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第21章

シュリー・クリシュナの性質 (1)

人の持つ特徴は、隠された姿と表れた姿の2種類があります。クリシュナがさまざまな衣装を召されるとき、主の直接の姿は隠されています。『シュリーマド・バーガヴァタム』のドヴァーラカー・リーラー(主が王としてドヴァーラカーに住んでいらっしゃったこと)には、主の直接の姿が隠された例が見られます。主はときには女装されました。この姿を見たウッダヴァは、「不思議だ。この女性はちょうどクリシュナのように私の恍惚愛を魅了している。この女性は女装しているクリシュナに違いない」と語っています。
 ある献身者はクリシュナの表した姿を見て、クリシュナの身体的姿を讃えて次のように叫んでいます。
「クリシュナのお姿はなんて素晴らしいんだろう。首はあたかもほら貝のよう、目はとてもきれいで、蓮華の花の美しさを凌いでいる。体はちょうどタマーラの木のように黒っぽい。お顔は髪で覆われていて、胸にはシュリーヴァツァのしるしがある。そしてほら貝を持っていらっしゃる。私がただ主の超越的な性質を見るだけで、主は私に超越的至福をお授け下さる。悪魔マドゥの敵でいらっしゃるお方は、このように喜びに満ちた特徴をその美しい体の中に持っている」
シュリーラ・ルーパ・ゴースヴァーミーはさまざまな経典を参照した上で、主の超越的な性質を次のように列挙しています。(1)体がさまざまな美しい特徴を持つ、(2)吉兆な身体的兆候を全て備えている、(3)極めて喜ばしい、(4)輝いている、(5)強靭、(6)常に若々しい、(7)さまざまな言語に長けている、(8)誠実である、(9)快い話し方をする、(10)能弁である、(11)高い学識を持つ、(12)高い知性を持つ、(13)天才である、(14)鋭い美的感覚を持つ、(15)非常に才気がある、(16)器用である、(17)感謝の念を忘れない、(18)揺るがぬ決意を持つ、(19)時と状況を判断するのに長けている、(20)ヴェーダすなわち経典の権威に基づいて判断し話す、(21)純粋である、(22)自分自身をコントロールしている、(23)着実である、(24)忍耐強い、(25)度量がある、(26)厳粛である、(27)自己充足的である、(28)心の平安を保っている、(29)寛大である、(30)宗教的である、(31)英雄的である、(32)憐れみ深い、(33)敬意を表す、(34)礼儀正しい、(35)温厚である、(36)恥じらいやすい、(37)服従した魂を保護する、(38)幸福である、(39)献身者の幸を願う、(40)愛に支配される、(41)全く吉兆である、(42)最も力強い、(43)有名である、(44)人気がある、(45)献身者を特に好む、(46)全ての女性を魅了する、(47)完全に崇拝に値する、(48)全ての富を持っている、(49)完全な名誉を持つ、(50)最高の支配者である。以上の超越的な性質をバガヴァーンは大海のように深く持っています。つまり計り知れないほどの性質を主は持っていらっしゃるのです。
個別の生命体が主の純粋な献身者になれば、至高主の微少部分として、これらの性質をそれぞれ微量だけ持つことができます。つまり、これらの性質は献身者の中に微量だけ表れているのに対し、バガヴァーンには常に完全に表れているのです。
 これらの50の性質の他にも、主シヴァが『パドマ・プラーナ』でパールヴァティーに超越的な性質を語っています。そして『シュリーマド・バーガヴァタム』第1編でも、地母神ブーミーと宗教王ヤマラージャの次のような会話が記述されています。
「偉大な人物になることを望む人は次に挙げる性質で飾られていなければならない。すなわち、誠実さ、清潔さ、慈悲心、忍耐強さ、離欲、穏やかさ、質素さ、感覚支配、心の平安、謹厳さ、公平さ、寛大さ、落ち着き、学識、知識、無執着、富、騎士道精神、力、記憶力、独立性、機転がきく、輝いている、堅忍不抜の精神、心の優しさ、発明の才、礼儀正さ、丁寧であること、決意、全ての知識、適切な行動を取る能力、快楽の対象を全て持つこと、厳粛さ、着実性、信念、有名さ、敬意を持つ態度、偽我意識を持たないことなどの性質を持っていなければならない」
 偉大な魂になることを望む人は、必ずこれらの性質を備えていなければなりません。ですから私たちは至上の魂である主クリシュナの中には、これらの性質が確実に存在していると知ることができます。
 これらの50の性質の他に、主クリシュナは、(51)変化しない、(52)全知である、(53)常に新鮮である、(54)サッ・チッド・アーナンダである(永遠で至福に満ちた体を持っている)、(55)全ての神秘的完成を達成している、という性質をさらに持っていらっしゃいます。主シヴァと主ブラフマーがこの5つの性質を部分的に現すこともあります。
 主クリシュナはこれらの他にもさらに5つの性質を持っていらっしゃいます。これら5つの性質はナーラーヤナの体にも現れています。その5つの性質とは、(56)想像も及ばないエネルギーを持つ、(57)無数の宇宙が主の体から発生する、(58)全ての化身の根源的な源である、(59)主に敵意を持つ者は、主に殺されて解放を達成することができる、(60)解放された魂を魅きつける、という5つです。これらの全ての超越的な性質は主クリシュナの人格的様相に表されています。
 これら60の性質の他に、クリシュナはさらに4つの性質を持っていらっしゃいます。これら4つの性質はナーラーヤナにさえも現れていません。神々がこの4つを備えていないことは言うまでもありません。その4つの性質とは、(61)主はさまざまな素晴らしい遊戯(特に幼少時代の遊戯)を繰り広げる、(62)バガヴァーンへの素晴らしい愛を持った献身者に主は囲まれている、(63)主はフルートを吹くことによって全生命体を魅惑することができる、(64)主は全創造の中で比類のない素晴らしい美を備えている、の4つです。
 クリシュナだけが持つこれら4つの性質を含んで、クリシュナは合計64の性質を持ちます。シュリーラ・ルーパ・ゴースヴァーミーはバガヴァーンの人格に現れている64の性質について、さまざまな経典を引用しながら説明します。

