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第16章
自発的な献身奉仕(2)
関係
ナンダ・マハーラージャやヤショーダーのようなヴリンダーヴァナの住民の中には、根源のバガヴァーンであるクリシュナの父母としての理想的な態度が見られます。クリシュナの父母になれる人は、実際には存在しません。しかし献身者がそのような超越的な感情を持つことは、父母関係でのクリシュナへの愛と呼ばれます。ヴリシュニ家の人々(ドヴァーラカーでのクリシュナの親戚)もそのような感情を持っていました。クリシュナに父母関係での自発的な愛を持つことは、このようにドヴァーラカーのヴリシュニ家の人々やヴリンダーヴァナの住民たちの中に常に見られます。
ヴリシュニ家の人々やヴリンダーヴァナの住民たちが顕したクリシュナへの自発的な愛は、彼らの中に永遠に存在しています。規定原則に従う献身奉仕の段階では、この愛に関して議論する必要はありません。このような愛は、さらに進んだ段階で自動的に生まれてくるものだからです。
自発的献身奉仕の資格
ヴリシュニ家の人々やヴリンダーヴァナの住民たちのような主の献身者の足跡に従うことを望んでいる人々は、ラーガーヌガー献身者と呼ばれます。これは、彼らがそのような献身者たちの到達した完成段階に到ろうと努めている、ということを意味しています。そのようなラーガーヌガー献身者は献身奉仕の規定原則に厳格には従いませんが、自発的な性質によって彼らはナンダやヤショーダーのような永遠の献身者に魅かれるようになります。彼らは自発的にそのような献身者の足跡に従うようになり、自分を魅きつけている特定の献身者のようになりたいという向上心をしだいに育てていきます。このような活動がラーガーヌガーと呼ばれます。
しかしヴラジャ(ヴリンダーヴァナ)の住民の足跡に従う熱意は物質の汚れから解放されていない限り決して生まれない、ということを私たちは忘れてはなりません。献身奉仕の規定原則に従うことによって、全ての物質的な汚れが消滅するアナルタ・ニヴリッティという段階に達することができます。献身的な愛を模倣しながらも、アナルタ(望ましくない習癖)から自由になっていない人が時折見かけられます。以前からよくあることですが、ナンダやヤショーダーやゴーピーの従者であると自称する、いわゆる「献身者」が俗的な性生活に忌まわしくも魅かれている場合があります。神聖な愛をそのような形で表そうとするのは単なる模倣であって、全く価値のないことです。実際にゴーピーたちの愛の原則に自発的な魅力を感じている人の性質の中には、一片の俗的汚れでさえも見出すことはできません。
ですから最初の段階では、誰もが経典とグルの教えに従って献身奉仕の規定原則に厳格に従わなければなりません。物質の汚れから解放された段階に達しない限り、ヴリンダーヴァナの献身者の足跡に従う熱意は決して生まれません。
「実際に物質の汚れから解放されている人は、ヴリンダーヴァナの永遠の献身者を常に思うことができる。そしてヴリンダーヴァナの献身者たちを思うことによって、彼らと同じようにクリシュナを愛することができるようになる。そのような思いを強めていく人は、ヴリンダーヴァナに住む。実際にヴリンダーヴァナに住むことが不可能ならば、彼らは心の中でヴリンダーヴァナに住む」とシュリー・ルーパ・ゴースヴァーミーは語っています。もし可能ならば、ヴラジャ・ブーミーと呼ばれるヴリンダーヴァナに行き、ヴラジャの精神的領域ヴラジャ・ダーマの献身者に従って常に主に奉仕すべきです。もし自分の体をヴリンダーヴァナに置くことができなければ、どこにいたとしても、そのヴラジャ・ダーマの様子をいつも瞑想すべきです。シュリーラ・ルーパ・ゴースヴァーミーのこの言葉はそのことを意味しています。
クリシュナ意識の高い段階に達し、常に献身奉仕を行っている献身者は、たとえ完成に達していたとしても、自分自身を表現してはなりません。すなわち、物質的な体を持っている限り、人はいつも初心の献身者のように振る舞い続けなければならないのです。純粋な献身者でさえも、規定原則の下での献身奉仕の活動に従わなければなりません。しかし主との関係の上で自分が実際にどのような立場にいるかを悟った献身者は、規則に従う奉仕を行うと同時に、主の特定の交際者に導かれながら、自分の内で主を思い、そしてその交際者に従って超越的な感情を育てていくことができます。
