シュリーマド・バーガヴァタム 1.5.11

tad-vāg-visargo janatāgha-viplavo
yasmin prati-ślokam abaddhavaty api
nāmāny anantasya yaśo ’ṅkitāni yat
śṛṇvanti gāyanti gṛṇanti sādhavaḥ

訳語

翻訳

一方、無限なる至高主の超越的な名前の栄光、名声、姿、神聖な遊戯などの描写を満載した文献は別次元の存在であり、多くの崇高な言葉は、この世界における間違った社会状態の不敬な生活に革命をもたらすよう導いている。そのような聖なる文献は、たとえ不完全な部分があるとしても、全く正直な心を持つ無垢な人々によって聞かれ、歌われ、受け入れられる。

解説

偉大な思想家は、最悪なものから最善なものを引き出すという資質を備えています。知的な人物は、毒から甘露を取り出し、不潔な場所からでも金を受け取り、素性の卑しい家族からさえも良妻をめとり、最下等の家族出身の教師や人からでも優れた教えを受け入れるべきである、と言われています。これは、どこの誰にでも例外なく当てはまる道徳律です。しかし、聖者は一般人の基準をはるかに超えた境地にいます。彼はいつも至高主を讃えることに没頭していますが、それは、至高主の名前や名声を広めることで汚れた世相が清められ、『シュリーマド・バーガヴァタム』のような超越的な文献を世に届けることで人々が健全に生きるようになるからです。ちょうどこの節の解説を書いている時、インドは重大な問題に直面しました。隣国で友好国の中国がインド国境を攻撃したのです。私たちは政治に関わることはありませんが、昔から中国とインドは、敵対することなく何世紀も友好関係を保っていました。それは、両国がそのような関係にあったときには世界中が神の意識に包まれていたからであり、どの国でも、神を恐れ、無垢な心を持ち、質素な生活が営まれていたため、政治的策略を巡らす必要はなかったからです。居住に適さない地区を巡って中国とインドが戦争を起こすどころか、争う必要もないのです。しかし、今まで述べて来たように、カリという争いの時代の影響で、ささいな刺激でいつでも争いが誘発される可能性が潜んでいます。これは、今回の問題が直接の原因ではなく、現代の汚れた世相が原因です。至高主の名前と名声を讃えることをやめさせようとする、一定の人たちの宣伝活動が常に存在しているのです。だからこそ、『シュリーマド・バーガヴァタム』のメッセージを全世界に流布させる必要性があるのです。インドで責任ある立場にある人々は皆、待ち望まれている平和を全世界にもたらし、極上の福利を世界に提供するために『シュリーマド・バーガヴァタム』の崇高なメッセージを広める義務があります。インドは、この責任ある仕事をおろそかにし、義務を遂行していないために、全世界に多くの争いと問題が蔓延しています。『シュリーマド・バーガヴァタム』の崇高な教えが世界の指導者たちに受け入れられさえすれば、間違いなく彼らの心は変化し、民衆も自然にそのような指導者に従うようになるということを私たちは確信しています。大衆は、現代政治家や民間指導者の掌中にいる道具とも言えます。その指導者たちの心に変化が起これば、世界の雰囲気に劇的な変化が生じるはずです。また、人々の神の意識をよみがえらせ、世界の空気を再び精神的に変えるこの超越的な言葉を世に広める誠実な試みに、幾多の困難が伴っていることを私たちは承知しています。適切な言語を使って、特に外国語でこの哲学を世に知らしめようとする私たちの試みは確実に失敗するでしょうし、正しく表現しようと誠実に試みたとしても、文法的な矛盾も多々あることでしょう。たとえその試みに欠陥があろうとも、私が伝えんとする事の重大さが考慮され、社会の指導者たちが、全能の神を讃える誠実なこの試みを認めてくれると確信しています。自分の家が火事になった人は、外に飛び出して近所の人たちに助けを求めますが、その隣人が外国人だったとしても、そしてたとえ通じない言葉で説明したとしても、相手は切迫した状況を理解してくれることでしょう。『シュリーマド・バーガヴァタム』の崇高なメッセージを汚れたこの世界に広めることにも、同じ協調精神が必要です。結局、この主題は精神的価値に関わる専門的科学ですから、大切なことは言語ではなく手段です。この偉大な書物が説く手段が世界の人々に理解されれば、成功を収めることができます。
全世界の大衆が物質的な物事に没頭し過ぎるとき、ささいなことで個人が別の個人を、国家が別の国家を攻撃するのは当然です。それが、カリという争いの時代の法則なのですから。世界がすでに名状しがたい堕落の極みに達しているのは周知の事実です。感覚を満たす物質的な考えを詰め込んだ不要な本が世にあふれ、多くの国ではわいせつな本を検閲する国営の組織があります。これは、政府や公共の指導者たちがこのような本を望んでいないのに、国民が感覚満足を求めているために市場に出まわっていることを如実に示しているということです。大衆は何かを読みたいと望むのですが(それは自然な欲求ですが)、心が汚れているためにそのような本を求めています。そのような状況で『シュリーマド・バーガヴァタム』のような超越的文献は、大衆の汚れた心の活動を減少させるだけではなく、おもしろい本を読もうとする彼らの欲求を満たす食べ物になってくれます。読み始めは楽しめないかもしれません。黄疸に苦しむ患者が氷砂糖を食べたがらない状態と同じですが、それでも氷砂糖だけが黄疸の治療薬だということも忘れてはなりません。同じように『バガヴァッド・ギーター』と『シュリーマド・バーガヴァタム』の読書を組織的に普及させれば、それが感覚満足という黄疸症状を治療する氷砂糖の役目を担ってくれるはずです。この文献に対する味覚を高めれば、社会を毒するだけのほかの書物もおのずと姿を消していくことでしょう。
ですから、この解説に多くの誤りがあったとしても『シュリーマド・バーガヴァタム』は、社会の全ての人々に受け入れられるだろうと、確信しています。なぜなら、この章に心優しくも登場してくださったシュリー・ナーラダによって勧められている書物だからです。