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第1章

クルクシェトーラの戦場に両軍を見渡す

テキスト

ドリタラーシュトラ ウヴァーチャ
ダルマクシェートレー クルクシェートレー  サマヴェーター ユユツァヴァハ
マーマカー パーンダヴァスチャイヴァ  キマクルヴァタ サンジャヤ

Synonyms

dhṛtarāṣṭraḥ uvāca — ドリタラシュートラ王は言った; dharma-kṣetre — 巡礼の地において; kuru-kṣetre —クルクシェートラの地において; samavetāḥ —集まった; yuyutsavaḥ —戦いを望んで; māmakāḥ —私の軍隊; pāṇḍavāḥ —パーンドゥの息子たち; ca —と; eva —確かに; kim —何を; akurvata —彼らは〜をしたのか; sañjaya — おお、サンジャヤ

Translation

ドリタラーシュトラ問う:サンジャヤよ、聖地クルクシェートラで戦うべく大軍を集結したわが息子たちとパーンドゥの息子たちの形勢はいかがであろうか?

Purport

『バガヴァッド・ギーター』は、『ギーター・マハートミャ』(ギーターの賛美)に要約されて、すでに多くの人々に読まれている神の科学です。そしてバガヴァッド・ギーターを読むにあたっては、次のことが必須条件とされています。1.わからない所はシュリー・クリシュナの献身者に聞きながら、心をこめて綿密に読むこと。2.個人的見解を加えずに、ありのままを理解するように努めること、この二つです。一点の曇りもない理解の例は、『バガヴァッド・ギーター』のなかに明示されています。それは、主なる神から直接に教えを聞いたアルジュナの場合です。もし誰か幸いにも、ここから代々正統な弟子たちによって伝えられた『バガヴァッド・ギーター』を会得することができたならば、その人はヴェーダの全知識と世界中の全聖典を学習した以上の知恵を持ったことになります。なぜなら、ギーターの内容には、古今東西の聖典に書いてあることはすべて含まれていて、その上、他のどの聖典にも出ていないことが、至る所にちりばめているからです。これがギーターの特質で、不滅の権威なのです。そしてこれこそ、完全な’神の科学’です。バガヴァーンである主クリシュナが、直接に語られたものだからです。

『マハーバーラタ』は、この偉大なギーター哲学の基本原則が土台となっている叙事詩で、いまドリタラーシュトラとサンジャヤが話題にしている事態の前後が、こと細かに描写されています。この大哲学は、クルクシェートラの戦場で開示されましたが、この地は太古、ヴェーダの時代から巡礼の聖地でした。そして人類を導くために、主なる神が一個人としてこの地球に出現されて神自らがこの真理を語られたのです。

この地を、ダルマ・クシェートレ(宗教儀式が行われる所)と呼ぶのは、まことに意義が深いでしょう。このクルクシェートラの戦場において、バガヴァーンがアルジュナの傍らにおられたのです。アルジュナの敵、クル兄弟の父親、ドリタラーシュトラは、自分の息子たちは勝てないのではないかと、大いに心配していました。ですから秘書のサンジャヤに質問したのです。「私の息子たちと、パーンドゥの息子たちの様子はどんな具合かね?」と。彼は、自分の息子たちと、弟パーンドゥの息子たちが、もうあとにひけない決戦のためクルクシェートラに集結していることをよく知っていました。それなのに、このような質問をするのは、非常に意味深長です。いとこ同志が譲歩しあって決戦を避けることは彼は望んでいません。ですが自分の息子たちの運命を思うと不安でたまらないのです。その原因は戦場がクルクシェートラだからです。そこは礼拝の地であるとヴェーダにあります。人間ばかりか天界の住人にとっても聖なる土地なのです。そのことが戦争に何か影響を及ぼすのではないかと、ドリタラーシュトラは恐れていたのです。アルジュナたちパーンドゥ兄弟は、生まれつき徳高く実に善良です。したがってこの戦場の風は、彼らにとって有利に吹くでしょう。サンジャヤはヴャーサ聖者の弟子で、師の恵みによって彼は天眼天耳通でした。つまり居ながらにして遠い戦場の様子が手にとるようにわかったのです。

パーンドゥ兄弟とドリタラーシュトラの息子たちは、祖父を同じくする家族なのですが、ここで、はからずもドリタラーシュトラの心が暴露されています。彼は自分の息子たちだけをクル家の相続人と決めて、弟パーンドゥの息子たちには王家の財産を分け与えていません。甥、パーンドゥ兄弟と、伯父ドリタラーシュトラとの関係がどういうものか、容易に想像がつくでしょう。稲田では、余計な植物はすべてぬき稲だけにします。まさにそのように、この宗教的土地に宗教の父である主シュリークリシュナが現れて、ふさわしくない植物、つまりドゥルヨーダナを長兄とするドリタラーシュトラの息子たちは根こそぎになり、一方まったく宗教的な人間であるパーンドゥの息子たち、ユディシュティラを長兄とする五人兄弟が主なる神によってその地位が確立安定する。このような成り行きがはじめから予想できます。歴史上、、ヴェーダ学上のことは別にしても、これがサンスクリット原文に、ダルマクシェートレー・クルクシェートレー(聖なる地、または正義の行われる地、クルクシェートレーにおいて)と、書いてあるゆえんです。

テキスト

サンジャヤ ウヴァーチャ
ドリシュタヴァーチュパーンダアーニーカン
ヴューダンドゥルヨーダナスタダー
アーチャリャムパサンガムヤ
ラージャヴァチャナマブラヴィート

Synonyms

sañjayaḥ uvāca — サンジャヤは言った; dṛṣṭvā —見た後; tu —しかし; pāṇḍava-anīkam —パーンドゥの息子方の兵士たち; vyūḍham —方陣を敷いた; duryodhanaḥ — ドゥルヨーダナ王; tadā — その時; ācāryam —先生; upasańgamya—近づいて; rājā —王; vacanam —言葉; abravīt —語った

Translation

サンジャヤ答える: おお王様よ、ドゥルヨーダナ王はパーンドゥの息子方の堅固な陣容を見渡した後、軍師のもとにおもむいてこのように申されました。

Purport

ドリタラーシュトラ王は生まれついての盲目でした。その上不幸なことに、彼は心の眼、精神的な眼まで衰えていました。ですが息子たちが自分と同じように宗教に無知無関心であり、したがって生まれつき信心深いパーンドゥ兄弟を理解し、彼らと妥協することなど、到底出来ないと本能的に知っていたのです。ただとにかく、自分の子を案じるあまり、戦場の土地柄が心配でした。秘書のサンジャヤには、王の心理が手にとるようにわかります。それで彼は、王の気持ちをひきたてて元気付けようと思い、王子ドゥルヨーダナが何か聖地の影響などを受けず、全く敵方と妥協する気などない、ということをまず王に伝えました。王子は敵の布陣を眺めると直に味方の最高司令官ドローナ軍師のもとにかけつけ、形勢を報告します。ここでドゥルヨーダナは‘王’と呼ばれていますが、重大な場面に当たっては常に軍司令官の指示を求めなくてはなりません。つまり彼はかなりの政治家であった、とも言えるでしょう。内心を言動に表さないのが、外交にたけた政治家の本領なのに、パーンドゥ方の布陣を見た彼は心中の恐怖を隠し抑えることができませんでした。

テキスト

パシャイタンパーンドゥプトラーナーム
アーチャーリャマハティンッチャムーン
ヴューダーンドゥルパダプトレナ
タヴァシシェナディーマター

Synonyms

paśya —見なさい; etām —この; pāṇḍu-putrāṇām — パーンドゥの息子たちの; ācārya — O teacher; mahatīm —偉大な; camūm —軍事力; vyūḍhām —配置された; drupada-putreṇa — ドルパダの息子によって; tava —あなたの; śiṣyeṇa —弟子; dhī-matā — とても知性の高い

Translation

師よ、ご覧ください。パーンドゥ方の強力な大軍容を。あなたの賢い門人、ドルパダの息子がこれを配置布陣したのです。

Purport

生まれつきかけひきのうまいドゥルヨーダナは、偉大なブラーフマナの司令官ドローナの誤りを指摘したかった。かつてのドローナとドルパダ王との間に政治的紛争がありました。ドルパダ王はアルジュナの妻、ドラウパディーの父親です。この争いの結果、ドルパダは非常な苦行をして、神々を供養しました。そのおかげとして、彼はドローナを殺すことのできる息子を授かりました。ドローナはそれをよく知っていました。ですがそのドルパダの息子、ドリシュタデュムナが彼の門下生となった時、惜しみなく兵法の技術や秘伝を教えました。それほどドローナは公平無私なブラーフマナなのです。いま、クルクシェートラの戦場において、ドリシュタデュムナはパーンドゥ方に味方し、ドローナに教わった兵法を生かして、堅牢無比の見事な軍人をしいています。いずれ自分の敵になることがわかっている人間に気前よく兵法を教えたドローナの過ちを指摘して、ドゥルヨーダナは軍師に向かい、用心警戒を怠らぬようにと申し入れます。かさねてドローナの愛弟子であるパーンドゥ兄弟、殊に最も優秀な学生だったアルジュナに対して、戦闘に際し手心を加えないようにと、念を押しました。この戦争で優しい気持ちなど起こしたら、それこそ味方の破滅です、と彼は強調します。