(1)美しい容姿

 物質的にどれほど美しいものを用いたとしても、主の体のさまざまな部分を何かに完全に例えることはできません。しかし主がどのように崇高な容姿を持っていらっしゃるのかを理解できない普通の人々のために、物質的な比愉によるさまざまな例が挙げられています。クリシュナの顔は月のように美しく、腿は象の鼻のように力強く、両腕は二本の柱のようであり、掌は蓮華のように開かれ、胸は玄関のようであり、尻は深い谷、体の中央部は高台のようであると言われています。

(2)吉兆な特徴

 非常に吉兆であるとされている身体的な特徴はさまざまあります。そしてそれら全てが主の体に完全に現れています。このことに関してナンダ・マハーラージャの友人はクリシュナの吉兆な身体的特徴を次のように語っています。
「牛飼いたちの王よ、あなたの息子クリシュナの体には32の吉兆なしるしがあります。このような子どもがどうして牛飼いの家に生まれたのか、私には分かりません」
 主クリシュナは、主ラーマチャンドラの場合のように、普通はクシャトリヤの家系にお生まれになります。また主はブラーフマナの家庭にお生まれになることもあります。ナンダ・マハーラージャはヴァイシャだったのですが、主クリシュナはナンダ・マハーラージャの家庭に生まれることを受け入れました。ヴァイシャ共同体の職業は商業取引と牛の保護です。ですからナンダ・マハーラージャの友人は、このような高貴な子どもがどうしてヴァイシャの家庭に生まれたのかと不思議に思ったのです。そしてそのナンダ・マハーラージャの友人は、クリシュナの体に現れている吉兆な兆候をクリシュナの養父ナンダ・マハーラージャに次のような言葉で指摘しています。
「この子は、両目、掌、足の裏、口、くちびる、舌と爪の7つの場所に赤いつやがありますが、それは吉兆なしるしとされています。この子の腰、額、胸の3つの部分はとても広いです。また首、もも、性器は短いです。声、知性、腰はとても深いです。腹、腕、耳、額、もも、の5箇所は細いです。これは偉大な人々にのみ現れます」
 掌にあるさまざまな線もまた吉兆な身体的様相とされています。これに関してある年配のゴーピーはナンダ・マハーラージャに、「あなたの息子さんの掌には、いろいろな線が現れています。その他にも、掌に蓮華の花とチャクラのしるしがあり、足の裏には、旗、稲妻、魚、象を操る棒、蓮華の花のしるしがあります。ほら、これらの吉兆なしるしをご覧なさい」と語っています。

(3)喜ばしさ

 自然に人目を引くような美しい容姿は、ルチラ(喜ばしさ)と呼ばれます。クリシュナの容姿はルチラと呼ばれる美しい様相を備えています。これに関して『シュリーマド・バーガヴァタム』には「ユディシュティラ王がラージャスーヤ供犠祭を行っていたとき、バガヴァーンは喜ばしさに満ちた衣装を召して祭場にお現れになった。あらゆる重要人物たちが宇宙のさまざまな場所から招待されていたが、クリシュナを見たときその全員が『創造主がクリシュナの体を作るにあたって、全才能を注ぎ込んだに違いない』と思った」という記述が見られます。
 クリシュナの体の中で、顔、目、手、へそ、足の8つの部分は蓮華に似ていると言われています。ゴーピーやヴリンダーヴァナの住民たちは、どこにでも蓮華の花の輝きを見ることができました。そして蓮華から目を離すことができませんでした。

(4)光輝

宇宙に偏在している光輝はバガヴァーンから発せられた光線であると考えられています。クリシュナの至高の王国は常にブラフマ・ジョーティルと呼ばれる光輝を発しています。その光輝は主の体から発散しています。
 主の胸を飾るさまざまな宝石の輝きは太陽の輝きさえも凌いでいます。しかし主の体の光輝と比較すれば、その宝石の輝きは夜空のひとつの星ほどでしかありません。このようにクリシュナの超越的な影響力は極めて大きく、それを凌ぐものはありません。主クリシュナに敵意を燃やしていたカンサ王の供犠祭場に主がお現れになったとき、レスラーたちは主の体が柔らかいことを察しましたが、主と一戦を交えなければならないことを思うと彼らは戦慄しました。

(5)強靭

 並み外れた体力を持つ人は、バリーヤーンと呼ばれます。クリシュナがアリシュタースラを滅ぼされたとき、ゴーピーたちは次のように語り合いました。
「ほら、みんな見てごらん。クリシュナがアリシュタースラを殺したわよ。山よりも強いアリシュタースラを小さな綿くずみたいに摘み上げて、簡単に投げ飛ばしたわよ」
 また「クリシュナの献身者の方々よ、ゴーヴァルダナの丘をボールのように持ち上げた主の左手が、どのような危険からもあなたがたを守って下さいますように」という節もあります。

(6)常に若々しい

 幼少時代、少年時代、青年時代を通じて、クリシュナは美しいお方です。この3つのうちで、主の青年時代は全ての喜びの源であり、主はこの時代にさまざまな最高の献身奉仕をお受け入れになります。その時代に主は超越的な性質に満ちて、超越的な遊戯を繰り広げられます。ですから献身者たちは主の青年時代の到来を、最も魅力あるものとして恍惚愛で受け入れました。
 青年時代のクリシュナについて、「クリシュナの若い力は美しい笑顔と結びついて、満月の美しさをも凌いでいた。主は常に素晴らしい衣装を召していらっしゃって、その麗しさはキューピッドよりも優れていた。そして、主はいつもゴーピーたちの心を魅惑していらっしゃって、ゴーピーたちの心は喜びに満ちていた」という記述が見られます。