その点に関して、私たちはいわゆるシッダ・プラナーリーに注意しなければなりません。権威から多少逸脱し、奉仕の方法を自分で捏造した人々が、シッダ・プラナーリーのプロセスに従います。ただ自分が主の交際者であると考えるだけで、実際に自分が主の献身者になると彼らは想像しています。このような皮相的な行動は規定原則から完全に逸脱しています。いわゆるこのシッダ・プラナーリーのプロセスに従うのは、プラークリタ・サハジヤーと呼ばれる、偽のヴァイシュナヴァ派に属する人々です。そのような行動は正統的な献身奉仕の方法をただ妨害するだけである、とシュリーラ・ルーパ・ゴースヴァーミーは述べています。
学識あるアーチャーリャたちは、クリシュナへの愛を達成した後でさえも規定原則に従うことを勧めています。シュリーラ・ルーパ・ゴースヴァーミーはここでそのことを言及しています。以前に述べたように規定原則には9つの活動があります。そして人は自分の生まれつきの性向に合った献身奉仕を特に行うべきです。たとえば、聞くことに特に関心がある人も、唱えること、寺院で奉仕することに特に興味を持つ人もいます。これらの献身奉仕や、ほかの6つの献身奉仕(思い出すこと、仕えること、祈りを捧げること、何か特定の奉仕をすること、友人関係を持つこと、自分の持ち物を全て捧げること)を完全な熱意を持って行うべきです。このように誰もが自分の持つ傾向に応じて行動すべきです。
恋愛関係
ヴリンダーヴァナのゴーピーやドヴァーラカーの妃たちの足跡に従う献身奉仕は、恋愛関係の献身奉仕と呼ばれます。この恋愛関係の献身奉仕はさらに2種類に細分され、ひとつは間接的恋愛関係、さらにひとつは直接的恋愛関係と呼ばれています。いずれの場合にしても、人はゴーローカ・ヴリンダーヴァナで恋愛関係の奉仕を行っている特定のゴーピーに従わなければなりません。夫婦愛の関係でバガヴァーンに直接魅了されている状態は専門的にケーリと呼ばれます。このケーリを行うことは、バガヴァーンと直接結ばれることを意味します。直接には至上者と触れあうことは望まないが、主とゴーピーたちの恋愛を楽しみたいと思っている献身者もいます。そのような献身者は主とゴーピーたちの活動をただ聞くことによって喜びを味わいます。
規定原則に従う献身奉仕、特に寺院でのラーダー・クリシュナの崇拝を行った人だけが、この恋愛関係を持つことができます。そのような献身者は、しだいに神像に対して自発的な愛を育てます。そして主とゴーピーたちの愛の交換について聞くことによって、彼らはしだいにそれらの遊戯に愛着し始めます。この自発的な魅力が大きくなった後、その献身者は前述の2種類の恋愛関係のうちのいずれかに入るようになります。
クリシュナに対するそのような恋愛関係を育てることができるのは、女性だけとは限りません。物質の体は精神的な愛の活動とは全く関係がありません。女性がクリシュナの友人となることもできます。またヴリンダーヴァナのゴーピーが持つ様相を男性が身につけることも可能です。男性の姿の献身者がゴーピーになることを望んだ例が『パドマ・プラーナ』に記述されています。昔ダンダカーラニヤに多くの聖者が住んでいました。ダンダカーラニヤとは、主ラーマチャンドラが14年の追放期間に住んでいらっしゃった森のことです。当時その森には高い段階の聖者たちが数多く住んでいました。彼らは主ラーマチャンドラの美しさに魅了され、主を抱き締めるために女性になることを望みました。クリシュナが後にゴーローカ・ヴリンダーヴァナにお現れになったとき、聖者たちもゴーローカ・ヴリンダーヴァナに生まれました。彼らはクリシュナの女友達のゴーピーとして誕生したのです。このようにして彼らは精神生活の完成を達成しました。
ダンダカーラニヤの聖者たちの物語をさらに説明しましょう。主ラーマチャンドラがダンダカーラニヤにお住まいになっていたとき、その森で献身奉仕をしていた聖者たちは主の美しさに魅了され、クリシュナと恋愛関係を楽しむゴーピーたちのことをすぐに心に浮かべました。このことから明らかなように、ダンダカーラニヤの聖者たちはクリシュナも主ラーマチャンドラも至高主であると知っていました。しかし聖者たちはゴーピーたちの方法での恋愛関係を望んだのです。ラーマチャンドラは理想的な王でいらっしゃったので、妃はひとりしか受け入れません。しかし主クリシュナは完全なバガヴァーンなので、ヴリンダーヴァナで聖者たち全員の望みを叶えることができるのです。聖者たちは、そのことを知っていました。またそれらの聖者たちは、主ラーマチャンドラの姿よりも主クリシュナの姿のほうが魅力的であるという結論にも達しました。そして聖者たちは将来クリシュナと交際できるようにゴーピーになることを祈ったのです。