テキスト

atra śūrā maheṣv-āsā
bhīmārjuna-samā yudhi
yuyudhāno virāṭaś ca
drupadaś ca mahā-rathaḥ

Synonyms

atra —ここに; śūrāḥ —英雄たち; mahā-iṣu-āsāḥ —弓の名手; bhīma-arjuna — ビーマとアルジュナ; samāḥ —匹敵する; yudhi— 戦いにおいて; yuyudhānaḥ — ユユダーナ; virāṭaḥ —ヴィラータ; ca —もまた; drupadaḥ —ドルパダ; ca —もまた; mahā-rathaḥ —偉大な戦士

Translation

なかには、ビーマ、アルジュナと並ぶ弓の名手も数多く、ユユダーナ、ヴィラータ、ドルパダ等の大戦士たちもいます。

Purport

ドローナの前では、ドリシュタデュムナはさほど重大な障害ではありませんが、ほかにも恐るべき敵がわんさといます。その名前をドゥルヨーダナは次々とあげて、彼らこそ勝利への道をさえぎる邪魔者だ、と言います。一人一人がビーマやアルジュナの豪勇ぶりをよく知っているからこんな言い方をするのです。

テキスト

ドリシュタケートゥスチェーキターナー
カーシラージャスチャヴィーリャヴァン
プルジットクンティボージャスチャ
サイヴャスチャナラプンガヴァー

Synonyms

dhṛṣṭaketuḥ —ドリシュタケートゥ; cekitānaḥ —チェーキターナ; kāśirājaḥ —カーシラージャ; ca —もまた; vīrya-vān —非常に力強い; purujit —プルジット;kuntibhojaḥ — クンティボージャ; ca — と; śaibyaḥ —シャイヴャ; ca —と; nara-puńgavaḥ —人間界の英雄

Translation

ドリシュタケートゥ、チェーキターナ、カーシー王、またプルジット、クンティボージャ、シャイビャ等の大豪傑

テキスト

ユダーマニュスチャーヴィクランタ
ウッタモウジャスチャヴィーリャヴァン
スバドロードロパデヤスチャ
サールヴァエヴァマハラタハー

Synonyms

yudhāmanyuḥ — ユダーマニウ; ca —〜と; vikrāntaḥ —力強い; uttamaujāḥ —ウッタモウジャ; ca —〜と; vīrya-vān —非常に力強い;saubhadraḥ —スバドラーの息子; draupadeyāḥ — ドラウパディーの息子たち; ca —〜と; sarve —全て; eva —確かに; mahā-rathāḥ—偉大な戦車乗り

Translation

ユダーマニウ、ウッタマウジャーやスバドラーとドラウパディーの勇壮きわまる息子たち。彼らは全員剛力無類の戦車乗り。

テキスト

asmākaṁ tu viśiṣṭā ye
tān nibodha dvijottama
nāyakā mama sainyasya
saṁjñārthaṁ tān bravīmi te

Synonyms

asmākam —我々の; tu —しかし; viśiṣṭāḥ —特に力強い; ye —〜である人; tān —彼らを; nibodha — ちょっと注目して下さい;dvija-uttama — おお、最高のブラーフマナよ; nāyakāḥ —指揮官たち; mama —私の; sainyasya —兵士たちの; saḿjñā-artham — 情報のために; tān —彼らを; bravīmi — 私は話します; te — あなたに

Translation

おお最高のブラーフマナよ、参考までにわが軍のすぐれた将軍、指揮官たちも名前をあげて説明しましょう。

テキスト

バーヴァンビーシュマシュチャカルナシュチャ
クリパシュチャサミティンジャヤハ
アシュヴァッターマーヴィカルナシュチャ
ソーマダッティスタタイヴァチャ

Synonyms

bhavān — あなたのように立派な御方; bhīṣmaḥ — ビーシュマ; ca — 〜と; karṇaḥ — カルナ; ca —〜と; kṛpaḥ —クリパ; ca —〜と;samitim-jayaḥ —常勝不敗の; aśvatthāmā —アシュワッターマー; vikarṇaḥ —ヴィカルナ; ca —〜と同様に; saumadattiḥ — ソーマダッタの息子; tathā — 〜と同様に; eva —確かに; ca — 〜もまた

Translation

先生ご自身、ビーシュマ、カルナ、クリパ、アシュワッターマー、ヴィカルナにソーマダッタの息子ブリシュラヴァー。いずれも常勝不敗の豪傑。

Purport

ドゥルヨーダナは味方のすばらしい英雄たちの名をあげます。いずれも常勝不敗の大戦士たちです。ヴィカルナはドゥルヨーダナの弟。アシュワッターマーはドローナ軍師の息子。ソーマダッティ、つまりブルシュラヴァーはバーフリーカスの王の息子。カルナはアルジュナの異父兄。クンティー妃がパーンドゥ王と結婚する前に生んだ息子です。クリパ先生の双子の妹はドローナ軍師と結婚しています。

テキスト

アンイェチャバハヴァースーラー
マダルテェテャクタジーヴィタハー
ナーナーシャストラプラハラナー
サルヴェユッダーヴィシャーラダハー

Synonyms

anye —他の者たち; ca —〜もまた; bahavaḥ — 数多くの; śūrāḥ —英雄たち; mat-arthe — 私のために; tyakta-jīvitāḥ —命を賭す覚悟のある; nānā —多くの; śastra —武器; praharaṇāḥ — 〜を携えて; sarve —彼らは皆; yuddha-viśāradāḥ —兵学において老練な

Translation

そのほか我がため命を賭した、あまたの勇士が勢ぞろい。各種の武具をたずさえて、戦い巧者のものばかり。

Purport

そのほかの者としては、ジャヤドラタ、クリタヴァルマー、シャリヤ等がいます。いずれもドゥルヨーダナのために屍を戦場にさらす決心をしていました。つまり、罪深いドゥルヨーダナに味方したからには、このクルクシェートラの戦いで死ぬほかはない、と皆が覚悟を決めているわけです。しかしドゥルヨーダナ自身は、これほど強い友人たちが味方にいて協力してくれるのだから、勝つに違いないと思っています。

テキスト

アパリャープタンタダスマーカン
バランビーシュマビラクシタン
パリャープタントゥヴィダメテシャーム
バランビーマビラクシタム

Synonyms

aparyāptam —計り知れない; tat —それ; asmākam —我々の; balam —力; bhīṣma —祖父ビーシュマによって;abhirakṣitam —完全に守られた; paryāptam —限られた; tu —しかし; idam — これ全て; eteṣām — パーンダヴァ軍の; balam —力; bhīma —ビーマによって; abhirakṣitam —用心深く守られた

Translation

祖父ビーシュマの率いるわが軍は強大なること計り知れず、ビーマの率いるパーンドゥ軍の強さには限界がありましょう。

Purport

ここでドゥルヨーダナは、両軍の強さを比較しています。彼は味方の軍勢の強さは計り知れないと思ってます。全インドで最も経験豊かな将軍、ビーシュマが指揮をとっているからです。一方パーンドゥ軍は経験においてははるかに劣るビーマが、指揮をとっています。ビーシュマの前では吹けば飛ぶような存在だ、と彼は思っています。ですが彼は以前からビーマに対して嫉妬と警戒心を抱いており、もし自分が死ぬ場合は必ずビーマによって息の根を止められるのだという、確信のようなものを持っていました。また同時にビーシュマがついている限り、絶対に負けない、と信じ切ってもいました。とにかくビーシュマはビーマとは比べ物にならぬほど、あらゆる点で優れているのですから。結局この戦いには必ず勝つ。

テキスト

ayaneṣu ca sarveṣu
yathā-bhāgam avasthitāḥ
bhīṣmam evābhirakṣantu
bhavantaḥ sarva eva hi

Synonyms

ayaneṣu — 戦略の要点において; ca —〜もまた; sarveṣu —至る所に; yathā-bhāgam — 様々に配置された; avasthitāḥ —位置している; bhīṣmam —祖父ビーシュマに; eva —確かに; abhirakṣantu —支援すべきである; bhavantaḥ — あなた方は; sarve— めいめい; eva hi —確かに

Translation

さあ、味方の将軍たち、各自の持ち場にぬかりなく、大元帥のビーシュマ祖父を完全に補佐し支えて下さい。

Purport

武勇においても軍略においてもk、最高指揮官としてのビーシュマがいかにすぐれているか、これをたたえた後で、他の人たちが「では自分はさほど重要ではないのかな?」思わせないために、ドゥルヨーダナはいつもの外交的辞令を用いたのです。ビーシュマは疑いもなく天下無双の英雄ですが、何分にもお年を召しているので、各将がそれぞれの持ち場から全面的にこの老元帥を保護し補佐して下さいと励ましています。ビーシュマ祖父は戦闘に加わるかもしれない。敵はその隙を狙ってくるでしょう。そこで大事なのは、敵に陣形を崩されないよう、各自の持ち場を守っていただくことです。ドゥルヨーダナは、ビーシュマがついていればこそ、クル方は勝つことができるのだと、はっきり自覚していました。この戦争で、彼はビーシュマとドローナが百パーセント自分を支持してくれているものと確信しています。なぜかと言えば、先年、王族将軍たちが大勢集まった席で、アルジュナの妻ドラウパディに自分たちが恥をかかせたとき、この二人は彼女の悲痛な訴えに対して一言も返事しなかったではないか。この二人の英雄がパーンドゥ兄弟に対してある種の愛情を持っていることは彼もよく知っていますが、この際、そんな愛情や同情は一切ふりすてて戦場に臨んだものと、ドゥルヨーダナは希望的観測をしています。

