シュリーマド・バーガヴァタム 2.7.38

yarhy ālayeṣv api satāṁ na hareḥ kathāḥ syuḥ
pāṣaṇḍino dvija-janā vṛṣalā nṛdevāḥ
svāhā svadhā vaṣaḍ iti sma giro na yatra
śāstā bhaviṣyati kaler bhagavān yugānte

訳語

翻訳

その後カリユガの終わりに、聖者や高位の3階級に属する尊い家系の家々でさえ、主の話題が途絶える時、政府の権力が低い生まれのシュードラ階級やより低い階級から選ばれた大臣の手に渡るとき、さらに供儀の方法に関する知識が完全に失われる時、主は罰を下す至高の者としてこの世に現れる。

解説

 カリユガと呼ばれるこの時代の最終段階における物質世界の最もひどい状態の徴候がここで述べられています。この状態の要点は無神論です。聖者と呼ばれる者たちや、社会階級において一般的にドヴィジャ・ジャナ、すなわち再誕者として知られている高位のカーストの人々でさえ無神論者になっていきます。こうして、誰もが主の聖なる御名でさえほとんど忘れてしまうのですから、主の活動に関して忘れてしまうのは言うまでもありません。社会のより高いカースト、つまり社会階級の人々の運命を導く知識者階級、社会の法と秩序を導く管理者階級、そして社会の経済発展を導く商業者階級はどれも、至高主に関する知識によく精通し、主の御名、質、遊戯、仲間、品々、個性などを事実として知っているべきです。聖者や社会階級の高位に位置する人々は、神の科学に関する知識、すなわちタットヴァ・ジュニャーナの程度に応じて評価されるのであり、生まれや肩書きで評価されるのではありません。神の科学に関する知識や献身奉仕に関する実践的な知識を併せ持たないそのような肩書きは、死体の飾りにすぎません。そして社会にこのような飾られた死体があまりにも増えすぎるると、人間の前進的、平和な生活に様々な異常が生じます。上位の社会階級の修練や教養の欠如がゆえにドヴィジャ・ジャナ、再誕者と呼ばれる人がいなくなります。再誕者の重要性はこれらの偉大な経典の様々な箇所で説明されてきましたが、ここで再び、父と母の性行為による誕生は、動物の誕生と変わらないということが述べられています。しかしそのような動物と同じような誕生や(精神生活の科学的文化を全く伴わない)食べる、寝る、恐れる、そして性行為をするという動物が持つ原則に基づいた生活の発展は、シュードラの生活、露骨に言えば、低俗で教養のない生活と呼ばれます。カリユガの社会における政治的権力は、教養がなく神を信じない労働階級者の手に渡り、ヌリデーヴァ(または政府の大臣)はヴリサラ、つまり社会の教養に欠けた低俗階級になるとここで述べられています。教養のない、低位の階級の人々があふれる人間社会には、誰も平和と繁栄を期待することはできません。そのような教養に欠けた社会的動物の兆候はすでにあちこちに見られ、それに気づき、神の意識の科学に精通した再誕者の原則を取り入れ、社会秩序の改革に務めることが指導者たる者の義務なのです。これは世界中に『シュリーマド・バーガヴァタム』の文化を広めることで達成できます。人間社会が堕落した状況の中、主はカルキアヴァターラとして降誕し、悪魔の性質を持つ人々を容赦なく殺していきます。