(7)さまざまな言語に長けている

 さまざまな国語、特に神々の言語サンスクリット語の他にも、動物の言葉を含むさまざまな言語を知っている人は、素晴らしい言語学者であるとルーパ・ゴースヴァーミーは語っています。このことからクリシュナは動物の言葉もお話しになり、理解されたことが分かります。クリシュナが遊戯を繰り広げていらっしゃった頃、ヴリンダーヴァナにいたある老女は驚いて、「なんて不思議なことかしら。クリシュナはヴラジャ・ブーミのゴーピーたちの心を独り占めにして、彼女たちとヴラジャ・ブーミの言葉で話しているかと思えば、サンスクリット語で神々とも話している。動物の言葉も分かって牛や水牛とも話している。カシミール地方の言葉も話せて、九官鳥やいろんな烏とも言葉を交わしている。それにクリシュナは普通の言葉でも、話がとても上手だわ」と語っています。この老女は、クリシュナがどのようにしてさまざまな言葉を話せるようになったのかゴーピーたちに尋ねました。

(8)誠実さ

約束を決して破らない人は誠実な人であると呼ばれます。「5人のパーンダヴァたちをクルクシェートラの戦場から連れて帰る」と、クリシュナはかつてパーンダヴァたちの母、クンティーに約束されました。そして戦いが終わってパーンダヴァの全員が帰ってきたとき、「たとえ陽の光りが冷たくなり、月の光りが暑くなることがあったとしても、御身の約束が破られることはありません」と、クンティーはクリシュナが約束をお守りになったことを讃えています。またクリシュナがアルジュナやビーマと一緒にジャラーサンダに戦いを挑みに行かれたとき、主はジャラーサンダに、自分が永遠のクリシュナであり、パーンダヴァのふたりとその場に現れたことを率直にお話になりました。クリシュナとパーンダヴァのふたり(この場合はアルジュナとビーマ)はクシャトリヤ(武官、王)でした。ジャラーサンタもクシャトリヤで、ブラーフマナに施し物をすることは決してためらいませんでした。クリシュナはジャラーサンダと戦うつもりで、ビーマ、アルジュナとともにブラーフマナに変装して、ジャラーサンダのところに赴かれました。ジャラーサンダはブラーフマナに施し物をすることを特に好んでいたので、何が欲しいのかと彼らに尋ねました。すると彼らが、「欲しいのは戦いだ」と語ったのです。ブラーフマナに変装していらっしゃったクリシュナは、自分がジャラーサンダ王の宿敵である永遠のクリシュナである、とそのとき名乗りを上げられました。

(9)快い話し方

 敵の前であっても心地好い話し方をして、敵の気持ちさえも和らげる人は、快い話し方をする人と呼ばれます。クリシュナの話し方はとても快いものです。主に敵意を持っていたカーリヤを主が懲らしめられたとき、「親愛なる蛇よ、私は君に大きな傷を与えたが、どうか私を悪く思わないでくれ。神々でさえも崇拝する牛を保護することが私の務めなのだ。君がいたために牛が危険にさらされていた。牛を守るためには、君を追放するしかなかったのだ」と主はおっしゃいました。
かつてカーリヤという蛇がヤムナー川に住みつき、ヤムナーの下流が毒で汚されたことがありました。ヤムナー川の水を飲んだ牛たちは命を落としてしまいました。そのときクリシュナはわずか4、5才でいらっしゃいましたが、ヤムナーに飛び込みカーリヤを懲らしめ、そしてカーリヤを追放されました。
 そのときクリシュナは「神々でさえも牛を崇拝する」という言葉によって、牛の保護の模範をお示しになりました。全ての人が牛を保護すべきです。少なくともクリシュナ意識の人は、主の足跡に従って牛を保護するように努めなければなりません。牛を崇拝するのは神々だけではありません。特にゴーパーシュタミーやゴーヴァルダナ・プージャーの日には、主クリシュナ御自身も牛を崇拝されました。

(10)能弁である

 意味の深い言葉を丁寧に上手く話す人は、ヴァーヴァドゥーカすなわち能弁な人であると呼ばれます。クリシュナが丁寧な話し方をされたことが『シュリーマド・バーガヴァタム』に記述されています。雨神インドラへの供犠祭を止めることを主クリシュナがナンダ・マハーラージャに丁寧に勧めていらっしゃったとき、その言葉がヴリンダーヴァナに住むある女性を魅了しました。彼女は友人にクリシュナがどのような言葉を話したか、次のように語っています。
「クリシュナがお父さんに話し掛けていたけど、その話し方といったらとても丁寧で優しくて、まるでそこにいた人々の耳に甘露を注いでいるようだったわ。そんなに快いクリシュナの言葉を聞いたなら、誰でもクリシュナに魅了されてしまうわ」