テキスト

タッシャサンジャヤンナルシャン
クルヴリッダーピターマハー
シンハナーダンヴィナドヨッチャイ
サンカンダドモープラターパヴァン

Synonyms

tasya —彼の; sañjanayan —増大する; harṣam —上機嫌; kuru-vṛddhaḥ — クル王朝の最長老(ビーシュマ);pitāmahaḥ —祖父; siḿha-nādam —獅子吼のごとく音をとどろかす; vinadya —振動する; uccaiḥ — たいへん大きな音で;śańkham —ほら貝; dadhmau —吹いた; pratāpa-vān —勇敢な兵士

Translation

するとクル王家の勇ましき最長老ビーシュマは獅子吼のごとく、ほら貝を高らかに吹き鳴らし、ドゥルヨーダナを喜ばせました。

Purport

クル王家の最長老は、孫にあたるドゥルヨーダナの胸の内がよくわかったので肉親として自然に同情心がわき、ライオンのごとき自らの地位にふさわしくほら貝を精一杯大きく鳴らして彼を元気づけました。ですが間接的には、貝のカラ、中身がむなしい、によせて、至上主クリシュナに敵対する戦いには勝てないことを、孫にそれとなく知らせたのです。しかし、クル軍を指揮するのは彼の義務です。彼は堂々と、忠実に自分の義務を遂行するでしょう。

テキスト

タターシャンカシュチャベーリャシュチャ
パナヴァーナカゴームカハ
サハサイヴァーバハヤハンヤンタ
サシャブダストゥムロバヴァット

Synonyms

tataḥ — その後; śańkhāḥ —ほら貝; ca —と; bheryaḥ —大きな太鼓; ca —と; paṇava-ānaka —小さな太鼓とケトルドラム; go-mukhāḥ —角笛; sahasā —突然に; eva —確かに; abhyahanyanta — いっせいに鳴らされた;saḥ —それ; śabdaḥ —一体になった音; tumulaḥ —騒がしい; abhavat — 〜になった

Translation

それにつづいて全軍の太鼓、ほら貝、ラッパ、笛などが各所で同時に鳴り響き、耳も聾するさわがしさ。

テキスト

tataḥ śvetair hayair yukte
mahati syandane sthitau
mādhavaḥ pāṇḍavaś caiva
divyau śaṅkhau pradadhmatuḥ

Synonyms

tataḥ —その後; śvetaiḥ —白い; hayaiḥ —馬たち; yukte — くびきにつながれた; mahati — 大きな; syandane —戦車;sthitau —位置した; mādhavaḥ — クリシュナ(幸運の女神の夫) ; pāṇḍavaḥ — アルジュナ(パーンドゥの息子); ca —〜もまた; eva —確かに; divyau —超越的な; śańkhau —ほら貝; pradadhmatuḥ —鳴った

Translation

するとパーンドゥ方からは主クリシュナとアルジュナが、白馬に引かれた戦車に乗って、神秘のほら貝を吹き鳴らすのです。

Purport

In contrast with the conchshell blown by Bhīṣmadeva, the conchshells in the hands of Kṛṣṇa and Arjuna are described as transcendental. The sounding of the transcendental conchshells indicated that there was no hope of victory for the other side because Kṛṣṇa was on the side of the Pāṇḍavas. Jayas tu pāṇḍu-putrāṇāṁ yeṣāṁ pakṣe janārdanaḥ. Victory is always with persons like the sons of Pāṇḍu because Lord Kṛṣṇa is associated with them. And whenever and wherever the Lord is present, the goddess of fortune is also there because the goddess of fortune never lives alone without her husband. Therefore, victory and fortune were awaiting Arjuna, as indicated by the transcendental sound produced by the conchshell of Viṣṇu, or Lord Kṛṣṇa. Besides that, the chariot on which both the friends were seated had been donated by Agni (the fire-god) to Arjuna, and this indicated that this chariot was capable of conquering all sides, wherever it was drawn over the three worlds.

テキスト

パンチャジャンヤンフリシケショー
デーヴァダッタンダナンジャヤー
ポウンドランダドモーマハサンカン
ビーマカルナヴリコーダラー

Synonyms

pāñcajanyam — パーンチャジャニヤという名のほら貝; hṛṣīka-īśaḥ — フリシーケーシャ(クリシュナ、献身者の感覚を指導する主); devadattam — デーヴァダッタという名のほら貝; dhanam-jayaḥ — ダナンジャヤ(アルジュナ、富の勝者);pauṇḍram — パウンドラカという名のほら貝; dadhmau —吹いた; mahā-śańkham —恐ろしいほら貝; bhīma-karmā — 大力を要する仕事をする人; vṛka-udaraḥ —大食漢(ビーマ)

Translation

主クリシュナはパーンチャジャニヤという名のほら貝を、アルジュナはデーヴァダッタを、怪力無双の大食漢ビーマはものすごいほら貝パウンドラを吹き鳴らしました。

Purport

この節では主クリシュナをフリシーケーシャという名で呼んでいます。すべての感覚は彼のもの、彼に属しているからです。生物はそれぞれに神の一部分ですから、生物の感覚もまた、神の感覚の一部分です。マーヤーヴァーディー(絶対真理が人であることを認めない人たち)は、生物の感覚について説明できないものだから、常に「生物には感覚がないのだ。個我はないのだ」と言いたがります。とんでもない。あらゆる生物のハートには主なる神がいて、彼らの感覚を、管理しておられます。ですが一般の場合はそれぞれの生物に任せていますが、神を信じ愛している者に対しては、その感覚を、神自ら直接に指導し支配します。このクルクシェートラの戦場において、主は直接にアルジュナの感覚を支配しますので、この特殊な別名フリシーケーシャを用いています。主クリシュナは、地球に来られてからのさまざまな活動によって、いろいろな名前、愛称、別称で呼ばれます。例えばマドゥスーダナ・・・マドゥという名の悪魔を滅ぼしたからゴーヴィンダ・・・牛と感覚を喜ばせる者ヴァースデーヴァ・・・ヴァスデーヴァの息子として生まれたのでヴァスデーヴァの息子デーヴァキーナンダナ・・・デーヴァキーを母として受けたヤショダーナンダナ・・・子供時代、ヴリンダーヴァンでヤショーダーを養母として、遊び戯れたパールタサラティ・・・プリターの子、友アルジュナの御者として、戦場で働いたフリシーケーシャ・・・クルクシェートラの戦場で、アルジュナを指導した

アルジュナもここではダナンジャヤという別名で表されているが、これは、彼が兄王がさまざまな供犠を執り行った際に財物を用意して助けた、というところからきた愛称です。同じくビーマもヴリコーダラになっていますが、これは彼が悪魔ヒディンバを殺すという怪力が出せるほど、ものを沢山食べることができたのがその名の由来です。こうして、パーンドゥ方では、主クリシュナから始まって、兄弟一人一人がそれぞれ特徴のあるタイプのほら貝を朗々と吹き鳴らしました。これによって将兵は大いに元気づけられました。ところが相手方には、そうした頼りがいのある人もなく、まして主クリシュナ、至高の指導者がついていません。したがって幸運の女神もついていません。ゆえにパーンドゥ方の敵は負けるに決まっている、このことをほら貝の響きは高らかに告げていました。

テキスト

アナンタヴィジャーヤンラージャ
クンティプットロユディシティラ
ナクラサハデーヴァスシャ
スゴーシャマニプシュパコウ
カシャシュシャパラメーシュヴァサー
シカンディチャマハーラター
ドリシュタデュムノーヴィラータシュチャ
サッチャキスシャパラージタハー
ドルパドードローパデーヴァシュチャ
サルヴァシャープリティヴィパテ
スバドラースチャマハーバフー
シャンカンダドモープラタックプラタック​​​​​​​​​​​​​​

Synonyms

ananta-vijayam — アナンタヴィジャヤという名のほら貝; rājā —王; kuntī-putraḥ — クンティーの息子; yudhiṣṭhiraḥ —ユディシュティラ; nakulaḥ — ナクラ; sahadevaḥ — サハデーヴァ; ca — 〜と; sughoṣa-maṇipuṣpakau — スゴーシャとマニプシュパカという名のほら貝; kāśyaḥ — カーシー(バーラーナシー)の王; ca —〜と; parama-iṣu-āsaḥ —偉大な弓の射手; śikhaṇḍī — シカンディー; ca —〜もまた; mahā-rathaḥ —一騎当千の士; dhṛṣṭadyumnaḥ — ドリシュタデュムナ(ドルパダ王の息子);virāṭaḥ — ヴィラータ(パーンドゥ兄弟が身をやつしていた間、彼らをかくまった王子); ca —〜もまた; sātyakiḥ — サーティヤキ(ユユーダナと同一人物、クリシュナの御者); ca — 〜もまた; aparājitaḥ — いまだ打ち負かされたことのない; drupadaḥ —ドルパダ、パンチャーラの王; draupadeyāḥ —ドローパディーの息子; ca — 〜もまた; sarvaśaḥ —すべて; pṛthivī-pate — おお、王よ;saubhadraḥ — アビマンニュ、スバドラーの息子; ca — 〜もまた; mahā-bāhuḥ —強力に武装した; śańkhān — ほら貝; dadhmuḥ—吹いた; pṛthak pṛthak — それぞれ別に

