シュリーマド・バーガヴァタム 2.1.8
節
idaṁ bhāgavataṁ nāma
purāṇaṁ brahma-sammitam
adhītavān dvāparādau
pitur dvaipāyanād aham
purāṇaṁ brahma-sammitam
adhītavān dvāparādau
pitur dvaipāyanād aham
訳語
idam—この; bhāgavatam—『シュリーマド・バーガヴァタム』; nāma—その名前の; purāṇam—ヴェーダの補足書; brahma-sammitam—ヴェーダの真髄と認められて; adhītavān—研究した; dvāpara-ādau—ドヴァーパラ・ユガの終わりに; pituḥ—私の父から; dvaipāyanāt—ドヴァイパーヤナ・ヴィヤーサデーヴァ; aham—私自身。
翻訳
私はドヴァーパラ・ユガの終わりに、ヴェーダ経典の補足書である『シュリーマド・バーガヴァタム』という、あらゆるヴェーダに匹敵するこの偉大なるヴェーダ経典を、私の父シュリーラ・ドヴァイパーヤナ・ヴィヤーサデーヴァから学んだ。
解説
規則や制限を超えたところにいる最も優れた超越主義者たちは、おもに人格神について聞いて讃えることに没頭する、というシュリーラ・シュカデーヴァ・ゴースヴァーミーの言葉が、彼自身の実体験を通して示されています。シュカデーヴァ・ゴースヴァーミーは、誰もが認める解放された魂として、そして最も優れた超越主義者として、マハーラージャ・パリークシットが迎える最後の7日間に居合わせた最良の聖者たちに受け入れられました。そして彼自身、主の超越的な活動に魅せられ、偉大なる父親であるシュリー・ドヴァイパーヤナ・ヴィヤーサデーヴァから『シュリーマド・バーガヴァタム』を学んだという自らの経験を語りました。『シュリーマド・バーガヴァタム』、あるいはその他の科学的文献もそうですが、家に居ながらにして自分の知的能力に頼って学ぶことはできません。解剖学の医学書や哲学書は書店で手に入りますが、自宅でそのような本を読むだけで資格のある医師になることはできません。医科大学に入り、博識な教授に導かれて書物を研究しなくてはならないのです。同じように、『シュリーマド・バーガヴァタム』という神に関する科学の大学院的研究は、シュリーラ・ヴィヤーサデーヴァのような自己を悟った魂の蓮華の御足のもとでこそ学べるものです。シュカデーヴァ・ゴースヴァーミーは誕生したその日から解放された魂でしたが、それでも、シュリー・ナーラダ・ムニという別の偉大な魂の教えのもとで『シュリーマド・バーガヴァタム』を編纂した、自らの偉大な父であるヴィヤーサデーヴァから教えを受けなくてはなりませんでした。主シュリー・チャイタニヤ・マハープラブは、人物であるバーガヴァタから『シュリーマド・バーガヴァタム』を学ぶべきだと、ある博識なブラーフマナに教えました。『シュリーマド・バーガヴァタム』は、至高の人物の超越的な御名、姿、特質、遊戯、身の回りの物事、そして多様性について、人格神の化身であるシュリーラ・ヴィヤーサデーヴァによって語られました。主の崇高な遊戯は、主の純粋な献身者と共に繰り広げられ、この歴史的な出来事が、クリシュナに関する出来事であるからこそ、この偉大な文献で描写されているのです。この書物はブラフマ・サミタムとも呼ばれていますが、それは、『バガヴァッド・ギーター』と同じように、主クリシュナの音の化身だからです。『バガヴァッド・ギーター』は至高主によって語られたものですから、主の音の化身で、そして『シュリーマド・バーガヴァタム』は、主の活動について主の化身によって語られたものですから、主の音の化身なのです。この書物の冒頭に述べられているように、これはヴェーダという望みの木の真髄であり、ブラフマンの主題についての最も優れた哲学的学術書である『ブラフマ・スートラ』に関する適切な解説書です。ヴィヤーサデーヴァは、ドヴァーパラ・ユガの終わりにサッティヤヴァティーの息子として現れ、そのため、この節にある「ドヴァーパラ・ユガの始まり」を示すドヴァーパラ・アーダウという言葉は、カリ・ユガが始まる直前であることを示しています。シュリーラ・ジーヴァ・ゴースヴァーミーによると、この表現は、木の上部を「はじまり」と呼ぶ論理と比較できます。つまり、実際には木の根が木のはじまりなのですが、木の上部は最初に見える部分だという常識から、木の成長の最終部分がその木のはじまりである、と言われるのです。