(11)高い教養がある

高い教育を受け、道徳原則に基づいて行動する人は、高い教養を持つと言われます。高い教育を受けた人とはさまざまな分野の知識に精通している人のことです。道徳的な人とは道徳原則に厳格に従う人のことです。そして高い教養を持つ人とはその両者を備えた人のことです。
シュリー・ナーラダ・ムニは、クリシュナがサーンディーパニ・ムニから教育をお受けになったことに関して「最初、主ブラフマーやその他の者たちはクリシュナという大海から湧き出た雲のようであった。つまり雲が大海から水分を受け取るように、ブラフマーがまずクリシュナからヴェーダ教育を受けた。主ブラフマーが世界に語り伝えたヴェーダの教育や知識は次にサーンディーパニ・ムニという山に蓄えられた。サーンディーパニ・ムニがクリシュナを教育したことは、まさに山の水源が川となって流れ出て、源であるクリシュナという大海に混入するのに似ている」と語っています。つまり分かりやすく言うと、水の源である大海が他から水を受ける必要がないように、クリシュナが他から教育を受ける必要はありません。ただ川が大海に注ぎ込んだように見えるだけです。そのようにブラフマーはクリシュナから教育を受け、ブラフマーから師弟継承を通じてヴェーダ知識が伝わりました。サーンディーパニ・ムニはクリシュナという大海に注ぎ込む川に例えることができます。
シッダローカ(その惑星に住む人は全て神秘力を備えている)の住民であるシッダたちや、シッダローカと同じような惑星に住むチャーラナたちは、クリシュナに次のような祈りを捧げています。
「我が主クリシュナよ、学問の女神は14種類の教養で彩られ、彼女の知性はヴェーダの4部門全体にくまなく行き渡っています。マヌのような偉大な人々が編さんしたさまざまな法律書に彼女の知性はいつも注がれています。そして彼女は、ヴェーダ的明証、文法、修辞学、語彙、論理学という6種類の専門知識に飾られています。補足的ヴェーダ経典やプラーナが親友として彼女のそばに常に従っています。そして今や彼女は学校で御身の級友として御身とともに座る機会に恵まれ、御身に仕えています」
 バガヴァーン、クリシュナが教育を受ける必要はありません。しかし主は、主に奉仕する機会を学問の女神にお授けになりました。主クリシュナの献身者は数多くいますが、主は自らの内に満ち足りたお方でいらっしゃるので、主が生命体の奉仕を必要としていらっしゃるわけではありません。主はあたかも献身者の奉仕を必要としているかのように、あらゆる者に奉仕の機会をお授けになりますが、それは主の大きな親切心と慈悲心によるものです。
 『シュリーマド・バーガヴァタム』では主クリシュナの道徳観について、「盗みを働く者には死の権化として、敬虔な者には喜びに満ちた至福として、若い乙女たちに対しては最も麗しいキューピッドとして、貧しい人々に対しては気前のよい人としてクリシュナはヴリンダーヴァナを支配していらっしゃる」と記述されています。主の友人たちに対しては主は満月のように清々しい喜びをお授けになります。主の敵に対しては、主シヴァから放たれる炎のように、主は全てを焼き尽くされます。さまざまな人々に対して、それぞれにふさわしい交際をお授けになった主は、最も素晴らしい道徳家でいらっしゃいます。主が盗人たちに対して死の権化でいらっしゃるということは、主が道徳観を欠いていらっしゃるということではありません。また主が残酷なお方であるという意味でもありません。主はむしろ親切です。死をもって盗人を罰するということは、最も高い道徳性を表しているからです。さまざまな人々が主に対してどのように振る舞うかに応じて、主はさまざまな人々にお応えになることが主自身によって『バガヴァッド・ギーター』で語られています。主は献身者と非献身者に対して異なった振る舞いをされますが、そのどちらの振る舞い方も等しく善です。クリシュナは完全なる善でいらっしゃるので、どのようなものに対する主の振る舞い方も善なのです。

(12)高い知性がある

 鮮明な記憶力を持ち卓越した思慮深さを備えている人は、知的であると言われます。主クリシュナの記憶力については、次のように言われています。主がアヴァンティープラにあったサーンディーパニ・ムニの学校に通っていらっしゃったとき、主は鋭い記憶力を持っていらっしゃいました。一度教えを受けると、主はどのような分野に関してもたちどころに精通されました。主がサーンディーパニ・ムニの学校に行かれた目的は、どのような偉大な人物や天才であっても教育を受けるためには高い権威者のもとに行かなければならないことを世界の人々に知らせるためでした。どれほど偉大な人でも、先生やグルを受け入れなければならないのです。
 主がマトゥラーの街を襲ったアウトカーストの王と戦っていらっしゃったとき、主の卓越した思慮深さが発揮されました。ヴェーダの習慣によれば、クシャトリヤの王はたとえ殺すときでさえもアウトカーストの者に触れてはならないとされています。ですからマトゥラーの街がアウトカーストの王に奪われたとき「自ら手を下してその王を殺すのは良いことではない」と主はお考えになりました。しかしその王を殺さなければなりません。そこでクリシュナは比類のない思慮深さを発揮して、戦場から逃走されました。アウトカーストの王は主を追い掛けました。主はその王をムチュクンダが寝ている山に導かれました。睡眠から覚めたとき最初に視界に入った人は死ぬ、という恩恵をムチュクンダはカールティケーヤから授かっていました。ムチュクンダが目覚めたときその王がその場にいるようにすれば、アウトカーストの王はたちまちに焼き殺される。主はそのような計画を立てました。

(13)天才である

 新しい議論を次々と打ち立て、どのような反対意見も論破できる人は、天才的であると言われます。これに関して『パデャーヴァリー』に次のようなクリシュナとラーダーの会話があります。ある朝クリシュナがラーダーのところにおいでになりました。
「愛しのケーシャヴァ、あなたのヴァーサは今どこ」
 ヴァーサというサンスクリット語は、住居、香り、衣装、という3つの意味を持っています。
ラーダーはクリシュナの衣装はどこにあるのか尋ねたいと思っていたのですが、クリシュナはそれを、どこに住んでいるのか、という意味に受け取られました。
「心を奪われたラーダーよ、今、僕は君の美しい瞳の中にいるんだよ」
ずる賢い方ね、あなたの家のことじゃなくて、服のことよ」
するとクリシュナはヴァーサを香りと受け取られました。
「恵まれたラーダーよ、君と楽しい時を過ごすために、たった今この香水をつけてきたんだよ」
「夜はどこでお過ごしになったの」
ここで使われているサンスクリット語は「夜」と「過ごす」という2つの語の複合語なのですが、違った分け方をすると「夜によって誘拐された」という意味になります。
 「愛しのラーダーラーニーよ、夜が僕をさらっていったと思っているの」
 このように、主はラーダーのどのような問いにもずる賢い受け応えをされました。そして主のそのような言葉に、主の最愛のゴーピーは歓喜しました。