Translation

クンティーの息子、ユディシュティラ王子はアナンタヴィジャヤという名のほら貝を、ナクラはスゴーシャという名の、サハデーヴァはマニプシュパカという名のほら貝を吹き鳴らしました。弓の名人、カーシー王、大戦士のシカンディー、ドリシュタデュムナ、ヴィラータ、向かう敵なきサーティアキ、そしてドルパダ、ドロウパディの息子たち。また王よ、スバドラーの腕自慢の息子が、それぞれにほら貝を鳴らしています。(ドロウパディーはドルパダの娘。スバドラーはクリシュナの妹。二人ともアルジュナの妻)

Purport

弟、パーンドゥの息子たちをだまして、自分の息子たちにだけ王権を継がそうとしたドリタラーシュトラのやり方は、あまり誉めたことではなかった、とサンジャヤは婉曲な言いまわしで王に知らせたのです。そのしるしはすでに明らかです。この大戦争でクル王家の全てが殺されてしまうかもしれないのです。最長老のビーシュマ祖父から始まって、ビーシュマにはひ孫にあたるアビマンニュたちに至るまで、それに世界各地の王や王族たちをも巻き込んで、皆この戦場にいて破滅の運命を待っているのです。この大破局は、ひとえにドリタラーシュトラ王の不明に因るものです。息子たちのいうままになり彼らの悪事を放任していたからなのです。

テキスト

サゴショーダールタラシュトラーナン
フリダヤーニヴャダーラヤット
ナバシュチャプリティヴィンチャイヴァ
トゥムロビャヌナーダヤン

Synonyms

saḥ —その; ghoṣaḥ —響き; dhārtarāṣṭrāṇām — ドリタラーシュトラの息子たちの; hṛdayāni —心臓; vyadārayat —粉砕した;nabhaḥ —空; ca —〜もまた; pṛthivīm —地面; ca —〜もまた; eva —確かに; tumulaḥ —耳をつんざくような;abhyanunādayan —鳴り響く

Translation

その轟々たるとどろきは天と地とにどよめきわたり、ドリタラーシュトラの息子たちの心の臓をも打ち砕くばかり。

Purport

ビーシュマをはじめとするドゥルヨーダナ方の諸将がほら貝を吹いたときは、パーンドゥ方に何のショックも起きませんでした。そういう事実は書かれていません。ですが特にこの節には、パーンドゥ方のほら貝の響きで、ドリタラーシュトラの息子たちの心臓は砕けるほどだったと言っています。これはパーンドゥ兄弟の徳と彼らの主クリシュナに対する信頼のせいです。主なる神の保護のもとにあれば、恐れることは何もありません。どんな大災害の真っ只中にいても、何一つ恐れることはないのです。

テキスト

アタヴャヴァスティターンドリシュトヴァーダールタラシュトランカピドゥヴァジャ
プラヴリッテシャストラサンパーテダヌルデャミャパーンダヴァハ
フリシーケシャンタダーヴァーキャミダマーハマヒーパテ

Synonyms

atha — そのあとすぐに; vyavasthitān —位置して; dṛṣṭvā —眺めて; dhārtarāṣṭrān — the sons of Dhṛtarāṣṭra; kapi-dhvajaḥ —ハヌマーンの旗印をつけた彼; pravṛtte — まさに〜従事しようとして; śastra-sampāte — 矢を放つことに;dhanuḥ —弓; udyamya —取り上げて; pāṇḍavaḥ — パーンドゥの息子(アルジュナ); hṛṣīkeśam —主クリシュナに; tadā — そのとき; vākyam —言葉; idam —これらの; āha —言った; mahī-pate — おお王よ

Translation

王よ、そのときパーンドゥの子アルジュナはハヌマーンの旗印をつけた戦車から弓をつがえてドリタラーシュトラの息子たちを見渡し主クリシュナにこう申されました。

Purport

戦いはまさに始まろうとしています。これまでの叙述で、主クリシュナから直接に訓令を受けているパーンドゥ兄弟の思いがけない軍事力を知って、ドリタラーシュトラの息子たちが、すでになんとなく意気阻喪していることがわかります。この節で言っているように、アルジュナの軍旗に描かれている紋章は、ハヌマーンです。これがまた、勝利の印です。なぜかといえばラーマ対ラーヴァナ戦のとき、ハヌマーンは主ラーマに協力し、ついに主ラーマは勝利を得たからです。そして今や、ラーマとハヌマーンは、アルジュナを助けるために彼の戦車に乗っています。主クリシュナはラーマそのかたであり、主ラーマのあるところには必ず、主の永遠の従者ハヌマーンと主の永遠の妻シーター、幸運の女神もまたあるのです。したがってアルジュナはいかなる敵をも恐れる必要はありません。そしてとりわけ感覚の支配者である主クリシュナが自ら現れて彼に指示を与えて下さるのです。戦争遂行にあたってアルジュナは、あらゆるよき助言の数々を思うさま用いられます。主なる神は主の永遠の献身者のためにこれほどめでたい条件を用意して勝利を約束して下さったのです。

テキスト

アルジュナウヴァーチャ
セーナヨールバーヨルマドイェ
ラタンスタ「アーヤメチュタ
ヤーアデータンニリクシェーハン
ヨッドゥカーマナヴァスティタン
カイルマーヤーサハーヨッダヴャン
アスミンラーナーサムデヤメ

Synonyms

arjunaḥ uvāca — アルジュナは言った; senayoḥ —軍隊の; ubhayoḥ —両方の; madhye — 〜の間に; ratham —戦車; sthāpaya— どうか〜に配置して下さい; me —私の; acyuta — おお、絶対に誤りのない方; yāvat —〜する間; etān — これらすべて; nirīkṣe —眺める; aham —私が; yoddhu-kāmān —戦いを望んで; avasthitān —戦場に勢ぞろいした; kaiḥ —〜である人と; mayā —わたしによって; saha —一緒に; yoddhavyam —戦わなければならない; asmin — この〜において; raṇa —争い; samudyame — 企てにおいて

Translation

アルジュナは言いました。決して誤ることなく常に正しいお方よ、どうか私の戦車を両軍の間に引き出してください。私はよく見たいのです。ここに来ている人々を。この重大な戦闘に私と共に戦おうとしている人々を。

Purport

主クリシュナはバガヴァーンですが、ただあふれるばかりの慈悲心から神の友の世話をして下さいます。神を信じ愛しているものたちに向かって、決して間違いなく最上の方法で愛情を注いで下さいます。だからここで、常に誤りなく正しい方、と呼んでいるのです。御者の役目をかって出ているので、アルジュナの要求どおりに戦車を動かさなくてはいけません。この点においてもご自分の意見をはさまずに、ためらいなくアルジュナの言うとおりになさいます。この意味でも、決して誤りのない方、なのです。献身者の御者としての役目を引き受けたからには、御者になりきっています。ですが、どんな環境にあっても、あくまで彼はバガヴァーンであり、あらゆる感覚の主人公フリシーケーシャなのです。主と主の従者との関係は、まことに甘く、また超越的、神秘的なものです。従者は常に主への奉仕を心がけています。そして同時同様に、主なる神もまた、つねに献身者へサービスする機会を探していらっしゃいます。要求し命令する立場より、純粋な献身者たちに頼られて、彼らが万事好都合になるのをみるほうが,主にとってはずっと楽しい。あらゆるものの主人公だから、すべてのものは自分の命令下にある。彼の上にいて彼に命令するものの主人公だから、すべてのものは自分の命令下にあります。彼の上にいて彼に命令するものはいません。ですが神は純粋な献身者が自分に何か頼んでいるのを知ると超越的な楽しみをあじわうのです。

神の純粋な献身者であるアルジュナはもともと従兄弟たちと戦う気はなかったのですが、ドゥルヨーダナの強情な言行のために、やむなく戦場に出ざるを得ませんでした。ドゥルヨーダナは、平和交渉に一切応じなかったのです。そのようなわけで、この戦場にどんな王族や将軍たちが出ているか、アルジュナはどうしても見たかったのです。今さら戦いを中止するわけにはいきませんが、どうしても彼らの姿を、彼らがどんな様子でいるかをもう一度見ておきたかったのです。

テキスト

yotsyamānān avekṣe ’haṁ
ya ete ’tra samāgatāḥ
dhārtarāṣṭrasya durbuddher
yuddhe priya-cikīrṣavaḥ

Synonyms

yotsyamānān —戦おうとしている者たち; avekṣe —見せよ; aham —私; ye — (〜である)人; ete —人々; atra — ここに; samāgatāḥ—集まった; dhārtarāṣṭrasya — ドリタラーシュトラの息子のために; durbuddheḥ —邪悪な心を持った; yuddhe — 戦いにおいて; priya — well;cikīrṣavaḥ —望んで