主ラーマチャンドラはそのとき何もお話しになりませんでした。主の沈黙は聖者たちの祈りが受け入れられたことを示していました。彼らはこのように主ラーマチャンドラの祝福を受け、将来主クリシュナと交際できるようになったのです。このように主ラーマチャンドラに祝福された結果、聖者たちはゴークラのゴーピーたちを母として、女性の姿で誕生しました。そして前世で望んだように、ゴークラ・ヴリンダーヴァナに当時降誕していた主クリシュナとの交際を楽しむことができたのです。主クリシュナと恋愛を分かち合いたいという超越的感情が聖者たちの中に生まれたために、彼らは人間としての最高完成に到達できたのです。
恋愛関係には、夫と妻としての恋愛と、恋人同士の恋愛の2種類があります。クリシュナに対して妻としての恋愛関係を持つ人は、ドヴァーラカーに高められ、そこで主の妃となります。クリシュナに対して恋人としての恋愛関係を持つ人は、ゴーローカ・ヴリンダーヴァナに高められ、そこでゴーピーたちと交際し、クリシュナと愛を楽しみます。ゴーピーとしてのクリシュナへの愛も、妃としてのクリシュナへの愛も、クリシュナに対する恋愛関係は女性のみに限られたものではありません。私たちはこのことに特に注意すべきです。ダンダカーラニヤの聖者たちの例に示されているように、男性がクリシュナに対する恋愛関係を持つこともできます。恋愛関係を望むけれどもゴーピーの足跡に従わない人は、ドヴァーラカーで主と交際する段階に高められます。
「火神の息子であった偉大な聖者たちは、クリシュナとの恋愛関係を持つことを望んで、規定原則に厳格に従った。彼らはその結果生まれ変わって、全創造の源クリシュナ、すなわちヴァースデーヴァと呼ばれる主と交際することができた。彼らは全員、主を夫として得たのである」という記述が『マハー・クールマ・プラーナ』に見られます。
父母関係、友人関係
クリシュナに対して父母関係もしくは友人関係で魅きつけられている献身者は、それぞれナンダ・マハーラージャもしくはスバラの足跡に従わなければなりません。ナンダ・マハーラージャはクリシュナの養父で、クリシュナの友人のうちヴラジャブーミで最もクリシュナに親しかったのがスバラです。
主の父や主の友人になるためにはふたつの方法があります。ひとつは実際に主の父親になることです。そして、今ひとつはナンダ・マハーラージャに従うことによってクリシュナの父としての理想的な状態を経験することです。このふたつのうち、実際にクリシュナの父になることは勧められていません。そのような方法は、マーヤーヴァーダ(非人格的)哲学に汚される可能性があります。マーヤーヴァーディーは自分自身がクリシュナであると考えています。もし自分がナンダ・マハーラージャであると考えるなら、その父母愛はマーヤーヴァーダ哲学に汚されています。マーヤーヴァーダ哲学的な考え方は侮辱的であり、侮辱的である限り誰も神の王国に入り、クリシュナと交際することはできません。
パーンドゥの王国の首都であるハスティナープラに住んでいたある老人の物語が『スカンダ・プラーナ』に記述されています。その老人はクリシュナの養父になることを望んでいました。彼はナーラダの教えによって、ナンダ・マハーラージャの足跡に従いました。そのようにして彼は自分の望みを叶えることができました。
『ナーラーヤナ・ヴューハ・スタヴァ』の祈りの中には、「主を自分の夫、友人、父と考え、主が自分に好意を注いでいて下さると考えている人々は、誰からも崇拝される」という記述が見られます。このようなクリシュナへの自発的な愛は、クリシュナやクリシュナの純粋な献身者の特別な慈悲によってのみ育まれます。このような献身奉仕のプロセスは、プシュティ・マールガとも呼ばれています。プシュティとは「滋養を与える」、マールガとは「道」という意味です。そのような感情が大きくなることによって、献身奉仕に最も高い滋養が与えられます。そのようにして、この方法はプシュティ・マールガすなわち滋養を与える道と呼ばれているのです。ヴァイシュナヴァ宗教のヴィシュヌスヴァーミー派に属するヴァラバ・サンプラダーヤは、プシュティ・マールガでクリシュナを崇拝しています。グジャラートの献身者は一般にプシュティ・マールガでバーラ・クリシュナを崇拝しています。