(14)芸術的である

 美しい言葉を語り、美しく着飾ることができる人は、ヴィダグダと呼ばれています。このヴィダグダの例はシュリー・クリシュナの性質の中に見出されます。これに関して、「ほら見てごらん。クリシュナが上手に歌を作っているわ。ほらクリシュナが踊っているわ。面白いことを言っているわ。あんなにきれいな服を着て、フルートを吹いている。クリシュナって、まるでどんな俳優にも負けないくらい素敵な服を着ているわ。クリシュナの着こなしの上手さは不思議なくらいね」とラーダーラーニーは語っていらっしゃいます。

(15)才気がある

 さまざまな仕事を一度に行うことができる人は才気ある人と呼ばれます。これに関してあるゴーピーは次にように語っています。
「ほらみんな、クリシュナの才気を見てごらん。牛飼いの少年たちの歌を作って、牛を喜ばせているでしょう。目を動かして、ゴーピーたちを楽しませてる。そうかと思うと、アリシュタースラのような悪魔と戦っているでしょう。クリシュナはあらゆる方法で、あらゆる人と一緒にいて、いつも楽しんでいるのよ」

(16)器用である

 困難な仕事をたちどころに行うことができる人は、器用な人と呼ばれます。クリシュナの器用さについて『シュリーマド・バーガヴァタム』(第10編59章17節)でシュカデーヴァ・ゴースヴァーミーはマハーラージャ・パリークシットに、「クル王家の最高の者よ、シュリー・クリシュナはさまざまな戦士が放ったさまざまな武器を全て粉々に破壊してしまわれた」と語っています。以前の戦争はさまざまな矢を放つことによって行われました。一方が矢を放つと、他方がその矢の威力を別の矢で打ち消しました。たとえば空から水を降らせる効果を持つ矢を一方が放つと、他方はその水をたちどころに雲に変えてしまうような矢を放たなければなりませんでした。シュカデーヴァ・ゴースヴァーミーのこの言葉から、主クリシュナは敵の矢を打ち消すことに非常に熟達していらっしゃったことがうかがえます。ラーサ・ダンスのとき、一人ひとりのゴーピーがクリシュナのパートナーになることを主に要求しました。するとクリシュナは自らを拡張して、一人ひとりのゴーピーのパートナーとなられました。一人ひとりのゴーピーが、自分のそばにはクリシュナがいる、と思っていました。

(17)感謝の気持ちがある

 友人からの温情をいつも覚えていて、自分が受けた奉仕を決して忘れない人は感謝の念に満ちた人と呼ばれます。『マハーバーラタ』でクリシュナは、「私はドラウパディーから遠く離れていたのだが、彼女は『へー・ゴーヴィンダ』と叫んだ。彼女が私の名前を呼んでくれたので、私は彼女の温情を感じている。そしてその思いが私のハートの中で大きくなっていく」と語っていらっしゃいます。クリシュナがこのように語っていらっしゃることから分かるように、至高主に「へー・クリシュナ、へー・ゴーヴィンダ」と呼び掛けるだけで、至高主は喜んで下さるのです。
 またマハー・マントラ(ハレー クリシュナ・ハレー クリシュナ・クリシュナ クリシュナ・ハレー ハレー / ハレー ラーマ・ハレー ラーマ・ラーマ ラーマ・ハレー ハレー)も主自身と主のエネルギーへの呼び掛けです。主自身と主のエネルギーに常に呼び掛けている人に対して私たちは主がどれほど喜んでいらっしゃるか推し量ることができません。主は決してそのような献身者をお忘れになりません。この節から明らかに分かるように、主に呼び掛ける人はただちに主の注意を引くことができ、主はいつもそのような人の温情を感じていらっしゃるのです。
 主が温情を感じられた例をさらにひとつ挙げます。それは、主がジャーンバヴァーンの奉仕にお応えになったことです。主がラーマチャンドラとして降誕されたとき、偉大な猿王、ジャーンバヴァーンは大きな信念を持って主に仕えていました。再び主がクリシュナとしてお現れになったとき、主はジャーンバヴァーンの娘と結婚され、年長者に捧げるべき全ての敬意を主はジャーンバヴァーンにお捧げになりました。誠実な人は、ほかの人から何かの奉仕を受けたことを決して忘れません。クリシュナは最高に誠実なお方です。そのためクリシュナが奉仕者を忘れることは決してありません。