Translation

またドリタラーシュトラの邪悪な心を持つ息子たちに味方をして戦おうと、ここに集まってきた人々を見せて下さい

Purport

ドゥルヨーダナは妖計を用いてパーンドゥ兄弟から領地を強奪しようとしました。父ドリタラーシュトラもそれに同調した、このことは公然の秘密なのですから、それを承知の上でドゥルヨーダナに味方した人々は、彼らと同じ羽の鳥、同類です。いったいどういう人たちが来ているのか、アルジュナは戦う前に知りたいと思いました。もちろん今さら和平交渉をしようなどとは考えてもいません。クリシュナが傍らについていてくれるからには、勝利を確信して露ほども疑っていませんが、相手の強さを一応判定してみたかったのです。

テキスト

サンジャヤウヴァーチャ
エヴァムクトフリシケショー
グダケシェナバーラタ
セーナヨルバハヨルマドヒェ
スタパイトヴァラトッタマン

Synonyms

sañjayaḥ uvāca — サンジャヤは言った; evam —このように; uktaḥ —話しかけられて; hṛṣīkeśaḥ —主クリシュナ; guḍākeśena —アルジュナによって; bhārata— おお、バラタ王の子孫よ; senayoḥ —軍隊の; ubhayoḥ —両方の; madhye — 中央に; sthāpayitvā —配した;ratha-uttamam —最もすばらしい戦車

Translation

サンジャヤ言う:おおバラタ王の子孫(ドリタラーシュトラのこと)よ、このようにアルジュナに頼まれて、主クリシュナは見事な戦車を両軍の中央に引き出されました。

Purport

この節でアルジュナはグダケーシャと呼ばれています。グダーカーとは、眠りのこと、眠りを克服した人をグダーケーシャと呼びます。眠りはまた、無知という意味を持っています。つまり、アルジュナはクリシュナとの友人関係によって、眠りと無知の両方を克服したのです。クリシュナの偉大な献身者として、彼は一瞬の間もクリシュナを忘れていることはできません。それが献身者というものの本領だからです。寝てもさめてもクリシュナの献身者はクリシュナの名と姿と資性能力と遊戯を想っています。こうしてクリシュナを常に想うことによって、クリシュナの献身者は眠りと無知を二つともに征服することができます。このことをクリシュナ意識、またはサマーティといいます。各生物の感覚と心を監督するフリシーケーシャとして、クリシュナはアルジュナの頼み、両軍の中央に駒を進める意図がよく理解できました。だから彼の言うとおりにしてから次のように言われました。

テキスト

ビーシュマドローナプラムカタハ
サルベシャムチャマヒークシタン
ウヴァーチャパールタパシャイタン
サマヴェータンクルニティー

Synonyms

bhīṣma —祖父ビーシュマ; droṇa —師ドローナ; pramukhataḥ — 〜の前に; sarveṣām —全て; ca —〜もまた;mahī-kṣitām —世界の主将たち; uvāca —言った; pārtha — おお、プリターの息子よ; paśya — さあ見よ; etān —彼ら全員;samavetān —集まった; kurūn — クル王朝の人々; iti — こうして

Translation

ビーシュマ、ドローナをはじめとして名だたる主将たちが立ち並ぶ前で主は言われました。「プリターの子よ、クル方の陣容を見よ」と

Purport

As the Supersoul of all living entities, Lord Kṛṣṇa could understand what was going on in the mind of Arjuna. The use of the word Hṛṣīkeśa in this connection indicates that He knew everything. And the word Pārtha, meaning “the son of Pṛthā, or Kuntī,” is also similarly significant in reference to Arjuna. As a friend, He wanted to inform Arjuna that because Arjuna was the son of Pṛthā, the sister of His own father Vasudeva, He had agreed to be the charioteer of Arjuna. Now what did Kṛṣṇa mean when He told Arjuna to “behold the Kurus”? Did Arjuna want to stop there and not fight? Kṛṣṇa never expected such things from the son of His aunt Pṛthā. The mind of Arjuna was thus predicted by the Lord in friendly joking.

テキスト

タトラーパシャトスティターンパールタハー
ピトルーナタヒターマハーン
アーチャーリャンマトゥラーンブラートルーンプトラーントラーンサキーンスタ
シュヴァシュラーンスフリダシュチャイヴァセーナヨルバヨラピ

Synonyms

tatra —そこで; apaśyat — 彼は見ることができる; sthitān —立って; pārthaḥ — アルジュナ; pitṝn —父たち; atha —〜もまた; pitāmahān —祖父たち; ācāryān —先生たち; mātulān —母方の伯父たち; bhrātṝn —兄弟たち; putrān —息子たち; pautrān —孫たち;sakhīn —友人たち; tathā —〜も; śvaśurān —義父たち; suhṛdaḥ —好意を寄せる人たち; ca —〜もまた; eva —確かに; senayoḥ —軍隊の; ubhayoḥ —両方の部隊の; api —含む

Translation

アルジュナは見ました。両軍のなかたちには、父たち、祖父たち、先生たち、母方の伯父たち、兄弟、息子、孫、友人たち、また義父たち、好意ある人々が皆いるのを

Purport

アルジュナが戦場を見渡すと、血のつながった人々や、親しい友人たちや、学問、軍術などを教えてもらった先生たちなどが、みんな出陣しています。たとえばブリシュラヴァーなどは彼の父と同年輩の人だし、ビーシュマやソーマダッタは祖父にあたります。ドローナ先生、クリパ先生、シャリヤ、シャクニ等の母方の伯父、ドゥルヨーダナ兄弟、そしてラクシュマナ等の息子たち、アシュワッターマーその他の友人たち、互いに好意を持ってるクリタヴァルマーその他。こうした王族階級の人ばかりではなく、軍団のなかにもアルジュナの友人たちが大勢いるのでした。

テキスト

タンサミクシャサクンテーヤー
サルヴァーンバンドゥーナヴァスティターン
クリパヤーパラヤーヴィスト
ヴィシーダンニダマブラヴィート

Synonyms

tān —彼ら全員を; samīkṣya —見た後; saḥ — 彼は; kaunteyaḥ — クンティーの息子; sarvān — あらゆる種類の; bandhūn —親族の者たち; avasthitān —位置して; kṛpayā — 同情心によって; parayā —高度の; āviṣṭaḥ —圧倒されて; viṣīdan —嘆き悲しみながら; idam — このように; abravīt —話した

Translation

クンティーの子、アルジュナはこの戦場に様々な友達や親類縁者が全て出陣しているのを見て哀切の念にたえず、このように申されました。

テキスト

アルジュナウヴァーチャ
ドゥルストヴェマンスヴァジャナンクリシュナ
ユユツンサムパスティタン
シダンティママガトラニ
ムカンチャパリシュスヴァティ

Synonyms

arjunaḥ uvāca — アルジュナは言いました。; dṛṣṭvā —見た後; imam —これらすべてsva-janam —血縁の者たち; kṛṣṇa — おおクリシュナ; yuyutsum —全員戦意のある; samupasthitam — そこにいる; sīdanti — 震えている; mama —私の; gātrāṇi —体の手足; mukham—口; ca —〜もまた; pariśuṣyati —渇く

Translation

アルジュナは言いました。いとしのクリシュナよ、友人や親戚の人々が戦意に燃えて私の目の前で戦おうとしているのを見ると、手足はふるえ口はからからに渇きます。

Purport

神に対する純粋な愛を持っている人は、聖人や神々に見られるようなよい性質を具えています。ところが高い教育を受け様々な教養を身につけて、外見は実に立派な人物のように見えても、献身者でない人は、人間として最も大切なもの、精神的な性質に欠けています。自分の肉親や親戚の人たち、また多勢の友人たちがこの戦場に集まってお互い同士で戦おうとしている情景を見て、アルジュナの胸は悲しさ情けなさで張り裂けそうになりました。自分の部下たちについてははじめから気の毒に思っていましたが、彼は敵方の将兵に対しても同情しています。かわいそうに彼らはまもなく死ぬのだ、親も妻子もいるだろうに、、、。それで彼の手足はガタガタふるえ、口はカラカラになりました。それに敵も味方も戦意に燃えている、このことにも彼は少なからず驚いてしまいました。実際に同族が、アルジュナと血がつながっている人々が、彼と戦うために出てきています。これはアルジュナのような親切な献身者にとってあまりのことでした。ここには書いてませんが、手足がふるえ口が渇いただけではなく、おそらく彼は悲痛な叫び声をあげたことでしょう。このような症状はアルジュナが弱いからではなく、優しい心、おもいやりの心を持っている証拠です。神の純真な献身者が持つ特性の一つです。ゆえにこう言われています。

yasyāsti bhaktir bhagavaty akiñcanā
sarvair guṇais tatra samāsate surāḥ
harāv abhaktasya kuto mahad-guṇā
mano-rathenāsati dhāvato bahiḥ

「バガヴァーンに対する堅固な愛を持っている人は、神々の具える善良な性質を全部持っています。しかしこうした愛を持たない人は心の平面にとどまってぎらぎらとした物質エネルギーに魅了されているので、単に物質的、外面的な能力資質を持っているにすぎません。それは前者に比べてまことに価値の低いものです」(シュリーマド・バーガヴァタム5.18.12)

テキスト

vepathuś ca śarīre me
roma-harṣaś ca jāyate
gāṇḍīvaṁ sraṁsate hastāt
tvak caiva paridahyate

Synonyms

vepathuḥ —体の震え; ca —〜もまた; śarīre —体の上に; me —私の; roma-harṣaḥ —髪の毛が逆立っている; ca —〜もまた; jāyate —落ちる; gāṇḍīvam — アルジュナの弓; sraḿsate — 滑り落ちる; hastāt —手から; tvak —肌;ca —〜もまた; eva —確かに; paridahyate —燃えている

Translation

体の隅々まで震えおののき、髪の毛は逆さになって立ち、愛弓ガーンディーヴァは手から滑り落ち、全身の肌は熱く燃えるようです。

Purport

There are two kinds of trembling of the body, and two kinds of standings of the hair on end. Such phenomena occur either in great spiritual ecstasy or out of great fear under material conditions. There is no fear in transcendental realization. Arjuna’s symptoms in this situation are out of material fear – namely, loss of life. This is evident from other symptoms also; he became so impatient that his famous bow Gāṇḍīva was slipping from his hands, and, because his heart was burning within him, he was feeling a burning sensation of the skin. All these are due to a material conception of life.

