シュリーマド・バーガヴァタム 1.5.26
節
tatrānvahaṁ kṛṣṇa-kathāḥ pragāyatām
anugraheṇāśṛṇavaṁ manoharāḥ
tāḥ śraddhayā me ’nupadaṁ viśṛṇvataḥ
priyaśravasy aṅga mamābhavad ruciḥ
anugraheṇāśṛṇavaṁ manoharāḥ
tāḥ śraddhayā me ’nupadaṁ viśṛṇvataḥ
priyaśravasy aṅga mamābhavad ruciḥ
訳語
tatra—そこで; anu—毎日; aham—私は; kṛṣṇa-kathāḥ—主クリシュナの活動の話; pragāyatām—説明している; anugraheṇa—いわれのない慈悲によって; aśṛṇavam—聴覚を使って; manaḥ-harāḥ—魅力的な; tāḥ—それら; śraddhayā—敬意を込めて; me—私に; anupadam—毎瞬間; viśṛṇvataḥ—注意深く聞いている; priyaśravasi—人格神の; aṅga—ヴィヤーサデーヴァよ; mama—私のもの; abhavat—そのようになった; ruciḥ—味わい。
翻訳
ヴィヤーサデーヴァよ。そのような交流を通して、また偉大なヴェーダーンタ学者たちの慈悲によって、主クリシュナの魅力的な活動にまつわる彼らの話を聞くことができた。その話に一心に耳を傾けることで、人格神について聴くことへの味わいは徐々に深まっていった。
解説
絶対人格神主シュリー・クリシュナは、その姿はもちろんのこと、活動そのものも私たちを引きつけてやみません。なぜなら、絶対者は、自らの名前、名声、姿、遊戯仲間、身の回りの品々などと共に絶対的な存在だからです。主はいわれのない慈悲心で物質界に降誕し、主の美しさに心を奪われた人間たちが主のもとに帰ることができるように、人間としてさまざまな神聖な遊戯を繰り広げました。人間は、通俗な活動を行うさまざまな人物たちの歴史や物語を聞きたがるものですが、そういったものと関わるために貴重な時間を無駄にし、物質自然界の3つの質に心奪われてしまうことを知りません。時間を無駄にするのではなく、自分の関心を主の神聖な遊戯に向けることで精神的な成功を収めることができます。主のそのような遊戯の話を傾聴することで、主と実際にふれあうことができ、前述したように主にまつわる話を聞くことで心に積まれてきた罪が内から洗い流されます。このように罪をことごとく捨てた読者たちは、次第に通俗な付き合いから解放され、主の姿に魅了されるようになります。ナーラダ・ムニは、そのことを自分の体験を通して説明しました。この話の要旨は、主の神聖な遊戯をただ聞くだけで、主の仲間のひとりになれるということです。ナーラダ・ムニは永遠の命、無限の知識、そして果てしない至福に満たされ、物質と精神両方の世界を意のままに旅することができます。シュリー・ナーラダが、前世で純粋な献身愛者たち(ば・ヴェーダーンタ)の話を傾聴したように、私たちも正しい情報源から主の崇高な遊戯について聞くだけで、最も気高い人生に到達することが可能です。献身者と交流しながら主にまつわる話を聞く方法は、争い渦巻く今のカリ時代において特に勧められている方法です。