーの膝の上に乗り、ヤショーダーの愛に縛られました。主は無限の姿をお持ちですが、父母ナンダとヤショーダーの前でひとりのクリシュナとして歩いています。このようにして、私の知性はクリシュナに惑わされています」と語っています。『ブラフマ・サンヒター』にも、主は超越的王国ゴーローカ・ヴリンダーヴァナに永遠に住んでいらっしゃる一方、あらゆる場所にいて、原子の中にさえ存在していることが述べられています。
(57)クリシュナの体は無限の宇宙を発生させる
『シュリーマド・バーガヴァタム』(第10編14章11節)で主ブラフマーは、「我が主よ、偽我意識、知性、心、空間、空気、火、水、土はこの宇宙を構成している物質要素で、それらは巨大な容器にたとえられています。その巨大な容器の中では、私の体などは取るに足らぬ大きさでしかありません。私はその無数の宇宙のうちのひとつを創造したに過ぎません。しかし太陽光線の中に揺らめく微細分子のように、御身の毛穴からは無数の宇宙が発生し、御身の毛穴に無数の宇宙が吸収されていきます。あなたの前では、私は極めて取るに足らない存在に思えます。御身のお許しを乞い願います。どうか私に慈悲をお授けください」と語っています。
ただひとつの宇宙を観察するだけでも、その中には無数の惑星、居住地や神々の住む場所があり、さまざまな驚異的なことが起こっているのがわかります。この宇宙の直径は640万キロメートルです。その中には、不可知の領域が多数あり、パーターラ(低位惑星系)と呼ばれています。これら全てはクリシュナから現れたものですが、主は常にヴリンダーヴァナにいらっしゃって、想像も及ばないエネルギーをいつも発しています。そのようなエネルギーを持っている全能の主を適切に崇拝できる人が果たしているでしょうか。
(58)全ての化身の根源的な源である
ジャヤデーヴァ・ゴースヴァーミーは『ギーター・ゴーヴィンダ』の中で、「主は魚の姿をお取りになり、ヴェーダを救われた。そして亀の姿では、全宇宙を背にお乗せになった。猪の姿でこの地球を海から救い上げられた。ヌリシンハという姿をお取りになった主は、ヒラニヤカシプを滅ぼされた。ヴァーマナの姿では、主はマハーラージャ・バリを欺かれた。パラシュラーマの姿を取られた主は、クシャトリヤの全王朝を壊滅させた。主ラーマの姿で、主は全ての悪魔を滅ぼされた。バララーマの姿で、主は偉大な鋤をお持ちになった。カルキの姿では全ての無神論的な人々を滅ぼされ、主ブッダの姿では哀れな全ての動物をお救いになった(※注)」と歌いました。これらはクリシュナの体から現れた化身の一例です。『シュリーマド・バーガヴァタム』によれば、クリシュナの体からは無数の化身が大海の波のように発せられていることが分かります。大海の波の数を数えることは誰にもできません。同様に主の体からどれほど多数の化身が出現しているか数えることは誰にもできません。
* これら全てのバガヴァーンの化身は、『シュリマード・バーガヴァタム』(A.C.バクティ・ヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダ著)第1編3章に記述されています。
(59)クリシュナに殺された敵は解放を達成する
解放はアパヴァルガとも呼ばれています。アパヴァルガは、パヴァルガ(物質存在のさまざまな悲惨な状態)の反意語です。パヴァルガはpa pha ba bha maの5つのサンスクリット文字の組み合わせです。これら5つ文字は次に挙げる5つの状態を表す語の最初の一文字です。paという文字はparābhava(敗北)という語の最初の一文字です。この物質界での生きる苦闘の中では、誰もが敗北に直面します。私たちは生老病死を克服しなければならないのですが、これらの苦悩を克服する方法が全く存在しないために、マーヤーに幻惑されて、私たちはただparābhavaすなわち敗北に直面しなければならないのです。次にphaはphenaという語から来ています。phenaは非常に疲れているときに口に現れる泡(馬がよくこの泡を出す)のことです。baという文字はbandha(束縛)の最初の一文字です。bhaはbhīti(恐怖)という語から取られています。maはmṛti(死)から来ています。それゆえparargaという語は、生きる苦闘の果てに敗北し、疲労、束縛、恐怖、そして最終的に死に直面しなければならないことを意味しているのです。アパヴァルガとはこれら全ての物質的状況を打ち消すものという意味です。クリシュナはアパヴァルガと呼ばれる解放の道を授けてくださるのです。