テキスト

ナーチャシャクノームヤヴァスタハトゥン
ブラーマティーヴァチャメマナハ
ニミッタニチャパシャミ
ヴィーパリターニケーシャヴァ

Synonyms

na —〜でない; ca —〜もまた; śaknomi — 私は〜できる; avasthātum — 留まること; bhramati —忘れて; iva —〜なので; ca —そして; me —私の;manaḥ —心; nimittāni —原因; ca —〜もまた; paśyāmi — 私は見る; viparītāni — ただ反対側の; keśava — おお、悪魔ケーシーを殺した者よ(クリシュナ)

Translation

大地に立っていることもできず、心はよろめき、自分を見失っています。おお悪魔ケーシーを殺したクリシュナよ、私には不吉な前兆しか見えません。

Purport

精神的苦痛のためにアルジュナは立っていることもできなくなり、心の弱さのために正気を失いそうになりました。物質的なものに対する過度の執着で、人間はこんなふうになります。恐怖と精神の平静を失うことは物質的、外面的なことに気を使いすぎる人に起こります。アルジュナは戦場での苦い不運ばかりを心に思い描いていました。敵に打ち勝って勝利を得ても幸福にはなれないだろうと。ここでニミッターニ・ヴィパリーターニという言葉は重要です。人間は物事が自分の期待通りに運ばないというだけで、すぐ意気消沈したり生きがいをなくしたりします。なぜ私はここにいるのだろうと考えます。人はだれでも、自分と自分自身の幸福には関心をもっています。が誰もスーパーソウルであるクリシュナには関心を持ちません。アルジュナは主の意思によって真実の自利について無知であることを露呈しています。真実の自利はヴィシュヌ、すなわちクリシュナに在る。制約された魂は、この真理を忘れているから、肉体上の生老病死や障害に悩み苦しむのです。

テキスト

ナーチャシュレーヨヌパッシャミー
ハトヴァスヴァジャナマハヴェ
ナカンクシェーヴィジャヤンクリシュナ
ナーチャラーギャーンスカハニチャ

Synonyms

na —〜でない; ca —〜もまた; śreyaḥ —良い; anupaśyāmi — 私は予見する; hatvā — 殺すことによって; sva-janam —自分の身内の者たち; āhave — 戦いにおいて; na —〜でない; kāńkṣe — 私は望む; vijayam —勝利; kṛṣṇa —おお、クリシュナよ; na —〜でない; ca —〜もまた; rājyam —王国;sukhāni — その幸福; ca — 〜もまた

Translation

血縁の人々を殺して、いったい何の益があるのでしょうか。わが愛するクリシュナよ、私は勝利も領土も幸福もほしくない

Purport

真実の自利、自分の利益、幸福はヴィシュヌ(すなわちクリシュナ)にあります。このことを知らない制約された魂は、血縁関係に執着し縛られます。その状態の中での幸福を求めます。そのことばかりに重みをおく結果、より快適なより豊かな環境の源をも忘れてしまう人もいる。アルジュナは戦士としての道徳律まで忘れてしまいました。次の2種類の人たち、クリシュナ自身の指示の下で戦場で勇ましく戦って討ち死にした軍人、世間を捨ててただ精神的な修養や研究に没頭した人々が死ぬと、太陽星界に行く、といわれています。そこは強烈な目もくらむようなまばゆい世界です。アルジュナは自分の親類はおろか敵さえ殺すに忍びない。血縁の者を殺したりしたら、自分の人生にはもうひとかけらの幸福もなくなるのだ、と思いました。だから戦いなくない。腹の空いていない人が食事の準備をする気にならないのと同じことです。今や彼はすべてを投げ出して、森へ入って隠棲しようと決心しました。クシャトリヤとして彼は生活のために自分の領土を必要とします。なぜならクシャトリヤは他の職業につくことを禁じられているからです。しかし現在、彼は領地を持っていません。唯一つ、それを獲る方法はいまここで従兄弟たちと戦って、彼が父から正統に相続した領地を取り戻すことなのです。ですが殺し合いはしたくない。それで彼は考えました。自分は軍人でいるより、森へ行って瞑想して暮らすのに適した人間なのだ、と。

テキスト

キンノラジェナゴーヴィンダ
キンボーガイルジヴィーテナヴァ
イェーサマルテカンクシタンノ
ラジャンボガースカーニチャ
タイメヴァスティターユッデヘー
プラナーンステャクトヴァーダナーニチャ
アーチャーリャーピタラプトラース
タタイヴァチャピターマハー​​
マトゥラスヴァスラプートラハ
シャラハサンバンディナスタター
エータンナハントゥミッチャミ
グーナトピマドゥスダ
アピトライローキャラジャシャ
ヘトーキンヌマヒクリテ
ニハトヴァダールララシュトランナー
カプリティーシャジャナールダナ

Synonyms

kim — どんな価値; naḥ — 我々に; rājyena —王国が; govinda —おおクリシュナ; kim — どんな; bhogaiḥ —楽しみ; jīvitena —生存; vā — どちらかの; yeṣām —彼らの; arthe — f〜のために; kāńkṣitam —望まれている; naḥ —我々によって; rājyam —王国;bhogāḥ —物質的喜び; sukhāni — あらゆる幸福; ca —〜もまた; te —彼ら全員; ime —これら; avasthitāḥ —位置して;yuddhe — この戦場に; prāṇān —命; tyaktvā —捨て去って; dhanāni —富; ca — 〜もまた; ācāryāḥ —先生たち; pitaraḥ —父たち; putrāḥ —息子たち; tathā — 〜も同様に; eva —確かに; ca — 〜もまた; pitāmahāḥ —祖父たち; mātulāḥ —伯父たち; śvaśurāḥ —義父たち; pautrāḥ —孫たち; śyālāḥ —義兄弟たち; sambandhinaḥ —親類の者たち; tathā — 〜も同様に; etān —彼ら全員; na —決して〜ない; hantum — 殺す; icchāmi — 私は望めようか; ghnataḥ —殺されても; api —たとえ; madhusūdana— おお、悪魔マドゥを殺した者(クリシュナ) ; api — たとえ〜でも; trai-lokya —三界の; rājyasya —王国のために; hetoḥ —引き換えに; kim nu — ましてや〜は; mahī-kṛte —地球のために; nihatya —殺すことによって; dhārtarāṣṭrān — ドリタラーシュトラの息子たち; naḥ —我々の; kā —どんな; prītiḥ —喜び; syāt — あるだろうか; janārdana — 全生命体の維持者よ

Translation

おおゴーヴィンダよ、王権と領土、一族の幸福繁栄と、また自らの生涯を確保するために、師弟、父子、祖父と孫たち、伯父たち、義父、義兄弟、その他、親族の者たちがそれぞれの命と全財産を賭して、私の前面で戦おうとしています。おおマドゥスーダナよ、私は彼らに殺されても彼らを殺したくないのです。おお生きとし生けるものの主よ、ドリタラーシュトラの息子を殺して、我らに幸が来るのでしょうか。三界の王者となるためにでも、彼らと戦う気にはなれぬのに。おおジャナールダナよ、ドリタラーシュトラの息子たちを殺して、我らに幸福がくるのでしょうか。

