シュリーマド・バーガヴァタム 2.7.3
節
jajñe ca kardama-gṛhe dvija devahūtyāṁ
strībhiḥ samaṁ navabhir ātma-gatiṁ sva-mātre
ūce yayātma-śamalaṁ guṇa-saṅga-paṅkam
asmin vidhūya kapilasya gatiṁ prapede
strībhiḥ samaṁ navabhir ātma-gatiṁ sva-mātre
ūce yayātma-śamalaṁ guṇa-saṅga-paṅkam
asmin vidhūya kapilasya gatiṁ prapede
訳語
jajñe — 生まれた; ca — 〜もまた; kardama — カルダマという名のプラジャーパティ; gṛhe — 〜の家の中で; dvija — ブラーフマナよ; devahūtyām — デーヴァフーティの胎内で; strībhiḥ —女性によって; samam — と共に; navabhiḥ — 9人の〜によって; ātma-gatim — 精神的な悟り; sva-mātre — 自分の母親に; ūce — 発した; yayā — それによって; ātma-śamalam — 精神的な魂の覆い; guṇa-saṅga — 自然の様式に関わる; paṅkam — 泥; asmin — 今回の人生; vidhūya —洗われて; kapilasya — 主カピラの; gatim —解放; prapede — 達成した.
翻訳
その後主は、他の9人の女性[姉妹]とともに、プラジャーパティ・ブラーフマナであるカルダマと彼の妻デーヴァフーティの息子となって、化身カピラとして現れた。主は母親に自己の悟りについて語り、そのおかげで彼女はその生涯のうちに物質の泥を完全に洗い流し、それによってカピラが説いた道である解放を得た。
解説
主カピラによる母デーヴァフーティーへの教えは『シュリーマド・バーガヴァタム』の3編(25〜32章)に詳しく説明されており、その指示に従った者は誰でもデーヴァフーティが得たものと同じ解放を得ることができます。主は『バガヴァッド・ギーター』を語り、それによってアルジュナは自己の悟りを得ました。そして現在でもアルジュナが歩んだ道に従う者は誰でもシュリー・アルジュナが得たものと同じ恩恵を得ることができます。経典はこの目的のためにあるのです。愚かで知性のない人は空想によって独自の解釈をすることで、従者を間違った方向に導きます。それが原因となって彼らは物質存在という監獄の中に居続けることになるのです。しかし、主クリシュナや主カピラが示してくださった教えに従うだけで、人は現在でも最も高い恩恵を得ることができるのです。
アートマ・ガティムという言葉は至高主に関する完璧な知識という意味で重要です。人は主と生命体が質的には同じであることを知っただけで満足してはなりません。私たちの限られた知識で理解できる限界まで主を知るべきです。主をあるがままに完全に知ることは、シヴァやブラフマーのような解放された者にでさえ不可能なのですから、他の神々やこの世界の人々は言うまでもありません。しかし、偉大な献身者の原則と経典から得られる教えに従うことで、人は主の特徴をある程度まで知ることができます。主の化身である主カピラは、主の人格を備えた姿についてご自身の母親に余すことなく説明し、それによって彼女は主の姿を悟り、ヴァイクンタローカの中の主カピラが支配する場所へ達することができました。主の化身はそれぞれ、精神世界の中に自分の住処をお持ちです。ですから、主カピラも自分のヴァイクンタ惑星を別に持っていらっしゃいます。精神世界は無ではありません。ヴァイクンタ惑星は無数に存在し、主は自身の無数の拡張体を通して各惑星を支配し、そこに暮らす純粋な献身者たちも主や主の永遠なる交際者と同じように生活しています。
主が自分自身、またはご自身の完全拡張体によって降誕なさる際、それらの化身はアンサ、カラー、グナ、ユガ、そしてマンヴァンタラ化身と呼ばれ、主の指示によって主の交際者が降誕なさる時、そのような化身はシャクテャーヴェーシャ化身と呼ばれます。しかし、どの場合においても、全ての化身は権威ある経典の確固たる叙述によって裏付けられているのであって、どこかの利己的な布教者の空想によるものではありません。前述のどの化身に分類されようと、主のこれらの化身は至高人格神が常に究極の真実である、と宣言しています。至高なる真理の非人格的な概念というのは、至高真理のありふれた概念から主の姿を否定する方法にすぎないのです。
生命体は本来、主と同じように精神的な存在です。唯一の違いというのは主は物質自然の様式による汚れが一切なく、常に至高で純粋であるのに対して、生命体は徳、激情、無知の物質様式との関わりのため汚れる傾向を持つということです。物質様式によるこの汚れは知識、放棄、そして献身奉仕によって完全に洗い流すことができます。主への献身奉仕が究極の課題であり、それゆえ主への献身奉仕に直接従事している者は『バガヴァッド・ギーター』(14-26) に書かれているように、精神科学において必要な知識を得るだけではなく、物質的な繋がりからの放棄を手に入れ、結果として完全なる解放によって神の王国に高められるのです。
māṁ ca yo ’vyabhicāreṇa
bhakti-yogena sevate
sa guṇān samatītyaitān
brahma-bhūyāya kalpate
bhakti-yogena sevate
sa guṇān samatītyaitān
brahma-bhūyāya kalpate
まだ解放されていない段階でも、生命体は人格神である主クリシュナや、主の完全拡張体であるラーマやナラシンハへの超越的な愛情奉仕に直接従事することができます。ゆえに、そのような超越的献身奉仕の発展に応じて、献身者はブラフマー・ガティム、またはアートマ・ガティムまで確実な進歩を遂げ、最終的にはカピラシャ・ガティム、すなわち主の住処を難なく手に入れます。主への献身奉仕にはとても強い殺菌作用があるため、献身者の現在の人生においてでさえ物質的感染を防ぐことができます。献身者は完全な解放を得るために、次の誕生まで待つ必要はないのです。