(18)決意を持つ

 規定原則を守り、約束に従う人は、決意ある人と呼ばれます。主の決意に関して『ハリ・ヴァンシャ』には、天界の王インドラと主クリシュナの間の戦いで、パーリジャータの花を主がインドラから奪われたことが記述されています。パーリジャータは天界だけにしかない一種の蓮華の花です。クリシュナの妃のひとりであるサッティヤバーマーが、その蓮華の花をクリシュナに求めました。するとクリシュナはその花を取って来ることを約束されました。しかしインドラは自分のパーリジャータの花を分け与えることを拒否しました。そしてクリシュナとパーンダヴァ兄弟が神々全員を敵にまわして戦う大戦争が始まりました。結局クリシュナが敵方を全て打ち負かし、パーリジャータの花を手に入れ、そして妃のもとにお届けになりました。このことについてクリシュナはナーラダ・ムニに、「神々の中の偉大な聖者よ、このパーリジャータの花を私が手に入れたことに対して、ガンダルヴァ、ナーガ、悪魔ラクシャーサ、ヤクシャ、パンナガたちなどの全ての神々が私に対抗したが、妃との約束を私に破らせることは誰にもできなかった。そのことを広く献身者たちに、特に献身者でない者たちにも宣言しなさい」とおっしゃっています。
 『バガヴァッド・ギーター』の中で、「主の献身者が滅びることは決してない」と主は約束していらっしゃいます。主に超越的な愛の奉仕を捧げている献身者は、クリシュナが決して約束を破らないことを確信しなければなりません。献身者がどのような状況にいたとしても、主は常に献身者を守ってくださいます。
 主はパーリジャータの花を妃のサッティヤバーマーに届けました。そしてドラウパディーを屈辱からお救いになりました。そして敵の全勢力からアルジュナを保護されました。これらのことによって、クリシュナは約束を守ることを示したのです。
 主の献身者は決して滅びない、と主は約束されました。以前インドラがゴーヴァルダナ・リーラーで負かされたときにも、インドラも主のその約束を認めています。クリシュナがヴラジャ(ヴリンダーヴァナ)の村人たちにインドラの崇拝を止めさせたとき、インドラはそれに激怒し、止むことのない雨を降らせ、ヴリンダーヴァナを洪水にしました。しかしクリシュナはゴーヴァルダナの丘を傘のように持ち上げ、ヴリンダーヴァナの全ての人々や動物を保護されました。その出来事の後、インドラは祈りを捧げてクリシュナに服従し「ゴーヴァルダナの丘を持ち上げヴリンダーヴァナの人々を保護することによって、あなたの献身者は決して滅びることはない、という約束をあなたはお示しになりました」と語りました。

(19)時と状況の判断に長けている

 クリシュナは、さまざまな時と場所、国、持ち物などに応じて、さまざまな人々と交際することに長けていらっしゃいます。主とゴーピーたちのラーサ・ダンスについて主がウッダヴァに語っていらっしゃったとき、「最も好都合なのは、今夜のような満月の夜だ。宇宙の中で最高の場所はヴリンダーヴァナだ。最も美しい女性はゴーピーたちだ。友ウッダヴァよ、私はこれらの条件を利用して、今からラーサ・ダンスをしようと思う」という言葉によって、主は特定の時、場所、人を上手く活用することに長けていることをお示しになりました。

(20)経典の権威に基づく視座

 経典に厳格に従って行動する人は、シャーストラ・チャクシュスと呼ばれます。シャーストラ・チャクシュスとは「権威ある経典の目を通して見る人」という意味です。知識と経験を積んだ人は、全てを経典の視点から見ることができます。たとえば私たちの目を通して見たとき太陽はただの輝く物体にしか見えませんが、権威ある科学書やその他の文典を通して見たときには、太陽が地球の何倍の大きさを持ち、どれほどの光りを放っているかを知ることができます。このことから分かるように、目で直接見ることは、真に観ることではありません。権威ある書物、権威ある師を通して見ることが、正しい見方です。過去、現在、未来を全て見ることができるバガヴァーンでいらっしゃる主クリシュナは、一般の人々に教えをお授けになるとき、いつも経典を参照していらっしゃいました。たとえば『バガヴァッド・ギーター』でクリシュナは最高権威者として語っていらっしゃいますが、『ヴェーダーンタ・スートラ』を引用していらっしゃいます。『シュリーマド・バーガヴァタム』にはある人が冗談として、「カンサの敵クリシュナは、シャーストラを通して見るお方であると知られている。しかし権威を確立するための主の目がゴーピーたちに注がれたとき、ゴーピーたちは歓喜した」と語ったという記述が見られます。

(21)純粋である

 最高の純粋さは、2種類あります。ひとつは罪深い人を救う力であり、さらにひとつは不純なことを全く行わないことです。このふたつを備えた人は、最高に純粋な人と呼ばれます。クリシュナはそのふたつを備えていらっしゃいます。主は全ての罪深い束縛された魂を救う力を持っていらっしゃいます。そして主は自らを汚すようなことは全くなさいません。
 これについて、ヴィドゥラが兄のドリタラーシュトラを家族の執着から救うために、「親愛なる兄よ、偉大な聖人聖者から格調の高い詩によって讃えられているお方、クリシュナの蓮華の御足に心を集中して下さい。クリシュナこそが救済者の中の救済者でいらっしゃいます。確かに主シヴァや主ブラフマーのような偉大な神々もいますが、そのような方々が救済者の立場にいることができるのは、ただクリシュナの慈悲によるものなのです」と語っています。このようにヴィドゥラはドリタラーシュトラに、心を集中してクリシュナを崇拝するように忠告しました。クリシュナの聖なる御名をただ唱えるだけでも、その聖なる御名は強力な日の出のようにハートの中に昇ります。そしてたちどころに無知の闇を追い払います。「さまざまな罪の汚れをたちどころに落とすことができるように、常にクリシュナを考えていて下さい」と、ヴィドゥラはドリタラーシュトラに忠告しました。『バガヴァッド・ギーター』でアルジュナはクリシュナに、「パラム・ブラフマ・パラム・ダーマ・パヴィトラム」と呼び掛けています。これは最高の純粋さという意味です。クリシュナが最高の純粋さを示した例は他にも数多くあります。