Purport

アルジュナはここで、クリシュナのことをゴーヴィンダと呼んでいます。主は、牛と、生物すべての感覚にとって、実に歓喜の対象だからです。この意味を持つ呼び名を使うことによって、アルジュナはどうすれば自分の気持ちが安まり、満足するかを、クリシュナに理解してほしかったのです。ゴーヴィンダの方から私たちの感覚を楽しませるつもりはないが、私たちがゴーヴィンダを満足させようと努めたならば、自動的に気持ちが安まり、楽しくなります。誰しも五官の楽しみは大いに歓迎するところ、そしてこちらの注文どおりに神様がそれを供給してくれることを望みます。けれども主は、生物各自の分に応じただけのものを供給するのであって、決して欲しがるだけ与えはしません。ところがこの反対の方法を用いると、その人自身が満足しようと思わずに、ゴーヴィンダを楽しませようと努めたならば、ゴーヴィンダの恩恵によって、その人の望みはすべてかなうのです。仲間や周囲の人々、家族の一人ひとりにアルジュナがどれほど愛情を持っていたか、ここによく表れています。だから戦う気になれない。富裕であれば、その豊かさを友人や親類の人々に見せたいのが、人情というものです。戦争に勝って莫大な財物を手に入れても、ここで親類や友人たちが戦死してしまったら、それをみせることも分け与えることもできないではないか、とアルジュナは思いました。これが、物質的生活における典型的な計算、考え方です。しかし物質を超えた世界では、こんな計算は通用しません。在る献身者が主のお望みを満たしたいと切望し、主がそれをお認めになれば、その人はあらゆる種類の物質的精神的な便宜を主への奉仕のためにいとも豊かに享受することができます。またもし、主がその必要をお認めにならなければ、その人は何一つうけることはできません。アルジュナは自分の親類縁者を殺したくない、もしどうしても殺す必要があるのならクリシュナに殺していただきたい、と願っていました。この時点では、彼は知りませんでした。戦場で死ぬことになる人々は、すでにここへ来る前にクリシュナによって殺されている、アルジュナはただクリシュナの道具になるだけである、ということを。この事実はギーターを読んでいくうちに明らかになります。生まれつき信心深いアルジュナとしては、邪悪な従兄弟たちに仕返しをする気はありませんでした。しかし、ここでドゥルヨーダナ兄弟を皆殺しにすることが、主の計画だったのです。主の献身者に対して悪意をもってなしたことは、どんな小さなことでも、主はお見逃しなく、罰を下します。主はご自分に対してなされたことなら、場合によっては大目に見て下さいますが、ご自分の献身者に対して害を行った者は、決してお許しになりません。ゆえにアルジュナが彼らを赦したくても主はあの邪悪な者どもを断じて全滅なさるのです。

テキスト

パラメーヴァスライェーダースマン
ハットヴァイタナタターイナハー
タスマンナーラヴァヤムハントゥン
ダールタラシュトランサバンダヴァン
スヴァジャナンヒカタンハットヴァ
スーキナスヴァママーダヴァ

Synonyms

pāpam —悪徳; eva —確かに; āśrayet — ふりかかるにちがいない; asmān —我々に; hatvā —殺すことによって; etān — これら全ての; ātatāyinaḥ —侵略者たち; tasmāt — だから; na —決して〜ない; arhāḥ —〜に値する; vayam —我々が; hantum — 殺す; dhārtarāṣṭrān — ドリタラーシュトラの息子たち; sa-bāndhavān —友人たちとともに; sva-janam —血縁の者たち; hi —確かに; katham — いかにして; hatvā —殺すことによって;sukhinaḥ —幸福に; syāma —我々は〜になるだろうか; mādhava — おお、クリシュナ、幸運の女神の夫よ

Translation

おおクリシュナ、幸運の女神の夫よ、侵略者を殺せば、罪はわれらにかかります。ゆえにドリタラーシュトラの息子たちや肉親を殺しても、何一つ益はないのに、いかにして幸福になれるでしょう。

Purport

ヴェーダは、次の6種類の侵略者について、戒告しています。
1. 毒を盛った者、
2. 家に火をつけた者、
3. 致命的な武器で攻撃してきた者、
4. 財物を略奪する者、
5. 他人の土地を占領する者、
6. 妻を誘拐した者。
以上の侵略者は、直ちに殺すべし。殺しても何の罪にも問われない。ただし、これは普通一般の人々の間のことです。世間並みの俗人の場合です。アルジュナは高徳な聖人のごとき性格でした。ですから相手に対しても、徳をもって扱いたい。しかし、クシャトリヤ(政治家、武士階級)に「聖徳」は要求されていません。一国の責任ある為政者は、臆病であってはなりません。もちろん、慈悲深く言行も立派であるのが理想ですが、、、。例えば、主ラーマの徳政を慕って、当時の人々はみなラーマ(ラーマ・ラージャ)の国に住みたがりました。ですが主ラーマは決して臆病ではありませんでした。侵略者ラーヴァナが主ラーマの妃、シーターを誘拐すると、主ラーマは前代未聞の厳格な訓戒を彼に与えました。とはいえ、アルジュナの場合は、あまりにも特殊な状況なので同情の余地はあるでしょう。つまり、祖父、師、友人たち、息子たち、孫たちが、互いに殺しあわなければならない戦場でした。普通の侵略者たちに対するようなわけにはいきません。その上、徳のある人は、他人を赦すのが常識のように思われています。アルジュナのような気高い性格の人物にとって、前記の戒告命令は、どんな政治的非常事態よりも荷が重いのです。彼は考えました。政治的理由で血縁の者たちを殺すより、宗教的見地から彼らをゆるした方がいい、と。こんな殺人業務は、はかない肉体的な幸、不幸に係わっているにすぎない。たとえその仕事から、領土と財宝を得て、栄華を楽しむことが出来たとしても、そんなものはごく一時的なことです。そんなつまらぬもののために肉親縁者を殺し、自分の命と永遠の幸福とを賭ける必要があるだろうか、と彼は考えました。ここでアルジュナは、クリシュナのことをマーダヴァ、または幸運の女神(ラクシュミー)の夫と呼んでいますが、これもまた、この場に深い関係があります。彼はクリシュナがラクシュミーの夫であることを指摘して注意をうながし結局は不幸になるような事件に自分を誘い込むべきではないと、言いたいのです。しかしクリシュナは決してだれをも不幸になどしません。特に自分を信じ愛している献身者を。

テキスト

ヤドヤピェテーナパシャンティ
ロボーパハタチェータサー
クラクシャヤクリタンドーシャム
ミトラドロヘチャパータカ
カタムナジェーヤマスマービー
パーパーダスマンニヴァールティトゥン
クラクシャヤクリタンドーシャン
プラパシャドビヒルジャナールダナ​​​​​​​

Synonyms

yadi —たとえ〜でも; api — even; ete —彼らが; na — 〜でない; paśyanti —見る; lobha —貪欲によって; upahata —圧倒されて; cetasaḥ —彼らの心; kula-kṣaya — 一族を殺すこと; kṛtam — なされる; doṣam —過失; mitra-drohe — 友人と争うことに; ca —〜もまた;pātakam —罪深い活動の反動; katham — なぜ; na — 〜すべきでない; jñeyam —知られる; asmābhiḥ —我々によって; pāpāt —罪から;asmāt — これら; nivartitum — やめる; kula-kṣaya — 王朝の滅亡において; kṛtam — なされる; doṣam —罪;prapaśyadbhiḥ —見ることの出来る人々によって; janārdana — おお、クリシュナ

Translation

おおジャナールダナよ、この者たちが貪欲に心を奪われて家族を滅ぼしたり親しい友同士が殺しあうことに罪を感じないとしても、一家一族を全滅させる罪を知りながらなぜわれらはこの地で戦争などをしなければならないのですか?

Purport

クシャトリヤは対抗者が戦闘や賭け事を熱心に誘いかけた場合、これを拒むのは潔くないとされています。 そうした取り決めがある以上、アルジュナは戦わないわけには行きません。なぜなら彼はドゥルヨーダナ一族に挑戦されたのですから。しかしこの点についてはドゥルヨーダナのとりまき以外の連中は詳しい事情を知らないのではないか、とアルジュナは考えていました。ですが、悲惨な結末になることは彼の目に見えているから、この挑戦を受けることはできません。その趣旨と結果が善である場合、人は義務や規則に従わなければいけませんが、そうでない場合はしたがう必要はない、といろいろ思い巡らした末にアルジュナは戦わないことに決めたのです。

テキスト

kula-kṣaye praṇaśyanti
kula-dharmāḥ sanātanāḥ
dharme naṣṭe kulaṁ kṛtsnam
adharmo ’bhibhavaty uta

Synonyms

kula-kṣaye — 一族を滅ぼすことによって; praṇaśyanti —破壊される; kula-dharmāḥ —家族の伝統; sanātanāḥ —永遠の; dharme —宗教; naṣṭe —破壊されて; kulam —家族; kṛtsnam —全体; adharmaḥ —無宗教; abhibhavati—変える; uta — 〜と言われている

Translation

一つの王朝が滅亡するとき永き家系の美風伝統は消えうせ、残された家族の人々は不敬な無信仰者に成り下がるのです。

Purport

ヴァルナーシュラマ(社会階級および宗教上の秩序)の制度にはその家系の人々の精神向上を助けるために、多くの法則や宗教的伝統があります。家族内の年長者たちは、目下の者が生まれたときから、その魂の浄化過程に責任を持って、導いていきます。しかし、何かの事故で年長者たちが死んだ場合、そうした家族の伝統は中断され、残された未成年者たちは無宗教状態になってしまい、精神的に向上し救われる機会を失うことになります。そのため、さしたる理由もなく家族の年長者を殺してはいけないことになっています。

テキスト

アダルマービババットクリシュナ
プラヂュシャンティクラーストリヤハ
ストリーシュドゥスターシュバールシュネヤ
ジャヤテーヴァルナサンカラハ

Synonyms

adharma —無宗教; abhibhavāt — はびこって; kṛṣṇa —おおクリシュナ; praduṣyanti —汚染されて;kula-striyaḥ —家族の女性たち; strīṣu —女性たちによって; duṣṭāsu — たいへん堕落して; vārṣṇeya —ヴリシュニの子孫よ;jāyate —生まれ出る; varṇa-sańkaraḥ —望ましくない子孫