マーヤーヴァーディーやクリシュナの敵にとって解放とは至高存在に没入することです。悪魔やマーヤーヴァーディーたちはクリシュナには全く関心を持っていませんが、大変に親切なお方でいらっしゃるクリシュナは、主の敵やマーヤーヴァーディーたちにも解放を授けます。これに関して、「おおムラーリ(クリシュナ)よ、常に神々たちを妬んでいた悪魔たちはあなたの軍隊を貫くことはできませんでした。しかし彼らはそれでもミトラと呼ばれている太陽の領域を貫くことができました。なんと不思議なことでしょう」という記述があります。ここでミトラという語は比喩的に使われています。ミトラは太陽を意味する言葉ですが、友人という意味もあります。クリシュナに敵意を持っていた悪魔たちは主の軍隊を貫こうとしたのですが、逆に彼らは戦死してしまいました。その結果、彼らはミトラの惑星(太陽)を貫きました。つまり彼らはブラフマンの光輝の中に入っていったのです。精神空間には無数のヴァイクンタ惑星があり、常に輝いています。太陽もそれと同じように常に輝いているので、ここで太陽の例が挙げられているのです。クリシュナの敵対者たちがクリシュナの軍隊を貫くことはできませんでしたが、彼らは殺されて精神的光輝の友好的な雰囲気の中に入って行きました。これがクリシュナの慈悲です。このようにクリシュナは敵を救うお方なのです。
(60)解放された魂を魅了する
シュカデーヴァ・ゴースヴァーミーやクマーラたちのような解放された偉大な魂でさえも、クリシュナに魅了された例が多数あります。クマーラたちはこのことについて、「私たちは完全に解放され、欲望を持たず、パラマ・ハンサの段階に達していたにもかかわらず、ラーダーとクリシュナの遊戯を味わいたいと望んでいることは何と不思議なことだろう」と語っています。
(61)素晴らしい活動の実演者である
『ブリハド・ヴァーマナ・プラーナ』で主は、「私は数多くの魅惑的な遊戯を行ってきたが、ゴーピーたちとのラーサ・リーラーのことを思えば、私はまたそれを行いたくなる」とおっしゃっています。
ある献身者は、「幸運の女神の夫ナーラーヤナやその他にも私は主の数多くの化身を存じております。私の心はそれらの化身の遊戯に喜びを感じるのですが、主クリシュナ自身が行われたラーサ・リーラーの遊戯に、私の超越的な喜びが踊り出します」と言いました。
(62)愛に満ちた献身者に囲まれている
私たちがクリシュナと言うときには、クリシュナはおひとりではありません。「クリシュナ」には、主の御名、性質、名声、友人、所持品、側近など、全てが含まれています。私たちが王と言えば、それはただ「王」その人だけを指すのではありません。王の周囲には、秘書官、軍指令官やその他に多くの人々がいます。同様に、クリシュナも人格を持つ存在で、さまざまな者たちに囲まれていらっしゃいます。特にヴリンダーヴァナのリーラーでは、主はゴーピーたち、牛飼いの少年たち、父母、そしてヴリンダーヴァナの全住民たちに囲まれています。
『シュリーマド・バーガヴァタム』(第10編31章15節)で、ゴーピーたちは、「愛しいクリシュナ、昼間あなたが牛といっしょにヴリンダーヴァナの森にいる間、一瞬が10年以上にも思えて、時を過ごすのがとても辛いわ。そしてあなたが一日の終りに帰ってくると、あなたのきれいな顔がとても素敵で、あなたしか見れなくなるの。そんなとき、瞬きしなければならないなんて、創造主ブラフマー様の低能ぶりを呪いたくなるわ。ブラフマー様は完壁な目を作ることができないんですもの」と嘆いています。瞬きしている間はクリシュナを見ることができないので、ゴーピーたちは瞬きの間の一瞬の離別感に辛い思いをしていたのです。クリシュナに対するゴーピーたちの愛は極めて大きく、非常に恍惚的でした。ですからわずか一瞬でさえクリシュナから離れることも、彼女たちには耐え難いことだったのです。そして逆説的なことに、彼女たちはクリシュナを見るとまた心を悩ませました。
あるゴーピーは、「あなたと会うのには、夜が短かすぎるわ。私たちのこの夜だけじゃなく、ブラフマー様の夜(※)だって、私たちには短か過ぎるわ」とクリシュナに打ち明けています。『バガヴァッド・ギーター』(第8章17節)には、「地球的計算によれば、(4つの時代を一周期として)ブラフマーの一昼は千周期、そして夜も千周期」と記述されています。この節から私たちはブラフマーの昼の長さを知ることができます。そのように長い夜があったとしても、クリシュナとの会うには夜の長さは短かすぎるとゴーピーたちは語っています。