(22)自己統制している

 自分の感覚を完全に支配できる人は、ヴァシーすなわち自己支配の人と呼ばれます。これに関して、「クリシュナの1万6000人の妃たちは極めて麗しい女性たちであった。彼女たちの恥じらいの様子を一目見るだけでも、主シヴァのような偉大な神々が心を惑わすほどであった。しかし彼女たちがどれほど女性らしい振る舞いをしても、クリシュナの心は波立つことさえなかった」という記述が『シュリーマド・バーガヴァタム』に見られます。

 クリシュナの妃の一人ひとりが「主は私の女性らしさに魅了されている」と思っていたのですが、主は彼女たちの女性らしさに魅了されていらっしゃったわけではありません。クリシュナは感覚の至高支配者でいらっしゃいます。『バガヴァッド・ギーター』で述べられているように、クリシュナはフリシーケーシャすなわち感覚の支配者でいらっしゃるのです。

(23)着実である

 自分の望む目的を達成できるまで努力する人は、着実な人と呼ばれます。
 かつてクリシュナはジャーンバヴァーン王のスャマンタカの宝石を手に入れるために、ジャーンバヴァーン王と一戦を交えられました。王は森に隠れようとしました。しかし主は非常に着実なお方なので決して諦めず、最終的に王を見つけスャマンタカの宝石を手に入れられました。

(24)忍耐強い

 耐え難い困難でさえも耐えることができる人は、忍耐強い人と呼ばれます。
 クリシュナがグルのところに住んでいらっしゃったとき、主の体は柔らかく繊細だったにもかかわらず、主はどのような困難もものともせず、グルに仕えていらっしゃいました。どのような困難があったとしてもグルに仕えるのが弟子の義務です。グルのもとに住む弟子は一軒一軒托鉢をして回り、自分が受けた物を全てグルに捧げなければなりません。プラサーダが配られているとき、グルは弟子の名前を一人ひとり呼ぶことになっています。そして経典によれば、グルが偶然に弟子の名前を呼び忘れたとしても弟子は自分勝手に食べてはならないことになっています。弟子はその日一日は断食しなくてはならないのです。そのような規定は他にも数多くあります。時にはクリシュナが薪を集めに森にお入りになることもありました。

(25)度量が広い

 敵対者のどのような侮辱にも耐えることができる人は、度量が広い人とされます。
 主クリシュナの度量を示す例として、人々がシシュパーラを殺そうとすると主がそれを止めたことが『シシュパーラ・ヴァダ』に記述されています。チェーディ王国のシシュパーラ王はクリシュナの従兄弟であったにもかかわらず、主をいつも妬んでいました。シシュパーラは主に会うといつも主を侮辱し、できる限りの罵詈雑言を浴びせていました。マハーラージャ・ユディシュティラのラージャスーヤ供犠祭場でシシュパーラがクリシュナを罵り始めたとき、主は、気にせず静かにしていらっしゃいました。その場に居あわせた人々の中にはシシュパーラを今にも殺そうとした者もいましたが、主は彼らを止めました。主はそれほど大きな度量を持っていらっしゃいます。稲妻が鳴り響くとき、獅子は雷鳴のように吠えて応えると言われています。しかし愚かなジャッカルが吠えても、ライオンは気にもしません。
 シュリー・ヤームナーチャーリャは「親愛なる主ラーマチャンドラよ、ジャーナキーの乳首に爪を立てた烏があなたの前にひれ伏したとき、あなたは慈悲深くも烏を許されました」という祈りでクリシュナの度量の大きさを讃えています。かつて天界の王インドラが烏の姿を取り、主ラーマチャンドラの妃シーター(ジャーナキー)の胸に爪を立てたことがありました。そのような行為は宇宙の母、シーターに対する侮辱です。主ラーマチャンドラはただちに烏を殺そうとされたのですが、烏が主の前にひれ伏すと主はその侮辱を許しました。シシュパーラが主に対して侮辱を働いたのは、ただ一生涯だけではありませんでした。彼が三度生まれ変わってクリシュナを侮辱し続けたにもかかわらず、主は親切にも彼に主の存在に没入する解放をお授けになりました。ヤームナーチャーリャはその祈りの中で、主クリシュナは主ラーマチャンドラよりも寛大でいらっしゃることを語っています。このことから、至高存在の光輝に没入するという一元論主義者の最終目的は、それほど達成困難なものでないことが理解できます。クリシュナに敵意を持ち続けたシシュパーラのような人物でさえも、その種の解放を達成することができたのです。

(26)厳粛である

 自分の心をほかの人々に明かさない人、すなわち心の動きや行動計画を明らかにしない人は厳粛な人と呼ばれます。ブラフマーは主シュリー・クリシュナに侮辱を働いた後、主クリシュナの許しを乞うために主に祈りを捧げました。クリシュナに素晴らしい祈りを捧げているにもかかわらず、ブラフマーは主が満足していらっしゃるのかどうか理解できませんでした。つまり主クリシュナは極めて厳粛でいらっしゃったので、ブラフマーの祈りをそれほど重大なものとしてお受け入れにはならなかったのです。クリシュナの厳粛さのもうひとつの例は、ラーダーラーニーとの愛の振る舞いの中に見出すことができます。クリシュナはラーダーラーニーとの愛の関係については、いつも無言でいらっしゃいました。ですから常にクリシュナのそばにいらっしゃった兄のバララーマでさえも、クリシュナがどのようなことをなさっているのか知りませんでした。