Translation

クリシュナよ、家庭が無宗教になれば、家族の婦人たちは堕落してブリシュニの子孫よ、その結果は不必要な人口をもたらすでしょう

Purport

人間社会は、その人口が質的にも量的にも適正でなければ、平和を保って繁栄したり、また各自が精神的進歩を遂げることはできません。ヴァルナーシュラマのシステムでは、人間の共同体が常に適正な人口を保っていけるように、種々の法規が定められています。国家や社会の、円満な精神的進歩のためには、人口が適正であることが、ぜひとも必要なのです。そのためにはそこに住む婦人たちが貞節であり、誠実でなければなりません。ちょっと油断すると、子供はすぐ手に負えなくなります。同様に女性というものは、あっという間に堕落してしまいます。

テキスト

saṅkaro narakāyaiva
kula-ghnānāṁ kulasya ca
patanti pitaro hy eṣāṁ
lupta-piṇḍodaka-kriyāḥ

Synonyms

sańkaraḥ — そのような望ましくない子供たち; narakāya — 地獄の生活に向かわせる; eva —確かに; kula-ghnānām —家族の殺害者たちにとって; kulasya —家族にとって; ca — 〜もまた; patanti —堕落する; pitaraḥ —祖先たち; hi —確かに; eṣām —彼らの; lupta — やめた; piṇḍa —食べ物のお供えの; udaka —そして水; kriyāḥ —履行

Translation

望ましくない子孫が増えたならば、家族も家庭の破壊者も地獄の苦しみ、祖先も供物の水や食べ物を受けられず、ついに浮かばれなくなりましょう。

Purport

祖先の霊に、定期的に水や食べ物を供えること、これは功徳の多い行事であると、諸処の宗規で定められています。供物はまずヴィシュヌに供えて礼拝し、それから祖霊に供えます。なぜなら、ヴィシュヌに供えた食べ物のお下がりを食べるとその人はあらゆる種類の罪深い言行から赦免されるからです。祖先たちは様々なタイプの悪業の報いを受けて苦しんでいるかもしれません。また場合によっては、立派に生まれ変わって通常の肉体を得ることができず、幽霊の状態でふらふらしている人もいるかもしれません。そこへ、ヴィシュヌのプラサーダムを子孫が供えると祖先たちは望ましくない状態から解放されて楽になるのです。こうした祖先供養は、家の慣習の一つになっていて、至上者の献身者でない人々は、この行事を必ずしなければなりません。ですが至上主に服従した生活を送っている人は、そういうことはしなくていいのです。献身奉仕そのものが、幾百千の先祖たちを苦しみから救い、向上させることができるからです。シュリーマド・バーガヴァタム(11.5.41)には次のように述べられています。

devarṣi-bhūtāpta-nṛṇāṁ pitṝṇāṁ
na kiṅkaro nāyam ṛṇī ca rājan
sarvātmanā yaḥ śaraṇaṁ śaraṇyaṁ
gato mukundaṁ parihṛtya kartam

「一切の義務を捨て、自由を与える者ムクンダの蓮華の御足に救いを求め、この献身の道に全身を捧げたものは神々に対する、生物、また家族に対する、人類また祖先たちに対するあらゆる義務と責任から解放される」以上のような責務はバガヴァーンへの献身奉仕によって、自動的に満たされるのです。

テキスト

ドシャイレタイークラグナーナン
ヴァルナシャンカラカラーカイ
ウツァデャンテジャティダールマ
クラダルマスチャシャスヴァター

Synonyms

doṣaiḥ — そのような罪によって; etaiḥ — これら全て; kula-ghnānām —家族の破壊者たちの; varṇa-sańkara —望ましからぬ子供たちによって; kārakaiḥ —原因となる; utsādyante — 荒廃する; jāti-dharmāḥ —社会における計画; kula-dharmāḥ —家族の伝統; ca — もまた; śāśvatāḥ —永遠の

Translation

家族の伝統を壊した者たちの悪行で望まぬ子孫はふえ、社会におけるすべての企画も、一家の福利を維持するための活動も惨めに踏み荒らされることでしょう。

Purport

人間社会の四階級は、各家族の福利活動(職業その他)と結びついているもので、これはサナータナ・ダルマ、またはヴァルナーシュラマ・ダルマによって制度化されたものです。その目的は、人間を究極の救い、真実永遠の幸福に導くことです。ゆえに社会の無責任な指導者たちによって、サナータナ・ダルマの伝統が破壊されると、その社会は混乱してしまい、その結果、人々は生命の目的、ヴィシュヌを見失う。生きとしいけるものの究極の目的は、神を知り、神に帰することです。この真理をわきまえない指導者は、精神的な盲人で、盲目の指導者に従っていく人々は、必ず混迷の闇にさまようでしょう。

テキスト

ウッツアンナクラダルマナン
マヌシャナンジャナールダナ
ナーラケニヤタンヴァソー
バヴァティテャヌスシュルマ

Synonyms

utsanna — だめになった; kula-dharmāṇām —家族の伝統を持つ人の; manuṣyāṇām — そのような人の; janārdana — おお、クリシュナ; narake — 地獄で; niyatam —必ず; vāsaḥ —住居; bhavati — そのようになる; iti — このように; anuśuśruma — 私は師弟継承を通じて聞いている

Translation

クリシュナよ、人類の保護者よ、私は権威ある人々からこう聞いています。家の伝統を破壊した者たちは必ずや地獄に住まうものと。

Purport

私の主張は私個人の意見ではなく、その筋の権威者から聞いたことに基づいている、とアルジュナは言っています。その道の権威者から学ぶこと、これが正しい知識を得る方法です。その知識についてはすでに徹底的に学びつくした権威者であると自他共に認めた正しい人の助力なしには、本当に知識を身につけることはできません。死ぬ前に、今生で犯した罪業を洗い清める儀式を行わなければならない、というきまりがヴァルナーシュラマの体系のなかにあります。いつも罪深い行いばかりしていたような人は、この規則に従わないと、つまり、プラーヤシュチッタ、と称する洗条式を行わないと、死んだあと必ず地獄に送り込まれ、悲惨な生活をすることになっています。

テキスト

アホーバタハトパーパン
カルトゥンヴャーヴァシタヴァヤン
ヤドラジャスカロベヘナ
ハントゥンシュヴァジャナムダヤタハ

Synonyms

aho — おお; bata — なんと奇妙なことか; mahat —大きな; pāpam —罪; kartum — 犯そうと; vyavasitāḥ —決断した;vayam —我々が; yat — なぜなら; rājya-sukha-lobhena —王候の幸福を得たいという貪欲に駆られて; hantum — 殺す; sva-janam —血縁の者たち; udyatāḥ — ~しようとして

Translation

ああ我らは何という大罪を今ここで犯そうとしているのか、王侯の栄華を欲するあまり、血縁の人々を殺そうとしているのです。

Purport

利己的な欲望に駆られて人間としての正気を失うと、人は自分の兄弟や、あろうことか父や母までも殺しかねないのです。世界の歴史には、そうした例がたくさんあります。しかしアルジュナは主の聖なる献身者ですから、そのような行動をとることは夢にも考えたことはないのです。

テキスト

ヤディママプラティカラン
アシャストランシャストラパナヤハ
ダールタラシュトララメハンユス
タンメクシェマトランバヴェト

Synonyms

yadi — たとえ~でも; mām — 私を; apratīkāram —抵抗しないで; aśastram —完全武装しないで; śastra-pāṇayaḥ—武器を持った人たち; dhārtarāṣṭrāḥ — ドリタラーシュトラの息子たち; raṇe —戦場で; hanyuḥ —殺すかもしれない; tat — それは; me —私にとって; kṣema-taram — ~の方がよい; bhavet — ~であろう

Translation

ドリタラーシュトラの息子たちが武器を手にして私に討ちかかるとも、私は武具を外し、抵抗せずに戦場に立っている方がいいのです。

Purport

クシャトリヤが戦うときの規則として、武器を持たず戦う気のない敵には、攻撃をしかけてはいけないという作法になっています。アルジュナは、まったくどうしていいかわからぬような困った立場にいるので、いっそのこと、相手が攻撃してきても抵抗せずに、黙って立っていようと決心しました。自分以外の敵味方が、どんなに戦争に熱中していても、そんなことには関心を持たない。こうした彼の行動は、心の優しさから来るもので、情け深いこと、寛大なことは、神の偉大な献身者がもつ特徴なのです。

テキスト

サンジャヤ ウヴァーチャ
エーヴァムクトヴァルジュナハサンケイェ
ラトパスタウパヴィシャット
ヴィシュルジャササランカーパン
ショーカサンヴィクナマナサハ

Synonyms

sañjayaḥ uvāca — サンジャヤは言った; evam — このように; uktvā —言って; arjunaḥ — アルジュナ; sańkhye — 戦場で; ratha —戦車の; upasthe —座席に; upāviśat — 再び座り込んだ; visṛjya — わきにおいて; sa-śaram —矢を; cāpam —弓; śoka —悲嘆によって; saḿvigna —悩んで; mānasaḥ —心の中

Translation

サンジャヤ言う:アルジュナはこのように言って矢も弓もその場に投げ捨て、心は悲しみに打ちひしがれて、戦車の床に座り込みました。

Purport

敵方の情勢を観察しているときには、立っていたけれども、アルジュナは今や悲嘆にくれて、崩れるように座り込んでしまいました。弓も矢もそこに放り投げて。彼のように親切で思いやりのある人は、神の恵みにより、遠からず自己の本性を覚ることができます。

以上、第一章「クルクシェートラの戦場における両軍を見渡す」は終了です。