* ブラフマーの12時間は43億年、すなわち一夜に相当します。
(63)クリシュナが吹くフルートは魅力的である
『シュリーマド・バーガヴァタム』(第10編55章15節)でゴーピーたちはヤショーダーに、「あなたの息子クリシュナがフルートを吹くと、主シヴァ、主ブラフマー、インドラのような偉大な学者や偉大な人物とされている人々も心を惑わされます。そのような人たちは偉大な方々なのですが、クリシュナのフルートの音を聞くと慎ましくひれ伏し、その音の調べに耳を傾けて厳粛な気分になってしまいます」と語っています。
ルーパ・ゴースヴァーミーは著書『ヴィダグダ・マーダヴァ』の中でクリシュナのフルートの調べについて、「主シヴァはクリシュナのフルートが奏でる調べを聞いて、ディンディマ太鼓を打つ手をふと止めた。そしてクリシュナのフルートの調べは4人のクマーラのような偉大な聖者の瞑想をも遮った。物質界創造のために蓮のうてなに座っていた主ブラフマーは、突然その調べを聞き驚いた。そして鎌首に全惑星を静かにお乗せになっているアナンタデーヴァがあちらこちらに動き出されたのは、宇宙の殻を越えて精神空間にまで達したクリシュナの奏でるフルートのせいだった」と書いています。
(64)クリシュナの比類なく美しい
『シュリーマド・バーガヴァタム』(第3編2章12節)でウッダヴァは、「地球上で内的エネルギーを現されたとき、主クリシュナの姿は極めて美しかった。主がこの地球上で遊戯を繰り広げていらっしゃったとき、主の魅惑的な姿が現されていた。主の内的エネルギーによって主は富を現したが、その富は全ての者を驚愕させた。主は極めて美しく、主は装飾品を身につける必要がなかった。事実、装飾品がクリシュナを飾っていたのではなく、クリシュナの美しさによって装飾品が魅力を増していたのである」とヴィドゥラに語っています。
クリシュナの体の美しさと主のフルートの音に関して、『シュリーマド・バーガヴァタム』(第10編29章40節)でゴーピーたちは、「私たちはあなたを恋人のように愛しています。でもあなたのフルートの調べを聞けば、どんな女性でも貞節さを失ってしまって、私たちはただ驚くばかりです。女性ばかりではありません、堅実な男性だってあなたのフルートの音を聞くと、その段階から堕落してしまいます。ヴリンダーヴァナでは、あなたのフルートの甘い調べを聞き、あなたの素敵な美しさを見て、牛や鹿、烏や木、誰もが魅了されています」とクリシュナに呼び掛けています。
ルーパ・ゴースヴァーミーの『ラリタ・マーダヴァ』に、「ある日クリシュナは宝石の表面に写っている自分の美しい姿の影を見て、『何て不思議なことだろう。このような美しい姿は見たことがない。私自身の姿なのだが、私はラーダーラーニーのようにこの姿を抱いて天国のような喜びを楽しみたい』と主自身が思われました」という記述があります。このことは、クリシュナ自身とクリシュナの影が全く同じものであることを示しています。主自身と主の影、主自身と主の絵の間には何ら違いがありません。主はこのような超越的な立場にいらっしゃるのです。
クリシュナの内には、素晴らしい喜びの源が存在しています。私たちは、これまでの部分でそれについて議論してきました。そして主自身の超越的な性質についても述べてきました。クリシュナの超越的な性質の深さを測ることは不可能です。ですから主の超越的な性質は大海に例えられています。しかし海水の一滴を調査すれば、大海の構成要素を知ることができます。今までの記述から、私たちはクリシュナの超越的な立場と性質について何らかの理解を得ることができるでしょう。
『シュリーマド・バーガヴァタム』(第10編14章7節)で主ブラフマーは、「我が主よ、御身はこの地球上においでになり、想像も及ばない性質、美、活動をさまざまに現されました。しかしそれらを物質的な手段で測ることはできません。『クリシュナはこのようなお方であろう』と想像することすらも不可能なのです。何度も生まれ変わり、何年もの研究を積んだ物質的な科学者が全世界の原子的構成を知ることができるようになる日は来るかも知れません。また科学者が宇宙内の原子の総数を推測することができるようになるかも知れません。しかし彼らは、超越的な至福の源でいらっしゃる御身の超越的な性質を数えることはできません」と語っています。