シュリーマド・バーガヴァタム 1.13.55
節
vijñānātmani saṁyojya
kṣetrajñe pravilāpya tam
brahmaṇy ātmānam ādhāre
ghaṭāmbaram ivāmbare
kṣetrajñe pravilāpya tam
brahmaṇy ātmānam ādhāre
ghaṭāmbaram ivāmbare
訳語
vijñāna—浄化された本性; ātmani—知性の中で; saṃyojya—完璧に安定して; kṣetra-jñe—生命体に関して; pravilāpya—融合している; tam—彼を; brahmaṇi—至高者の中で; ātmānam—純粋な生命体; ādhāre—源の中で; ghaṭa-ambaram—閉ざされた世界の中の空間; iva—~のような; ambare—至高の空間の中で。
翻訳
ドリタラーシュトラは、純粋な自己を知性と融合しなければならず、そして質的には至高のブラフマンと同じであるという知識を持ち、ひとりの生命体として至高の存在に溶け込まなければならない。覆われた空から解放されて精神的な空に昇るべきであろう。
解説
生命体は、物質界を支配しようとする望みを持ち、至高主との協力を拒もうとするため、物質の総合体、すなわちマハトゥ・タットヴァと関わるようになり、そのマハトゥ・タットヴァから、自分を物質界、知性、心、感覚と同一視する間違った考えが生まれます。この考えが、魂の純粋な精神的本性を覆い隠してしまうのです。ヨーガを修練することで、自分の純粋な本性が自己の悟りを通して実現されると、5つの粗雑な要素と微細な要素、心、知性をもう一度マハトゥ・タットヴァのなかに融合させ、自分本来の立場に戻らなくてはなりません。こうして、マハトゥ・タットヴァの束縛から解放され、至高の魂の中に自分を融合させるのです。言い換えれば、私たちは質的に至高の魂と全く同じであることを悟らなくてはならないのであり、その結果として、自分本来の純粋な知性を使って物質界の空間を超越し、そして主への超越的な愛情奉仕に励むことができるようになります。これが、精神的本性を最も高く、完璧に高めることであり、ドリタラーシュトラはこの境地をヴィドゥラと主の恩恵によって達成しました。主の慈悲は、ドリタラーシュトラがヴィドゥラと直接関わりを持ったからこそ授けられたものであり、主は実際に、彼がヴィドゥラの教えを修練していたときに完璧な境地に到達できるよう助けています。
主の純粋な献身者は、物質界の惑星に住むことはなく、物質要素との接触も感じません。献身者が持ついわゆる肉体も、主と同じ精神的流れに満たされているために存在しておらず、ゆえに、マハトゥ・タットヴァという物質総体の汚れからは永遠に解放されています。献身者はいつも精神界に住んでいます。その境地は、自分が行った献身奉仕の力で、物質界の7重の覆いを貫いた結果です。束縛された魂は、その覆いの中に住み、解放された魂はその覆いをはるか遠く超えた世界に住んでいます。