(27)自己充足している

 何かを求めて渇望することなく、さまざまな悩みの種があったとしても心を乱さず、自分の内に完全に満足している人を自己充足的な人と言います。
 クリシュナがアルジュナやビーマとともに、マガダの恐るべき王ジャラーサンダに戦いを挑みに行かれたとき、主クリシュナの自己充足性が示されています。主クリシュナはジャラーサンダを滅ぼされた後、その業績はただビーマの力によるものであるとされました。この出来事から理解できるように、クリシュナは誰よりも有名でいらっしゃるのですが、主は自分の名声を全く気にしていらっしゃいません。
 クリシュナの心が乱されないことに関しては、シシュパーラが主を罵り始めたときに、その例が示されています。そのときマハーラージャ・ユディシュティラの供犠祭場に居あわせた王やブラーフマナたち全員が慌てて、主に素晴らしい祈りを捧げて主をなだめようとしましたが、彼らは主クリシュナが全く取り乱していらっしゃらないことに気付きました。

(28)心の平安を保っている

 執着や妬みに影響されない人を心が平安な人と言います。
 『シュリーマド・バーガヴァタム』(第10編16章33節)では、主が100頭の蛇、カーリヤを懲らしめられたことが記述されています。その節では、主が心の平安を保っていることについて述べられています。カーリヤが厳罰を受けていたときカーリヤの妃たちは主の前に現れ、「親愛なる主よ、全ての悪魔を罰するためにあなたは降誕されました。私どもの主人カーリヤの罪の深さは底知れません。ですから主が厳罰を下されたことは、全く正しいことです。主が敵に下される罰も主が御子息にお授けになる好意も、全く同じものであると私たちは知っています。カーリヤの将来のために、あなたがこの救い難い者に罰をお授け下さったことを承知しています」と祈りの言葉を捧げました。
 また次のような祈りもあります。
「我が主クリシュナよ、クル王家の最も素晴らしいお方よ、あなたは非常に公平な方でいらっしゃいますので、あなたの敵が資格を持つときには、あなたは褒美をお授けになります。そして御子息が罪を犯せば、あなたは罰を下されます。あなたが全宇宙の中の至高権威者でいらっしゃいます。あなたの中には不公平さは全く見られません。御身に不公平さを見出す者がいるとすれば、その者の間違いに違いありません」

(29)寛大である

 よく施し物をする人は寛大な人であると言われます。
 主クリシュナがドヴァーラカーを支配していらっしゃったとき、主はとても寛大でいらっしゃいました。主の施し物には際限がありませんでした。実際にドヴァーラカーで主は膨大な量の施し物をしていらっしゃいました。その様子は、チンターマニや望みの木やスラビ牛に満ちた精神王国ゴーローカ・ヴリンダーヴァナをも凌ぐほどでした。主クリシュナの精神王国ゴーローカ・ヴリンダーヴァナには無限の乳を出すスラビ牛がいます。そこには望みの木があり、人は自分の望む物は何でもその木から得ることができます。ゴーローカ・ヴリンダーヴァナの地面は、触れる物全てを黄金に変えるチンターマニという宝石でできています。すなわちクリシュナのお住みになっている精神王国では全てが豊富なのです。しかしクリシュナがドヴァーラカーにいらっしゃったとき、主の施し物はゴーローカ・ヴリンダーヴァナの豊かさも凌いでいました。クリシュナがいらっしゃるところには、ゴーローカ・ヴリンダーヴァナの豊かさが自然に現れるのです。
 経典によれば、主クリシュナがドヴァーラカーにいらっしゃったとき、主は自らを1万6,108の姿に拡張し、一つひとつの拡張体が妃とともにひとつの宮殿に住んでいました。クリシュナはそれぞれの宮殿で妃と幸福な生活を営んでいらっしゃったばかりでなく、それぞれの宮殿から、美しい布や装飾品で飾られた1万3,054頭の牛を毎日施していらっしゃいました。つまり1万6,108の1万3,054倍の数の牛をクリシュナは毎日施していらっしゃったのです。価値を推し量ることができないほどの数の牛を、主は毎日施していらっしゃったのですが、それは主にとっての日常茶飯事でした。

(30)宗教的である

 シャーストラに命じられている宗教の教義を自ら実行し、そしてその原則をほかの人々にも教える人は、宗教的な人と呼ばれます。

 何らかの宗教を持つだけでは、宗教的であるとはいえません。宗教原則に基づいた行動をし、自ら模範を示してほかの人々を教えなければなりません。そのような人が宗教的な人と呼ばれるのです。
 クリシュナがこの地球上にいらっしゃったとき、非宗教は全く存在していませんでした。それについてナーラダ・ムニは、「牛飼いの少年たちの主よ、放牧地の草を食べ、4本の足で歩いているうちに、あなたの雄牛(雄牛は宗教を示す)たちは非宗教という草を食べ尽くしてしまいました」と語りました。つまりクリシュナの恩寵によって宗教原則は保護され、宗教に背く行動はほとんど見出されなかったのです。
 クリシュナはいつもさまざまな供犠を行っていらっしゃいました。主がそのために高位の惑星から神々をいつも招待していらっしゃったので、神々はほとんど妃たちのところには不在であったと言われています。神々の妃たちは夫と離れていなければならないことを悲しんで、カリの時代に降誕するクリシュナの第9番目の化身、主ブッダの出現を求めて祈りました。神々の妃たちは主クリシュナが降誕したことを喜ぶのではなく、主ブッダの出現を祈ったのでした。主ブッダは動物の殺害を止めさせるために、ヴェーダに規定されている宗教儀式や供犠を禁じました。主ブッダの出現によって全ての供犠は禁じられ、自分の夫が供犠に招待されることはなくなり、そうすればいつも夫と一緒にいられる、と妃たちは思ったのでした。
 高位の惑星から神々が降りて来なくなったのはなぜかと尋ねる人もいますが、簡単な答えは主ブッダの出現です。主ブッダの出現によって供犠が禁じられ動物の殺害が禁止されると、供犠を行う者はいなくなりました。このようにして神々は降りて来なくなったのです。