シュリーマド・バーガヴァタム 1.5.9

yathā dharmādayaś cārthā
muni-varyānukīrtitāḥ
na tathā vāsudevasya
mahimā hy anuvarṇitaḥ

訳語

翻訳

大聖者よ、あなたは宗教上の活動から始まる4つの原則を、実に広範囲に記述してはいるものの、至高人格者、ヴァースデーヴァの栄光については述べていない。

解説

シュリー・ナーラダは、原因を即座に判断し、言い渡しました。ヴィヤーサデーヴァの落胆の根本原因は、さまざまなプラーナを著してはいるものの、主の栄光について述べることを意図的に避けていた点にあります。確かに、そして当然のことながらヴィヤーサデーヴァは主(シュリー・クリシュナ)の栄光について説明はしていますが、宗教、経済発展、感覚満足、解脱などに対する説明に比べると、充分な量ではありません。この4つの原則は、主への献身奉仕の活動に比べればはるかに劣っています。権威ある学者であるシュリー・ヴィヤーサデーヴァにもこの違いは分かっていたはずです。にもかかわらず主への献身奉仕という、より素晴らしい活動について重点を置くことなく、無駄に貴重な時間を費やしてしまいました。失望の原因はここにあります。このことから、主に献身奉仕をしなければ、心の底から満たされることはないのがわかります。『バガヴァッド・ギーター』でもこの事実について明確に述べられています。
宗教的活動から始まる4つの原則の最後となる解脱に到達した人は、純粋な献身奉仕をするようになります。これが自己の悟り、すなわちブラフマ・ブータと呼ばれる段階です。ブラフマ・ブータの境地に達した人は心が満たされます。しかしその満足は、崇高な至福の始まりにすぎません。この相対的な物質界で、私たちは中立で平等な心をもって前進しなくてはなりません。この安定した境地を通過した後に、主への超越的な愛情奉仕に立脚できるようになります。これが、『バガヴァッド・ギーター』で説かれている人格神の教えです。結論として、ナーラダはブラフマ・ブータの境地を維持し、また超越的な悟りをさらに高めるために、献身奉仕の道について熱意を込めて繰り返し説明すべきであると、ヴィヤーサデーヴァに勧めました。そうすることで、彼は不愉快な落胆から解放されるのです。